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いま始めたいこと…やっと始める春がきた

この4月から、noteとstand_fmを始めた。
ずっと書きたいと思っていた。
ずっとずっと自分の想いを、形にしたいと思っていた。
けれど長い間、それをできずにいた。
やりたいのにできなかった理由とそれができるようになった理由。
この2つを書いてみたいと思う。

文章を“書くこと”が好きだった。
誰に見せるでもない文章を、幼い頃からせっせと書いていた。

人に読んでもらうことを前提に文章を書いたのは、20代の終わり頃。
「母親」で「妻」で「嫁」なだけじゃない「私」の気持ちを語り合う場として立ち上げたミニコミ誌でのことだった。
楽しかった。楽し過ぎた。

書き始めると、あっという間に時間は過ぎる。
いつの間にか日は傾き、部屋のすみの薄暗がりに小さな娘が、1人ぽつんと座っているなんてことが、何度も繰り返された。
慌てて駆け寄り、抱き寄せると、黙ってしがみついてくる小さな体。
顔を見せまいとする娘に、胸が痛くなる。
ところが、胸を刺す後ろめたさも、翌朝には消えていて、「少しだけ」そう自分に言い聞かせながらキーボードに向かえば、やっぱり頭の中に渦巻く想いを形にすることに、時間を忘れて夢中になってしまうのだった。

書いているときの私には、周囲の音が聞こえない。
あるとき、ふと何かに気付いて、キーを打つ手を止めた。
声だ。
声は、深い水の底から浮上するときのように、ゆっくりと耳に響いてきた。
声のする方へ顔を向けたものの、目に映っているものが何かもわからず、私はしばらくぼんやりしていたような気がする。

不意に、息子の顔が目に飛び込んできた。
まるで得体の知れないものを見たかのように、息子の瞳には怒りとも怯えともつかない色が浮かんでいた。
子供の存在さえ頭から消してしまったことに、私は呆然とした。

私は、自分を止められない。
それがわかった以上、このまま続けるわけにはいかなかった。

「もう書かない」
ミニコミ誌は解散することになった。
解散の残務処理を終えると、仲間は別の団体を立ち上げた。
私は、「私」でいられる場所を失なった。
あの時の私には、書くことをやめる以外の選択肢は見えなかった。
それが、どれほど“自分”を削ってしまうか、わかっていなかった。

子供の手が離れたら、いつだって書けるようになる。
少しの間だけ、大したことじゃない。
私は自分に言い聞かせた。
ところが下の子が幼稚園にあがっても、小学生になり中学生、高校生になっても、私は何も書こうとはしなかった。

自分に“書きたい”気持ちがあることすら、忘れていたような気がする。
“書きたい私”が“母親失格”だった。
ところが私の中には、“母親失格の私”だけが残り、“書きたい”はどこかへ消えてしまっていた。

再び“書きたい”という気持ちを思い出したのは、50歳になる数年前。
書くことをやめてから、20年以上がたっていた。

きっかけは、私の目に問題があることがわかり、仕事を続けられなくなったこと。
特に仕事が好きだったわけではないが、もう2度と仕事に就くことはできないという事実は、私を不安にさせた。

子供たちは成人し、とうの昔に母親を必要としなくなっていた。
「仕事」と「母親」という、社会の中での役割を2つも失った。
私の居場所が、どんどんなくなっていく。

「私は、この先何をして生きていくのだろう。」
膨大な空白の時間を前にして、私は途方に暮れた。

ここでようやく“書く”ことを思い出した。

そうだ。
時間はいくらでもある。
好きなだけ書けばいい。

ところがである。
書けなかった。
いざ書こうとしても、何も思い浮かばないばかりか、集中することさえできなかった。
私は、焦り、自分に問いかけた。
「どうして…」
言い訳でもなんでもいい。そう思うのに、何ひとつ言葉が浮かばない。
自分が、本当に自分なのか、それさえも疑わしく思えた。

20年前の高揚した気持ちを、体ははっきり覚えている。
自分の内側から、後から後から湧き上がってくる想いを文章にすることで、曖昧模糊としていた考えが明らかな形になっていく。
思考が、次へまた次へと繋がり、広がっていくとき、私はどこまでも続く草原を好き勝手に駆け回っているようだった。
心の赴くままに書き進めるとき、私は私でしかなく、ただただ自由だった。

ところが、いま頭の中は空っぽで、乾ききった広い空間が広がるばかり。
写したい風景も、伝えたい想いも、何ひとつ見つけられなかった。

「40歳過ぎたらさ。長い小説、読めなくなったよね」
友人と交わした言葉が甦る。
「面白い!とか、知りたい!!とかいう気持ち、めっきりなくなったね」
そういって笑いあった、これが老いるということか。
笑って受け入れるつもりだった“老い”の二文字に足をすくわれ、這いつくばった私は、泣くことさえできずにいた。

“やりたいこと”にも、それを“やれる”年齢というものがあり、どんな好きなことでも、そのときを逃したら、もう2度と同じ気持ちで向き合うことはできない。
後回しにしていいことなんて、人生には1つもないし、何より時間を忘れて没頭する悦びを、あんな簡単に手放してはいけなかったのだ。
後悔が私を飲み込み、やがて諦めが心を蝕んでいった。
「わたしには、もう何もない」
そう、私は自分を見限った。

いま、こうして文章を書いていることが、私にとっては夢のように思える。
あの時、“書けない”理由を年齢のせいにしていたが、実際はそうではなかった。
私が、書けなくなった理由。
それは過去と未来に囚われていたからだ。

書かずにいた20年を戻せないという後悔と、お金になるわけでもない“書く”ことに、時間を費やす未来への不安。
過ぎ去った時間と先へと続く時間が、私を“いま”に集中できなくさせていた。

“いま”を意識して生きるようになったのは、皮肉なことに“命の終わり”を意識したからだった。
いずれ終わるとわかったら、過ぎ去った時間など、どうでもよかったし、いつ終わるかもわからないのに、先の心配をしたところで無駄だと思うようになった。

生きているのは“いま”このときをおいて他にない。
カラダが一緒にいられる間だけが、生きている時間だとしたら、頭の中だけで完結して、何もしないなんて勿体ないと思うようになった。

何かを始めることをためらうのは、それが可能性を潰すことでもあるからだ。
想像しているだけなら、可能性はずっと残る。
けれど始めるとわかるのだ。
これは自分がやりたかったことじゃない。
自分の思いと違う現実が見えてくることもある。

それでも始めてみたいと思った。
何をやってもやらなくても、いつか人生に終わりはくるのだし、もっと早く始めていればよかったと後悔したところで、始めなければその後悔が消えることはない。

始めてみれば、自分にがっかりすることばかりになるだろうと想像していたのに、これは年の功なのか、意外にも、ほんの些細なことにさえ「ああ頑張ったね。よくできた」と行動した自分を褒め称える私がいた。

これは、きっと他人様と比べないからだろうと思う。
顔の皮が厚くなってきたお年頃ではあるものの、幾ばくかの恥ずかしい気持ちはあるから、誰かと比べたら、さすがに能天気に自分褒めなどやれないかもしれない。
けれど私にとって大切なのは、“自分が気分よくいられるかどうか”ということと、できる間に“自分を使い倒したい”ということだけ。
心とカラダが楽しくなることを、1つでも多く、少しでも長く、体験するために、生きる時間を使いたい。

その第一弾が、noteとstand_fmだ!!
長く続けられたらいいなと思う。


noteの文章を、stand.fmで読んでいます。
よかったら、聴きに来てくださいね。


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