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新しい愛の美 -フィリッポ・リッピの絵画について


 
【月曜日は絵画の日】
 
 
教科書に載るような、古今東西の大芸術家でも、好きかと聞かれると難しいものがあったりします。

ルネサンスで言うと、三大芸術家、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロは、偉大だとは思います。

しかし、物凄く好きかと言われると、そもそもそういう対象として見たことがないとしか言いようがないところがあります。
 
そんなルネサンスの中で好きな画家は誰かと言うと、フィリッポ・リッピかもしれません。優れた技巧を持ち、それでいて瑞々しさもある。そして、ある種の愛によって開かれた画家だからです。




フィリッポ・リッピは、1406年、フィレンツェ生まれ。ダ・ヴィンチ誕生より50年前ですから、ルネサンスでは比較的初期の人です。

フィリッポ・リッピ自画像(右)


 
孤児となり、修道院に預けられ、大変なわんぱく小僧でした。修道士となって、絵画に才能を示し、マザッチョら偉大な先輩画家からも教えを受けつつ、壁画制作等で頭角を現します。
 
やがてその才能は、フィレンツェを治めるメディチ家の当主、コジモ・デ・メディチ(通称老コジモ)の目に留まります。
 
名高いメディチ家の中でも最も強い権勢を誇った銀行家で、ブルネレスキ、ドナテッロといった偉大な芸術家のパトロンでもあった男。そんな老コジモの下で、リッピは順風満帆なキャリアを歩むかに思えました。


コジモ・ディ・メディチ




しかし、卓越した才能を持ち、陽気で多くの弟子から慕われるリッピには、一つ大きな問題がありました。大変な女好きだったことです。それも、大のというレベルではなく、過度の女好きと言えるほどでした。
 
ルネサンスの芸術家たちを記した伝記を書いたジョルジョ・ヴァザーリによれば、気に入った女性を見つけると、自分のものを手あたり次第貢いで追いかけ回し、断られると、せめて絵を描かせてほしい、と懇願していたとのこと。

あまりに放蕩が過ぎる(というかそもそもリッピは修道士です)ため、老コジモに仕事場に閉じ込められると、何と窓を破って脱走。老コジモも呆れて以後は口出ししなくなったといいます。




ここら辺はまあ、ちょっと面白おかしく脚色されている部分があるかもしれません。しかし、1456年、当時23歳だった修道女ルクレツィアと駆け落ちします。
 
修道士と修道女という許されない状況で、当然大問題となりましたが、老コジモの力で、二人とも還俗を許され、夫婦に。持つべきものはパトロンというか、最初から還俗させるべきだった気もしますが。
 
その後は妻をモデルに多くの名作を描き、優れた弟子にも恵まれました。

息子のフィリッピーノは、人気画家になります。そして何より、『ヴィーナスの誕生』や『春』で名高いボッティチェリは、リッピの弟子であり、女性の優美な表現には、師からの影響が見られます。


ボッティチェリ『春』
ウフィツィ美術館蔵




リッピの絵画では、ルクレツィアをモデルにした後期の絵画が、素晴らしい出来です。『聖母子と二人の天使』(1959年)では、その優美な姿が見られます。
 

フィリッポ・リッピ『聖母子と二人の天使』
ウフィツィ美術館蔵


聖母の顔は、広いおでこに、切れ長の細い目、まっすぐ通った鼻筋に、しゅっと締まった頬。
 
美人ではありますが、実はかなり個性的な顔立ちと言えます。それも、聖母のような母性というより、クール・ビューティ的です。
 
どこか両性具有的なところもあり、ツンとした感じもあります。聖母だけでなく、『ヘロデ王の饗宴』では、サロメのモデルにもなっていると言われ、その軽やかに舞う姿も美しい。実際のルクレツィアがどのような女性だったのか、想像が膨らみます。


フィリッポ・リッピ『ヘロデ王の饗宴』(部分)
プラート大聖堂蔵フレスコ画
ルクレツィアがモデルと言われるサロメ


リッピの魅力は、こうした優美な女性像だけではありません。
 
例えば、『聖母子と二人の天使』での、薄い水色を効果的に生かした山や空は、後世のダ・ヴィンチの『モナリザ』の背景を先駆けていると言っていいでしょう。
 
また、布の質感は特に素晴らしい。聖母の頭のヴェールの薄い感触は、それまでにはない繊細さを感じさせます。女性のスカートのひらひらという柔らかさも、明らかに新時代を感じさせます。
 
これらの優美さは、同時代のフラ・アンジェリコの、固い表現とは対照的です。敬虔で真面目な修道士フラ・アンジェリコと、好色で破天荒な破壊僧リッピの違いが表れていると言いたくもなってきます。


フラ・アンジェリコ『受胎告知』
サン・マルコ美術館蔵


 
しかし、それは決して錯覚ではない気がしています。リッピがルネサンス絵画にもたらした、大切な要素が表れているように思えるのです。




つまり、自分の愛する人をモデルに描いていくうちに、それに付随する表現もまた、柔らかく、より理想から現実に近づいたのではないのでしょうか。
 
まるで、優美な女性を描いていくうちに、その優雅さ、柔らかさが滲み出て、身に纏った衣装や背景を、薄く染め上げたかのようです。風にそよぐヴェールや、淡い色の雲には自然とは違う官能が息づいています。
 
そこには、リッピの卓越した技量が勿論あるわけですが、同時に、そうした優美さや官能を画面に描いてとどめたいという強い欲望が働いているように思えます。

技巧があれば何でも表現できるわけではない。自分の愛する人を優雅に描くことが、それ以外の小物や背景の表現のありようをも変えたように思えるのです。

フィリッポ・リッピ『聖母子と二人の天使』
(再掲)




もしかすると、ルクレツィア自身が、そこまで官能的で肉感的な女性ではないことも、表現の良さに繋がっているかもしれません。

特に『聖母子と二人の天使』は、聖母の程よい清潔感と優美さが、かえって背景や小物の官能的な質感、そして、幼児たちのふてぶてしい肉感を引き立てています。
 
ここにある全体が、宗教の理念の調和ではなく、生きた人間と、人間にとって心地よい表現になっているのです。




勿論、後期の全ての女性がルクレツィアをモデルにしているわけではないでしょう。活動前半のリッピの絵画も素晴らしいものです。
 
しかし、そこにもう一つ、ほんの一滴の魔法の雫を垂らすことで、素晴らしい化学変化が出来上がり、新たな美が生まれました。このほんの一滴があるかどうかで、真に新しい名作ができるかどうかが変わってきます。
 
リッピの場合、その魔法の一滴とは、愛。それは、女性を追いかけまわし、その美しさを画面にとどめようとした男が得た、真の愛であり、新しい美として歴史に残ることになったように思えるのです。



今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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