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(小説)八月の少年(二十二)

(二十二)1945年駅
「ご安心下さい。この列車は水の中でも平気ですから」
 車掌が現われた。
「何?」
 けれど車掌の言う通りだった。列車は川の中に沈んでいるのに不思議と水は浸入して来なかった。恐る恐る窓の外を眺めた。列車はゆっくりゆっくり沈んでゆき、やがて川底に到着すると止まった。外はまっ暗で何も見えない。時より魚がガラス窓に当り驚いたように逃げていったがそれ以外は静かだった。しーんと静まり返った暗黒の世界。列車はじっと止まったままだった。
「いつまでこうしているのかね?」
 車掌に尋ねたが返事はなかった。
「故障でもしたのかね?」
 再び問いかけると車掌は小さな声でささやくように答えた。
「お静かに願います」
「しかし、きみ」
 車掌は人差し指を口に当てた。しーっ。仕方なくわたしは黙った。


 どの位時が流れたろうか。不意に汽笛がひとつ鳴った。その音はすぐに川の水に吸い込まれた。と突然。
「到着いたしました」
 車掌がつぶやいた。
「え?何処へ?何処に到着したのかね?」
 わたしはわけがわからず車掌に尋ねた。車掌はゆっくりとかみ締めるように言った。
「1945年駅」
「何?1945年駅」
 沈黙が落ちた。車掌は音もなく歩き去った。

「そうか」
 わたしはひとりつぶやいた。1945年になったのか。再び汽笛が鳴った。列車が動き出すのだろう。そうだ、これから1945年駅を発車するのだ。
 もう引き返せないんですよ。もう、なにもかも。
 わたしたちは、そこへ向かっているのです。
 不意に車掌の言葉を思い出した。
 わたしたちは、そこへ。そこへ。そことは?そうか!わたしは急いで切符を取り出した。
 "Manhattan express August 6th,1945"
 それから懐中時計の止まった時刻を確かめた。
 8時15分。
 そうか、とうとうそこへ走り出すのだね。わたしはゆっくりと目を閉じた。祈るように、眠るように。列車の汽笛が鳴り響いていた。ゆっくりと列車が動き出すのがわかった。

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