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NZからAUSに引っ越した

オーストラリアの大都会の片田舎で、この記事を書いている。

NZに住んで10年。国をまたいで引越しすることが決まってからというもの、怒涛の日々が続いていた。

発端は去年の12月。ちょうど日本から家族が来て、2歳になる息子に初めて対面して大騒ぎしていたところに、オーストラリアの某エアラインからメールが届いた。

「We are pleased to invite you to our selection process…」

まじか。

でも、どうせ受かるわけないし、色々想像は膨らむけれどまぁとりあえず受かってから考えるかー。で、会社に言われるままにオンラインアセスメントを受けていたら、面接の招待が来てしまったのだった。

面接は今年の3月くらいだったと思う。よく覚えていない。初めてオーストラリアに足を踏み入れて、二階建てのタウンハウスをAir BNBで予約し、二階が全てぶち抜きのリビング兼ダイニングになった間取りで、まぁ、これなら住めなくもないか、なんて思いながら一階の本棚にたまたまあった「QF32」というカンタス航空の歴史に残る航空機事故(全員生還)のパイロットによる手記を読み耽った。

翌日、面接に向かう直前、スーツのジャケットを羽織ると、今まさに受けようとしている航空会社のボーディングパスが脇のポケットから出てきた。昔乗った時のボーディングパスだ。なんという偶然。これは面接で使えるぞ、と考えて、ニヤニヤしながら面接会場に徒歩で向かう。11時開始だったので、比較的ゆっくりだった。

面接、シミュレータ試験の様子は、別アカウントの記事にまとめてあるので詳しく書かないけれど、今まで受けたエアライン面接の中で最もシンプルで、楽しいものになった。うーむ。まったく遠くまで来たもんだ。

その日、家に帰る途中で、信じられないニュースが妻から知らされた。このnoteでもよく登場していた、うさぎの「コップ」が死んでしまったのだった。ちょいちょい前から体調を崩しがちになっていたのだが、私が面接を受けている日に急に体調を崩し獣医に連れて行ったが助からなかった。なんというタイミングだろう。妻は、私を邪魔しないように伝えるの控えたのだという。帰ったら、うさぎ小屋だけが残っていた。極小のネコバスみたいなあの感触を、今でもまだ鮮明に覚えている。

合否は、すぐにはわからなかった。

そして、忘れた頃にやってきた。

https://twitter.com/ash_zk/status/1716280873300181076

つづく

たくさんの方々からサポートをいただいています、この場を借りて、御礼申し上げます!いただいたサポートは、今まではコーヒー代になっていましたが、今後はオムツ代として使わせていただきます。息子のケツのサラサラ感維持にご協力をいただければ光栄です。