相羽亜季実
透、武、さくら、環は高校の同級生。卒業してから10年、武とさくらが結婚し子供が生まれてからも四人組は親しくしていたが……西行法師の詩から始まる、一途で切ない恋愛小説。
2024年3月に行われた豆島さんの企画『夜行バスに乗って』への参加作品。「帳面町からバスタ新宿まで」の夜行バスに乗った怪しい人物は誰だ!? そして、主人公の抱える事情とは。
「犯人はあなただ!」「さあ、聖杯を取り出せ」「紫式部になりたい!」限界まで潜ったその先にある、指先に触れたものをつかみ取れ。あなたは書くために生まれてきたのだから。
「祐輔さん! 奥さまよりも愛してるって言ってくれましたよね?」 「胡桃ちゃん! ち、違うんだ!」 一人の男をめぐって繰り広げられる女同士のバトル! 顛末やいかに!?
「あなたが一日でしゃべった回数、たったの五回」呆れる妻に指摘されてから、本当に一日五回しか話せなくなった!? 昭和気質の無口なおじいさんは、孫を救うことができるのか!?
第1話 生暖かく湿った風がアスファルトの敷地を這うように近寄ってきて、屋台のテントや幟をはためかせた。結わえた髪がほつれる。 蛍光色のスタッフジャンパーに身を包んだ恰幅のいい女性と共に、さな恵は幟の刺さっていたスタンドに手をかけた。 「せーの」 声をかけ合い、重量のあるそれらを台車の上に並べる。うまくタイミングさえ合わせることができれば、驚くほど重さを感じない。 すべてのスタンドを台車に並べ終えると、さな恵は軍手をはめた両手をはたいた。砂ぼこりが舞う。乱
第27話 12月6日 雪 初めて「死にたい」と願ったのは、小学一年生の時だった。学校の帰りに、当時住んでいた集合住宅の五階から下を見下ろした。 住んでいたのはもっと下の階なのに、わざわざ最上の五階まで上った。それをすれば「自殺」になることも知っていた。 死んで楽になりたい。死にたい。 どうしてあの時、飛び降りておかなかったのか。 小学一年生が五階から転落すれば、きっと「事故」として片付けられた。 傷つけてしまう人も、もっと少なくて済んだ。
第26話 消毒液のつんとした苦い匂いがする。病院の広いロビーを見渡していると、 「柚果!」 父の声に振り返った。スマホを手に駆けてくる顔を見て、不安でいっぱいだった気持ちが和らいだ。 「大翔は」 柚果の問いに、父が力強く頷いた。その表情を見て、安心して膝から崩れ落ちそうになる。 『たった今、会社に連絡があって、大翔が二階から落ちて病院に運ばれたって……!』 生涯学習会館の裏手で父の電話を受けた時は、目の前が暗くなった。一瞬だけ、本当に意識が遠のいていた
第25話 「どうしたの」 加工場の奥からやってきた和志が目を瞠った。柚果は制服の袖をもじもじと引っ張りながら、じっと下を向く。 「その恰好」 和志の言葉に、柚果は自分を庇うように腕を巻き付けた。恥ずかしい気持ちになり、前髪を直すふりをしながら顔を半分隠す。 「ごめんなさい、急に」 そう言って頭を下げた。扉の向こうに、不審そうにこちらを見つめる大人の顔が見えた。 「ここじゃ、ちょっと」 困惑している和志の顔に、柚果の胸が痛む。加工場の扉を閉め、雑木林に向か
第24話 問題集に書きかけた数字を消しゴムで擦り、勉強机の上に転がした。ページの最後にある難問を解き終え、息をつく。 柚果は大きく背伸びをした。椅子をわずかに後ろへ引き、固まった身体をほぐす。室内用のモコモコ靴下は、寒くなり始めてから買った新品だ。 解答と照らし合わせ赤丸をつけると、柚果はペンを置いた。時計を見ると、もう十時を回っている。 ノートを開いた。色のついたペンでチェックを入れてあるところは、 『ここ、ひょっとしたらテストに出るかもしれないよ』
第23話 遠くで鳥が鳴いている。 和志は窓ガラスに寄ると、外を見下ろした。階下の出口から両親が現れ、頭を下げているのが見える。ここからは良く見えないが、見送っているのはおそらく祖父だ。 わずかに母がこちらを見上げたような気がして、和志は慌てて隠れた。しばらく待ってから再び窓の外に目をやると、両親が駐車場へ向かって去っていく後ろ姿が見えた。 冷えたサッシから外の冷たい空気が伝わる。ぶるりと身震いした。上着の前を重ね合わせる。 無人の原寸場は静かだった。いつ
第22話 10月28日 雨のち曇り めまいと頭痛がひどくて起き上がれない。 薬はとっくに切れている。新しいのをもらうには病院に行かなくてはいけないと、母に腕を引っぱられた。 「行きたくない」と泣きながらくり返したら諦めてくれた。 頭痛のせいで、最近は音楽も聞けなくなった。一日中ベッドに横になっているけど、うまく眠れない。目が開いたままこと切れた屍のようだと言われた。 お腹が空かないからほとんど食べない。腕も足も細くなったのに、下腹だけがぽこんと出ている
第21話 歩くたび来客用のスリッパがペタンペタンと音を立てる。廊下の突き当りを左に折れ、手作りのプレートの下がった扉の前で柚果は足を止めた。 中の様子を窺いながらそっと叩扉すると、 「はーい、どうぞ」 聞きなれた親しみのある声が戻ってきた。知らず知らずのうちに抱えていた緊張がほぐれる。 「こんにちは」 わずかに扉を開いて顔を覗かせると、 「あら、柚果ちゃん」 女性が椅子ごと振り返り、目を丸くした。ぺこりと一礼し、柚果が部屋に入る。 カウンセラール
第20話 帰宅したら、ガレージに母の車が停まっていた。試しにドアノブを回してみると、鍵はかかっておらず、すんなり開く。 「ただいま」 奥に向かって声をかけ、ダイニングを覗いた。テーブルでいんげんの筋を取っていた母が顔を上げる。 「おかえり」 その返事だけで、機嫌が悪そうなのがわかる。柚果は冷蔵庫を開け、お茶のボトルを取り出した。グラスに注ぐ。 「今日は仕事休みだったの」 柚果の問いかけに、母はテーブルの上に顎を向けた。 「今日、大翔を連れてそこへ行って
第19話 バスケットボールがバウンドする振動と、シューズと床が擦れる音が響いてくる。校舎と体育館をつなぐ渡り廊下で、遅れて部活に向かう二年生が通り過ぎるのを待ってから、柚果は口を開いた。 「ごめんね、急に」 星奈が微笑み、首を振る。 「こちらこそ、さっきは日菜子がごめんなさい」 志穂と親しくしていた相手を探すことを約束をした時から、真っ先に浮かんでいたのは星奈だった。 志穂が亡くなったという知らせを受けた教室で、声をあげて泣いていた印象が色濃く残ってい
第18話 柚果の話を聞き終えた和志が、口元を曲げたまま小さく呻った。 「……難しいな……」 慎重に言葉を選ぶ和志に、柚果も頷く。 『あの子の話を聞いてくれた人は誰なのか、それだけでも知りたいんです……』 志穂の母の望みを叶えてやりたい。けれどもそれは、和志の言う通り決して簡単なことではない。 相手は同級生とは限らない。違う学年かもしれないし、それどころか別の学校の生徒の可能性だってある。ひょっとすると中学生ですらなく、年上の人物かもしれない。 図書館
第17話 シュッ、シュッと板を削る音がここちよく耳に届いた。手のひらを板に密着させ、細かい部分を加工していく。 わずかな力の入れ具合は、頭で考えるよりも身体が自然に動く。指先の感触を研ぎ澄ませながらも、心は半分だけリラックスするやり方が、最近ではなんとなくわかってきた。 溜まった木くずを吹き払った。削った箇所に触れて滑らかさを確認し、また道具を持ち直す。 静かだった。板が囁きかけてくる声すら、聞こえる気がする。まるで最初からそこに埋まっていたかのようなさ
第16話 9月14日 晴れのち曇り 目が覚めた時はちょっとだけ調子が良いような気がしたけれど、やっぱりだるくなった。 なんだか最近は、あまり薬が効いていない気がする。けれどもそれを言ったら、またクリニックに行かなきゃいけなくなる。それが面倒で、親には黙っている。 午後になって空が曇ってくると、やっぱり頭が痛くなってきた。けれども、吐き気まではしなかったからよかった。 少し治まったので、音楽を聴く。エリック・クラプトンとか、エルトン・ジョンとか、スティ
第15話 「じゃあ、家に鞄を置いたら集合ね」 三叉路の一つを直進していく栞と優愛が、振り返って手を振った。柚果も笑顔で振り返す。 昨夜、栞と優愛とスマホでやり取りをした。元気のない様子の柚果を見かけるたび心配していたと二人から伝えられ、嬉しくて泣きそうになる。久しぶりに幸せなひとときを過ごせた。 嬉しいのはそれだけではない。生徒会と部活でそれぞれ忙しい二人が予定を合わせてくれて、翌日の放課後、三人で遊ぼうという約束にまでなった。柚果にとっては楽しみすぎて、昨
第14話 「では、この問題はどうでしょう」 言いながら、数学の教師が手元の機械を操作した。黒板の前に垂れ下がったスクリーンで、映像が新しく切り替わる。 「さっきの問題はみんなわかったよね。考え方は一緒だよ」 志穂の死から二週間が経っていた。その間、保護者を集めた説明会があり、その次の日には生徒たちの全校集会が行われた。しかしそこでは校長から命の大切さについての話があっただけで、志穂が亡くなった詳しい経緯は語られなかった。 それ以降は授業がつぶされることもな
第13話 雨足が強くなった。風の吹いてくる方向へ傘を向けても、膝から下がびしょびしょになってしまう。 サブバックの持ち手が肘の内側に食い込んで痛かった。けれども、傘を持っているので反対の手に持ち替えることができない。柚果は家に向かって足を速めた。 長いようで、短い一日だった。担任から志穂の死の知らせを受けた朝から、どのように時間を過ごしたのか、あまりよく覚えていない。 『昨夜、隣のクラスの高田志穂さんが亡くなりました』 担任の言葉に、クラス内は騒然とな