取り止めのない話
「取り止めのない話をたくさんしましょうね。」
だって。
せわしなく過ぎる日々。
一人でいるときはどこまでも効率性を好むわたし。それなのに、誰かといるときは「そんなの嫌だ!無駄なんて言わないでよ。」と思う。なんともわがままなわたしだ。
愛おしい誰かとなら
とことん無駄に蝕まれていたい。
なんなら無駄まみれでいい。
話をするときは一般論を持ち込まず、
私とあなた、「ふたりごと」で話したい。
「流行ってる」だとか「よくみんな〇〇だよね」と一般論でおさめられたらたまったもんじゃない。
そう感じるからこそ、
私とあなた、「ふたりごと」で話せることに胸がときめく。これこそ「会話」なのではないかと納得する。この世に「ふたりごと」で話せる人がいて救われた様な気持ちになる。
「電車に乗っています」ではなく、
「電車に揺られています」と表現し、
「〜の匂い」ではなく、
「〜の香り」と言う。
見るも、観るも、
聞くも、聴くも、
しっかり使い分けて想いを伝える。
言葉そのものを一つひとつ
丁寧に丁寧に紡ぐ人だ。
それがなんなのじゃなくて
それがよいのだ。
画面越しでも、
眼を見てお話しするときも、
素敵な言葉を放つだなんて聞いてないよ。まったく。
そんなとき、一体この人はどんなものに触れてきたのだろうか。と想像するだけで体の内側がじんわり温まる。
ああこういうところが好きなんだな。
「取り止めのない話をたくさんしましょうね。」
だもんね。参ったよ。
「取り止めのない話をたくさんしましょうね。」
と、たまにはこういう感情的なものも置かせてほしい☺︎
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