見出し画像

出産後、妻は女王になり、私はゲリラになった。

身重の妻と暮らしているうちに国がロックダウンになり、毎日一緒に散歩に行くようになった。

画像1

冬でも青い西洋芝の公園をぐるりと周り、紅葉した桜を見ながら歩いていると、色々な話が出てくる。会社が潰れるんじゃないかとか、noteでどうやったら小遣い稼げるんだろとか、あとはもちろん、子供が産まれた後の話とか。

思うに、夫婦間でこうやって何気ないコミュニケーションをどれだけ散りばめているかは、子供が産まれた後の生活で発生する問題解決に、決定的な役割を果たすと思う。

NZの産休・育休制度おさらい

ところで、この記事でも書いたが、ニュージーランドの育休制度は、充実している方だと思う。記事で書いた、育休について聞いたマネジャーの言はこうだった。

「Primary Carerは、22週間、その配偶者は2週間の有給休暇が取れて、その後は無給になるけど1年間まで延長が認められているのよー。」

非常にざっくりいうと、ある夫婦を考えた場合、妻は1年、夫は2週間の休みが法律によって保障されている。妻の1年は、夫に分けることもできて、分けた分、妻の休みが減る。そして、妻の1年のうち約半年弱は、政府から週5万円程度の育児補助金が出る。こういう仕組みだ。会社は、その申し出を断ることはできないし、休みを取ることへの社会的な理解があるため、育休を取らない人はいない。

・Primary Carer(PC)とは、「主たる育児責任者」みたいな感じ。通常は母親がなるが、申請すれば父親でもいいし、事情と実態があれば祖父母もなれる。これにより、誰が22週間の休暇になるかが決まる。
・PCが取る22週間の休暇は、正確には有給休暇ではなく、国に給付金を申請する形になる。一定のキャップはあるので、稼ぎが多い人は、所得が下がることもある。
・1年の休暇の延長は、PCの最初の22週間(5.5ヶ月)を差し引くので残りは6.5ヶ月。PCと配偶者がシェアしてもいい。
・1年間の育休を取っていなくなることを理由に、会社がその従業員を解雇することはできない。「そんなに休んだら席がなくなる」は法律で禁止されている。

何しろ、首相が就任後いきなり育休をとる国だ。

ゲリラによるオムツとミルクの2正面作戦

私も当然、育休を取って妻の出産に立会い、今日まで妻を女王のように扱いながら家事の全てとうさぎの世話とオムツ替えと買い物を担当している。つまり、授乳以外全て(ミルクは私)だ。

それに加えて、新生児特有の夜泣きに対応する作戦を立案し、実行している。

まず、夜は息子と私がリビングで寝て、妻に息子の泣き声をあまり聞かせないようにする。息子の要求には私がまず最初の窓口になり、要求がオムツなのか空腹なのかそれ以外なのかの切り分けを行い、空腹だった時に初めて寝室に行って妻を起こす。妻の肉体的、精神的な回復を当面の作戦目標にしているためだ。

もともとリビングでのオムツ交換を効率化するために格納式の壁面交換台を設置してオムツ等の補給を済ませておいたことに加え、私のオムツ交換技術自体が2日で職人レベルとなって作業はスムースそのもの。出産翌日に、病院で初めてオムツを換えたときのもたつきとは雲泥の差だ。

画像2

20式壁面格納交換台

更に言えば、そうしてオムツを換えている間にキッチンでは哺乳瓶が電子レンジの中で消毒され、ケトルでは湯が沸騰している。それまでギャン泣きしていたのに、秒でオムツを換えられてハニワ顔をしている息子を安全な場所に置いた後、妻を呼びに行って最終兵器「おっぱい」の出動を要請するのだ。長篠合戦を指揮した信長も真っ青のオムツ、おっぱい、ミルクの三連波状攻撃である。

かくして、オムツとミルクの2正面作戦を実施するインフラとその運用手順を早期に構築したため、現在慢性的な睡眠不足はあれど、戦線は維持できている。

涙を浮かべて謝る妻

実は、私も多くの夫の例にもれず、出産前、家事は「分担」していた。自分なりに一生懸命やっていたつもりだったが、妻の不評を買うことがよくあった。自分のタイミングとやり方でやると、どうしてもお互いの求めていることとズレが出てしまう。それは仕方がないが、モヤモヤはあった。

それでも家事全般の指揮を取ることを決意したのは、病室でギャン泣きする息子に涙を浮かべながらなんども謝る妻を目撃した時だった。あ、これはやばいやつだ、とその緊急性と重要性を理解して、妻の精神的、肉体的な回復を最優先事項とした。そのためには、私が「全ての」家事をやることが必要だったし、そのためのインフラと計画を整える必要があった。

出産直後の女性は、ホルモンの分泌が大きく変わって肉体的にも、精神的にも非常に不安定になる。また、新生児の睡眠サイクルは3時間ごとと言われていて、それはつまり夜も3時間ごとに起きてミルクをあげなければならないことを意味する。この二つのことが同時に起こると、最悪の場合、母親は生まれたばかりの子供に憎悪を抱き、傷つけてしまうことすらある。

そういう情報は、前回書いたParental Classで講師のおばちゃんが男性陣を睨みつけながら言ったものだが、その話を聞いていなかったら、もしかしたら息子に謝る妻を見てもなんで?と思うだけで家事全権委任の決断はできなかったかもしれない。実際、私はギャン泣きしている息子の隣でスヤスヤと眠るという、ゲリラ兵士のような振る舞いをしているが、この時期の母親にとって、子供の泣き声というのは自分が責められている気がして耐えられないようだ。

そのおばちゃんは冗談めかして「奥さんを女王さまのように扱うのよ」なんて言っていたけれど、その言葉は冗談でもなんでもなかった。

画像3

正直に言って、男は胎児が母親の中にいる間、自分の子供が育っているという実感を持つことが難しい。少なくとも私はそうだった。だから、事前にどういうことが起きるのかを知らされていたことと、妊娠期間中に妻と散歩をしながら様々なことを話し合ったことは、クリティカルだった。この二つがなかったら、私も下記の漫画に出てくるような夫になっていたかもしれない。

それにしても、子供が産まれるときに夫が仕事をしているのは、日本では当たり前なのだろうか。日本で育休をとった経験がないのでわからないが、自分の子供が産まれても仕事を休めない社会とは、いったいなんなんだろう。

変えていかなきゃいかんのではないですか。

命のやり取りに立ち会った話」へつづく

たくさんの方々からサポートをいただいています、この場を借りて、御礼申し上げます!いただいたサポートは、今まではコーヒー代になっていましたが、今後はオムツ代として使わせていただきます。息子のケツのサラサラ感維持にご協力をいただければ光栄です。