見出し画像

1年生日記(12日目)

実はここ数日、ずっと

「朝ウッチャンを送り支援級の担任の先生か支援員さんにその日の体調のことなどを申し送り、しばらく様子を見て帰宅、昼ごろ給食をめがけて再び学校に行き2.0vの酸素ボンベを1.1vのものと交換し服薬を確認して帰宅、5時間目の終わりごろに再びウッチャンのお迎えのために学校へ」

この3往復形式が果たして本当に正しいのかということを考えていた。一度は「まあしゃあないよね」と思ったこれを始めて数日後、我が家でちょっとした事件が起きたものだから。

さて、うちの夫という人は息災な人で、風邪は年に1度ひくかひかないか、平日は朝まだ日も昇らないうちから仕事に出かけとっぷり夜が更けてから帰宅、そして土曜か日曜、もしくはその両日には息子が小学生だった頃に所属していた地域のスポーツチームのコーチ(というか庶務)としてグラウンドを子どもらと真っ黒になって駆けまわっている。

しかしこの人はなんだか目があまり良くないのだ。

8年ほど前ちょっとした事故で片目を負傷して網膜剥離を患い、結果片目の視力をほぼ失い、そして生き残ったもう片目も白内障になり、これはレンズを入れて何とかなった…と思いきや、長年患ったアトピーアレルギーの影響だかなんだかでレンズが眼球内でずれたりする。

「ねーなんか見え方が変」

というひとことが朝、夫の布団から上がることがわたしには、ウッチャンの「なんかしんどい」の次に恐ろしいひとことなのだけれど、ついこの前

「やばい、世界が全部二重に見えるねんけど。ママが2人おる」

などと言い出して、またかと肝を冷やした。しかもこの日はかかりつけの眼科医院がお休みで、致し方なく夫は普段いかないもうひとつ大きな病院に電車を乗り継いで出かけて「暫くいらしていないので初診料がかかりますけれどよろしい?」と言われつつ「いやここまできてほな帰りますとはいえんやろ」と7700円を支払って診て貰った。すると

「こら、眼内レンズが落ちとりますわ」

ということでわたしは「なんそれ半年前に入れ直したのにまた落ちたんかい、ヤブか!」と、普段なら「優しくて丁寧でとってもいい先生」と評している夫の主治医を内心こき下ろしたのだった。だって半年前に同じことが起きて手術をしたところだったのに。

ともかく、体質的なことが大きく影響しているらしい夫の一体何回目なのかわからない目の手術はつい先日実施された、今は回復待ちの病休中。

夫は今回日帰り手術での対応をしてもらった。それだと手術に行くにも帰るにも、それから数日間の通院も、病院の方がお迎えの車を出してくれる。とても助かるのだけれど、夫は車を降りて自宅までのほんの少しの距離も片目はほぼ失明状態、頼みのもう片目も術後とあって、視界は白い霧の中、かなり危ない状態だった。

しかしわたしは夫に付き添ってあげられない、だって夫が通院しているその時間帯が丁度、ウッチャンの送迎だとか、ボンベ交換のために学校に出向いている時間だったから。

夫は昨日、送迎車から降りて自宅に戻る時、いつもならヒョイと飛び越えている段差につまずいてこけたそう。人間は視覚にかなり頼って暮らしている生き物なんだなあと今さら気づくとともに、わたしはこんなことを考えた。

(今回のこれは日帰り手術で、術後も送迎付きの通院だから何とかなったけど、もし今後、夫や私が重篤な病気で入院して『奥さん、手術中は病院に待機してください』とか言われたらウッチャンの通学付き添いはどうなるのだろう、もしかしてそいう時はウッチャンを休ませなければならんのか、でも小学校って義務教育なのでは)

そう、ウッチャンのこの通学形態は、今わたしがびっくりするくらい頑健でかつ、就労していないから可能になっていることで、もし私が突然病気になって入院したり、もしくは夫が手術入院をしてそれに通いで付き添わないといけないとなった時、あっという間に瓦解する薄氷の上の通学方法なのだ。

実際、8年前に夫が網膜剥離で手術入院した時わたしは、夫が入院している京都の病院に毎日通っていた。あの時は上の子が小学生で下の子は幼稚園児、ウッチャンは産まれていなかった。だから何とかなったのだ。

しかし今回、同じことが起きたらそうはならない。ウッチャンとわたしが平日、離れていられる時間は午前中の約3時間、そして午後の1時間。

これはやっぱり、良くないのでは。

そう思った私は、学校から帰宅した午後、教育委員会に電話をかけた。昨年度の冬の面談で市教の出した「看護師配置はやはり難しいというか、酸素ボンベと、酸素濃縮器それぞれにカニュラをつけておいて、本人さんが毎回必要に応じてそれを装着し、酸素流量を本人が1ℓのメモリに合わせるということで対応するのはどうかと」という意見を

「現場の先生が毎回メモリの数値を確認してくださるのなら…」

と言って一応の同意はしたものの、結局今ウッチャンはほとんど普通級で授業を受けていて酸素ボンベだけを使っている、それは昼には切れるので新しいものに入れ替えなくてはいけない。

『もし、普通級での授業が中心になった時、酸素ボンベは5~6時間で切れてしまいます。酸素ボンベのレギュレーターの付け替えはまだ6歳の娘にはできませんし、仮に訓練してできるようになったとしても、たった6歳の娘に自分の命の責任を全て自分で持ちなさいということを、親としては言いたくありません、この人にはまだ大人の、できれば医療者の庇護が必要です』

ということを、どうしてあの時話し合いの席で言わなかったんだよわたしは。

この辺はわたしの性格?性質?のとても悪しきところで、わたしという人間はひととの衝突というか摩擦というか軋轢が極端に怖いのだ。

(だれとも喧嘩したくない)

そういう一見人当たりの良い、人畜無害で無責任な考え方で生きているので、交渉の席に座ると途端に弱い。しかし医療的ケア児を病院外の一般普通標準の世界で育てるのに全方向「ええ人」で生きていられるかいとわたしは、意を決して教育委員会の『特別支援係』に電話をかけた、そして

「あの、以前は看護師さんはいいですと看護師配置のないことに同意してしまったわたしですが、結局蓋を開けてみたら酸素濃縮器を置いた支援教室には休み時間に遊びに行くとか、休憩に行くとかそれくらいの時間しか娘はおりませんし、ほとんど普通級で過ごしておるのですよね、そして普通級では酸素ボンベを使って過ごしておりますのでそれは昼ごろに切れるのです、それでわたしは日に3回、学校と自宅を行き来するという生活をこの1ヶ月続けたのですけれど、これ、いつまで続くのですかね」

要約するとこういうことを言った気がする。そもそも支援級というものがどういう形で運営されているのか、そこにはどんなルールがあるのか(最初わたしは日に半分は支援級で過ごすことになりますと聞いていた)、親の立場であるわたしは全く知らなかったし、アドバイスをくれる人も、コーディネーターもいなくて、詳細情報は全くクローズの状態だったのだから、そちらだけがルールを知っていて、わたしはひとつもルールが判らない状態で、通学に関するいろいろ取り決めをしましょうというのは、どうにも。

すると電話の向こうの担当者は、そうですかあ、そうですねえというあの傾聴スタイルというのかな、教育関係の方らしい穏やかな相槌を打ちつつ、わたしにこう言った。

「それはまだ4月ですし、色々とやりかたを模索している時期でもありますから、今は普通級で学校やお友達に慣れる、という形を取っているのかも、しれませんねー」

しれませんねー、ではないのだよ。正直わたしはここでちょっとムッとした。

「いえ、普通級での授業に対応可能なのであれば親としてはそれで一向にかまわないのですが、問題なのは娘では酸素ボンベの付け替えが難しいということなんですよね、それで娘の利用している訪問看護ステーションに、学校に直接娘の様子を見に来てもらうというのは難しいですかと聞きもしましたがやはり規定上難しいそうで、それでできれば教育委員会の方で善処していただきたいと思っているんです」

年間予算がもう決定していることも知っているし、それが今更覆らないことも知っていますと伝えた上で、近隣地域の小学校で医療的ケア児のケアをしている看護師さんに、昼の1時間、いや30分でいいので娘の酸素ボンベの入れ替えと、本人の体調の確認、それをするために出向いてもらうと言うのは難しいですかと聞いた。すると担当の方は

「まあ、そのへんは、この連休明けに一度学校の方に伺いますので…」

そう言って担当の方はまずは現場を見ますと言うので、だったら言わせてもらいますけれどねえとは言わないけれど、わたしはもうひとつ

「それと、遠足なんかの課外授業の際も、現地で酸素ボンベは切れると思うんです。1学期の遠足は、もう目前なのでわたしが付き添いますというのは学校の先生にお伝えしているんですが、これもわたしが行かないと遠足に行けませんという状態がずっと続くとなると、5年生には林間学校がありますし、6年生の時には修学旅行がありますよね」

課外授業をどないするねん、そこは詰めてへんねんぞと畳みかけた。

それは、もしその時もウッチャンがまだ酸素ユーザーで、引率可能な医療者が誰もいなければわたしがついて行くという選択をするつもりだし、幸いウッチャンの兄も姉もウッチャンよりも随分年上で、ウッチャンが5年生になる頃には兄はハタチになるし、姉も高校2年生、一晩お母さんがいなくても死にはしないだろう。

でも、ここはひとつ白黒はっきりさせるところはさせておかなければ、ぬるーっと「現場の方で何とかしてくださいよ」とか「まあ、そこはお母さんがね…」という言説に流されるのは困る、付き添い入院ならまだしも、小学校に通うことは娘の権利なのだ、遠足だって、就学旅行だって。

とにかく担当の方はまた連休明けに連絡をくださるそうで、電話はそこで終わった。

わたしは自分のあまりの感じの悪さに、これは教育委員の方から小学校に「なんかえらい食い気味のお母さんから電話あってんけど君らなにしてんの?」などいう電話がいったら申し訳がないと思い、小学校にも電話を入れた。「市教にやや食い気味に看護師配置の再考について電話してしまったので、またそちらにもご連絡が行くかと思います、なんかすみません…」。

つかれた。

できれば誰にも感じ悪くなく、やさしいおばちゃんでいたい。市教の担当者さんだってGWに白浜とか淡路島に家族で行く予定にしていたかもしれないのに、こんな心憂う仕事を残しては心底楽しめないのでは、他人のココロにシミを漬けて生きてゆくなんて、わたしなんか、わたしなんか来世フンコロガシにしかなられへんわ。

(もう、わたしが頑張ればええのでは)

それがこの場合一番平和なのだ。分かっている、わかっているんだけれどそれをやると次に続くウッチャンの後輩たちは困ることになる。

地域に酸素を使いながら暮らしているウッチャンより小さいお友達があることをわたしは知っているし、これからも生まれるだろう、そういう子がいざ地域の小学校に上がる時。

「在宅酸素療法のお子さんなら、看護師ナシで通学されてましたよ、それはお母さんが毎日付き添いはされてましたが…」

そんな前例を6年分きっちり作ってしまうのはきっとよくない。

がんばろう、ここまできたら、わたしなんかもう『いちいち細かいことでうるせえババァ』でいいではないの。


サポートありがとうございます。頂いたサポートは今後の創作のために使わせていただきます。文学フリマに出るのが夢です!