才所丑松

仏教研究者として末席に40年。 6世紀~インド仏教、特にダルマキールティという人物の研…

才所丑松

仏教研究者として末席に40年。 6世紀~インド仏教、特にダルマキールティという人物の研究からスタートし、14,5世紀のツォンカパまでを視野に入れながら、ここ14,5年は倶舎論を中心とした研究に着目し、これまでの研究と結びつける道を探しています。 記事の無断転載禁止です。

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仏教余話

その235 『倶舎論』第5章「随眠品」(anusayanirdesa)(アヌシャヤ・ニルデーシャ)は、煩悩論を展開する章であるが、それと絡めて、三世実有説をめぐる攻防がある。その中に、次の1節がある。そこでは、説一切有部の別名と目される毘婆沙師(びばしゃし)と並んで、説明されている。更に、その毘婆沙師が一枚岩ではないことを匂わせるような記述も続くのである。以下の如し。 故に、過去・未来のものは、絶対(eva,kho na)存在すると、毘婆沙師(vaibhasika,bye

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      その234 さて、世親とサーンキャの関わりに戻ろう。服部正明博士は、ある対談で、以下のように、両者の関係をスケッチしている。  ヴァスバンドゥ〔=世親〕は『倶舎論』の中で、サーンキヤ学派のヴールシャガヌヤに言及していますし、また、伝記によると、彼の師匠がサーンキヤ学派のヴィンドィヤヴァーシンとの討論に負けたとき、その報を聞いて急いでかけつけ、ヴィンドィヤヴァーシンと論争しようとしたが、相手はすでに死んでヴィンドィヤ山の石になっていたので、『七十真実論』を著してサーンキヤ説を反

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         その233 その世親には、よく知られた伝記がある。題して『婆藪槃豆法師伝』という。中国仏教に多大な影響を与えた真諦が訳したものとされる。漢訳仏典の代表格、大正新修大蔵経の50巻にある。この伝記には、次のような下りがある。  仏の滅後、900年に至って、他学派のヴィンドゥヤヴァーサ(頻闍訶婆娑、Vindhyavasa)という名の者がいた。これ〔ヴィンドゥヤ、頻闍訶〕は山の名である。ヴァーサ(婆娑)は「住む」と訳せる。この他学派の者が、この山に住んでいることに因んで、名付けた。

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          その232 これに比べて、宮本啓一博士の解説は、幾分、納得がいく。博士はいう。  ヴァイシェーシカ流にいますと、「真四角の円形ドーム」はあり得ないものとして実在する、となります。言語表現があり、かつそんなものはあり得ないと理解できるのですから、あり得ないものとして実在するのです。昔、ハーヴァード学派の開祖的存在であるクワインは、「真四角の円形ドーム」は意義(sense)は持つが意味(meaning指示対象)は持たないとしてこの問題の解決としましたが、論理的簡潔性という点からす

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          その231 さて、これまで見てきたように、インド仏教は、他のインド思想との濃厚な交流を無視しては語ることは出来ない。原始仏教とサーンキャ思想の見事な符合は、仏教特有の「無我」思想自体を、再認識させるものであることは、記憶に新しいと思う。『倶舎論』も、同じように、他学派の影響を勘案することなしには、済ませられない。アビダルマの大学者、櫻部建博士は、ある対談の中で、次のように、述べている。  サーンキヤ学派の綱要書の中に、輪廻と解脱の原因という観点から、心理状態を四種類に、それを

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          その230 残りの記述に、鎌倉在住の私には、随分と興味をそそる話があったので、以下、それを紹介しておこう。  田舎者の東京行きは成効で無かったかもしれぬが、但し多少の獲物はあった。七月六日出発、其夕鎌倉光明寺前、中島館に投宿した。中島館は旅館の外に万屋と郵便局とを兼て居って、至ってじみな旅館である。十年ばかり前に安藤州一君と海水浴に来たことのあるおなじみの旅館であるから、懐旧の情禁じがたく、早速安藤君へ向けて鎌倉の絵葉書を送った。鎌倉はあまり変化して居らぬ様であるが、江の島行

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          その229 続けて、舟橋博士の「倶舎を漁る記」から引用してみよう。  四月二十一日快晴。此日、性相学科生数名を引具して、見学のため御室付近の、倶舎に関係ある二三の寺院を探るべく試みた。…先ず太秦の広隆寺を訪問した。こゝへは十二三年前一度参詣したことがあるが、昔ながらの奥ゆかしい寺であって、どことなくよいところがある。倶舎頌疏条箇二巻、広隆寺長伝の作となって居るから、長伝を取調の為住職にも面会して見たが、どうも要領を得なんだ。…広隆寺を辞して、道を北方に取り、妙光寺を訪ねること

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          その228 難しい説明に入る前に、昔の『倶舎論』学者の優雅な研究の日々を紹介しておこう。船橋水哉博士は、日本に古くから残る、伝統的な『倶舎論』研究の大御所である。博士の書物に、随筆めいた研究記録がある。題して「倶舎を漁る記」という。16ページに亙り(pp.253-269)面白い記述が展開されている。少し、長く引用して、来るべき『倶舎論』解説の布石としよう。  相変わらず倶舎の研究に従事して居るが、しかし久しぶりで京都へ来て見ると、存外まだ研究漏れの分が沢山にある。本屋へ行って

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          その227 さて、従来、チベット語仏教文献は、ツオンカパ研究を機軸としていたせいもあり、中観派や仏教論理学方面の考察は、かなり進んでいる。しかし、『倶舎論』などのアビダルマ文献についての研究は、未知な部分も多い。本演習は、本来は、仏教論理学をテーマとするものであるが、その根源には、アビダルマが横たわっていて、アビダルマの理解なくして、仏教論理学の理解もないのである。その辺りの思想的関連は、今まで、正しく、考察されていなかったような節がある。私は、そういう観点から、『倶舎論』を

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          その226 我々は見たい部分、理解しやすい側面しか捉えていないのである。チベット仏教について、やや詳しく述べたのは、私自身、そこから、限りない恩恵を受けていて、これからの研究においても、大いに、チベット語仏教文献を活用する予定でいるからである。ここで、日本のチベット学の動向や実力なども瞥見しておきたい。日本チベット学のパイオニアの1人は、長尾雅人博士であろう。博士は『西臓仏教研究』において、ツオンカパの主著『ラムリム』の最終章の訳注研究を行い、それまでの中観理解に一石を投じた

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          その225 では、話を戻そう。その後、『チベットの死者の書』は、忘れられてたが、ベトナム戦争の頃、1960年代に、反体制派のヒッピーと呼ばれる若者が、『チベットの死者の書』に関心を示した。理由は、2つある。第1の理由は、その書によって死の恐怖を逃れるため。『チベットの死者の書』には、死後の世界が描かれているので、そういうこともあり得たであろう。第2の理由は、その死後の世界の様子が、ドラック体験の世界とよく似ていたためである。その2つの理由で、『チベットの死者の書』は、ヒッピー

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          その224 さて、現代社会がチベットに興味を抱いた経緯も簡単に紹介しておこう。そのきっかけを作ったのは、紛れもなく、『チベットの死者の書』の出版である。この本は、エヴァンス・ヴェンツ(1878-1965)というアメリカ人が、20世紀の始めに、インドで発見した。その後、ドイツ語訳すると、有名な心理学者ユングがこの本を褒めたので、大いに、注目されるようになった。これが、第1次のチベット仏教ブームである。エヴァンス・ヴェンツという人は、オカルト好きで、一生、その方面の研究を続けた。

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          その233 もう1人は、ヴォストリコフと同年輩のローエリッヒ(Jurij,Nikolaevic Rerix/Geoge(s)(N.)Roerich,1902-1960)である。彼は、チベットの著名な歴史書、ショヌペル(gZhon nu dpal,1392-1481)作『青史』(Dep ther sngon po)をThe Blue Annalsとして英訳し、仏教学に、大いに寄与した。彼の一族には、才能豊かな人が多く、その周辺は華やかであった。湯山博士は、こう描写する。  彼の

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          その232 この問題をシチェルバツキーに伝えたのが、他ならぬ、ヴォストリコフなのである。こういわれている。  章を通常の順序に変えるのか、、伝統的な順序を守っていくのかという議論は、最近、ヴォストリコフ氏により考察された。(F.Th.Scherbatsky,Buddhist Logic,rep.p.39) また、こういう意見も引用されている。  ヴォストリコフ氏は、以下のように認めたのである。彼〔ダルマキールティ〕の考えが、後の展開で変わったことで〔章の順序は〕変化した。その

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          その231 これらの人々は、すべて欧米の研究者であるが、無論、日本の研究者も、チベット資料は、大いに活用している。欧米の研究に比べれば、格段に日本のチベット学のレヴェルは上である。松本史郎博士、四津谷孝道博士は、ツオンカパを中心とする中観研究では、世界最高水準であるし、池田錬太郎教授は、アビダルマ関係のチベット資料に関しては、世界に先駆けた業績を残している。また、一昨年、退職された袴谷憲昭教授は、唯識関係のチベット資料に関しては、世界的に有名であった。  以上のことは、比較的

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          その230 以下私の管見の範囲で、上記で言及された欧米諸学者の業績を、もう少し、紹介してみよう。まず、トム・ティルマンスは、主に、仏教論理学を専門としている。彼は、一時期、日本の広島大学に留学していたことがある。ドレイフィスも、もっぱら、仏教論理学を扱う。1997年に大著Recognaizing Reality Dharmakirti’s Philosophy and Its Tibetan Interpretatonを出版し、moderate realismなるダルマキール