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デザイナーのスタートライン

前回の記事の続きの内容になる。自画自賛じゃなく自画自省しようというお話しだった。自分の記事を振り返ってみて、イヤ待てよ?本来そのレベルがスタートラインじゃなかったっけ?と思い、少し前回の続きを書こうと思う。

■前回のお話し

前回は、チェックバックする際に思うことが多い自分の絵の良し悪しを他者に委ねてる人に対して思うこと。それがきっかけで思い出した美大受験の時の体験を通して得た知見について書いてみた。

今回はそれを踏まえ、そもそもデザイナーのスタートラインってもう少し高いはずじゃなかったっけ?ということを書いてみようと思う。


■アートディレクションのざっくり説明

まずは、アートディレクションというお仕事の説明。
筆者はゲーム会社でアートディレクションをしている。
アートディレクションとは、絵の方向性がバラバラにならないよう大所帯(開発規模次第では100人単位になる)のデザインチームを監督するようなお仕事。
詳しくは ↓ を参照頂きたい。

みんなが迷わないようにデザインの指針(コンセプトと呼ばれることが多い)を作ったり、デザインがその指針に沿っているかチェックするのが主な業務になる。


■ディレクション側の問題点

チェックしてコメントしてってだけなら少し楽にはなる。

でも現実問題、人手不足やいくらチェックしても良くならない場合、「代打オレ!」的に自ら作ることも少なくはない。

そういうハメになるのは、誰が悪いわけではなく自分のディレクションの甘さによるもの。そこは自分の反省点。

説明が下手だったり、指示が抽象的過ぎて勘違いさせてしまったり、やたらフィードバックをお待たせしてしまったり…ディレクション側の落ち度がある場合も多い。こういうのは、本当にごめんなさいと思う…

威張ったり非を認めない姿勢でいても誰も得をしないし。
信頼関係が第一なので、そこに歪みが生まれるのが実は一番マズい。

だから「申し訳ありませんでした!」と言うしか選択肢はない。

問題がディレクションする側の自分だけなら楽だ。
違う人間を立ててしまえばいい。
別に自分のことを棚に上げて言うわけじゃないが、ディレクションされる側にもまた別の問題がある場合もある。


■デザイナー側の問題点

前置きが長くなってしまったがココからが本題。

前回の記事のような出来事は、アートに関わるすべての部門で起こる。
それはどうせディレクションを受けるならそこに判断を委ねてしまおうという考え方に基づく。でも委ねるレベルがそれではイカンのじゃないか?と改めて思ってしまったのだ。

●デザイナーならば

やはり自画自省できるレベルがスタートラインであるべきな気がする。デザインの依頼に対して、その字面のままデザインしたものを

「できました。見て下さい。」

ってレベルはデザイナーなのだろうか?

キツい言い方かもしれないが、それだとデザイナーというよりオペレーターに近んじゃないか?そんな気がしてしまうのだ。

デザイナーならば自身のデザインをコンセプトや関連する要素と照らし合わせて、調和の取れたものになっているか?自身の価値観と求められているものを比較する自我自省の結果、

「これじゃまだまだチェックには出せないな~」

とか葛藤は最低限してあるはず。そうあって欲しい。

「できた!」とするデザインの精度は、少なくともそのレベルが最低ライン。同時に、そこのラインがデザイナーとしてのスタートラインだという見方もできる。

そこが無いオペレーター気質というか、そこそこの作業をしてチェックバックを待つというお客さん気質なデザイナーも少なくない。
こういうタイプのデザイナーは若手に関わらず中堅、ベテラン勢でも居たりする。


■勝手に思っている理想的なディレクションのルーチン

アートディレクターもデザイナーもちょっと文字数多いので、以下のように省略します。

・アートディレクター・・・(AD)
・デザイナー・・・(D)

ADとDの省略表現

【指針の伝達~チェックバックの理想的なサイクル】

(AD):デザインの指針を作り、それを説明し要件を伝える
(D):指針、要件をくみ取ってデザインする
(D):指針に沿っているか自我自省する
(D):自画自省で自分OKを出せるか検証を反復
(D):指針へのアプローチ説明をセットでチェック依頼
(AD):絵面それ自体よりは指針のとらえ方をチューニングして行く

あくまで理想、こう上手く行かないのが現実だけど…

勝手に思っている理想のチェックサイクル

このルーチンでは、デザインそれ自体よりプロセス、思考方法を重視する形になっている。だからチェックのコスト修正にかかるコストのロスが徐々に減って行くはずなのだ。

なぜならデザインの良し悪しの判断基準がすり合って行くはずだから。このブレが少なくなるほどに必然的にデザインの精度は自ずと上がって行く。
プロダクションワークが大所帯であるほどこの恩恵を得やすいだろう。

そこに必要不可欠なのが「(D)各自の自我自省」になってくる。

(D)各自が自画自省を実践できると(AD)のチェック内容も変わってくる。"デザイン自体の修正"よりもデザインを作るための"指針のズレ"を正す方向にシフトして行く。

●価値観の画一化よりも多様性に期待

別にマトリックスのエージェントスミスみたいに自分の複製を増やしたいってお話しではない。これは、みんな私になれって危険な思想の話しではないので勘違いしないで欲しい。
こういうプロセスになって行くほど画一化より多様性を生む可能性も上がってくるはず。
だってみんなが言われたことをやるんじゃなくて自分の頭で考えるようになるんだから。

結果よりもプロセスを重んじる考え方になると他にも良いことがある。
(D)から(AD)に成長しやすく候補者の母数も格段に上がる。
結果より思考プロセスを共有できれば(AD)の視点、価値観に触れることができる。だから(現AD)から(次AD)に継承して行く流れが作りやすくなると思うのだ。

その時、自分とはまた一味違うタイプのADが出てきてくれるはず。


■まとめ

と、デザイナーのスタートラインの前提として、自画自省の視点があると色々と好転して行くはず。(D)と(AD)の関係性は本来、こういう形が理想だと思う。

学生の頃、DTPや3DCGが騒がれ始めて学生もみんなPC(なぜか美大はMac)を持つようになった。専門学校もよりアプリケーションの使い方中心の実践的な技術を教える時間を重んじるようになったのだと思う。その方が即戦力として就職には有利と思えるから。
だけど、その考え方はデザインよりオペレーションに寄っている。

残念ながら物作りにおいて肝心なものはその延長線上には無い。

作り手一人ひとりが ”自省” の視点を持っていれば、コンテンツ業界全体の底上げにも一役買ってくれるんじゃないかな?


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