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生の喜びが踊る -マティス展を巡る随想


 
【月曜日は絵画の日】
 
 
国立新美術館で開催中の『マティス 自由なフォルム』展に行ってきました(5/27まで)。絵画だけでなく、彼の晩年のモニュメントの一つであるヴァンス礼拝堂を再現したパヴィリオンもあり、マティスの特色が立体的に分かる、非常に面白い体験でした。




アンリ・マティスは、1869年、フランス生まれ。最初は法律事務所で働いていましたが、ふとしたきっかけで絵画に目覚め、1891年にパリに出て、官立美術学校の教授だった画家ギュスターヴ・モローの元で学びます。


アンリ・マティス


 
モローは『サロメ』等の特異で耽美的な象徴主義の画風で知られますが、弟子たちには自分の作風を押し付けることなく、ただ古典から自由に学ぶように言って、それぞれの画風を尊重していました。人格者で優れた教育者であり、マティスやルオーを始めとする優れた画家が門下生にいます。

そのモローに、マティスは「君は絵画を単純化するために生まれて来たね」と言われたというのは、非常に興味深いところです。
 
1905年のサロン・ドートンヌ展覧会に、アンドレ・ドランやヴラマンクらと共に、大胆な色彩構成の絵画を発表し、『フォーヴィズム(野獣主義)』と称され、注目を浴びます。
 
その後、幾度かの作風の変遷もありつつ、キャンヴァスの絵画にとどまらない、壁画や装飾も大量に手掛け、ピカソと並ぶ20世紀前半美術の巨匠となります。1954年、85歳で亡くなっています。




マティスの作品で目に入ってくるのは、何といってもその鮮やかな色彩でしょう。それも、あまり他に例を観ない、パワフルな鮮やかさ。
 

『赤の調和、赤い室内』
エルミタージュ美術館蔵
(※)今回の出品作ではない


フォーヴィズム時代に限らず、その色彩は原始的で荒々しい感じがするのに、何度も観ると、それが生き生きとした感覚を呼び覚ます。それは、展覧会のタイトルにもある、自由なフォルムによるものが大きいです。




マティスの作品を一言で言うと、色彩の螺旋運動です。
 
螺旋というのは、円形を描くけど、円環のように閉じて完結しているのではない。円をはみ出し、膨張と収縮を繰り返し、楕円に形を変えて、どこまでも変化していく。そういう、生き生きとした運動に乗った色彩を捉えようとした過程のように思えます。


『ジャズ』より『サーカス』




例えば、マティスの人物画で特徴的なのは、腕を頭に巻き付けるようにして組んで添えている姿です。

『夢』
パリ近代美術館蔵
(※)今回の出品作ではない


場合によっては窮屈そうにも見えるそのポーズは、人物から溢れ出て、渦を巻くような運動を導きます。それゆえに、色彩が一つの場所にとどまることなく、流れるように運動しているような感覚をもたらします。
 
また、彼が壁画に描いた巨大な「ダンス」も、人々が手を取って、脚を曲げ、ぐるぐると螺旋を描くようにして、踊るダンスです。当然、人物がくっつきあってまっすぐ背筋を伸ばす、舞踏会のダンスではありません。


『ダンス、灰色と青色と薔薇色のため習作』
マティス美術館蔵




なぜ彼はそういう絵を描くのか。恐らくは自分で見るのも好きだし、同時に、そういった螺旋状に動く、楕円形の色彩を作るのが好きなのだと思っています。
 
私が好きな彼の写真は、壁画のために、杖のように長い棒で円を描く制作中の写真です。おそらく、全身でその運動を描き、体感することを楽しんでいるように思えるのです。
 

壁画『ダンス』制作中のマティス




こんな画家なので、マティスにとって、実のところキャンヴァスはそれほど重要ではありません。楕円状の色彩さえあればいい。それを組み合わせて、運動を作る。その発想で作られたのが、後年の「切り絵」シリーズでしょう。
 
筆を持って描くのが困難になったため、まずアシスタントに、指定した色の絵の具を塗ってもらった紙を、何枚も用意してもらいます。

それを自由に切って、組み合わせる。こうして、キャンヴァスと筆から解き放たれ、彼の作品が更なる変化を遂げるのです。
 
私が一番好きなマティスの作品は、この切り絵をまとめたシリーズの『ジャズ』です。ここでは、まさに色彩が踊っています。そこに添えられた筆記体の文字も一緒に螺旋を描いて踊っている。彼のポテンシャルが、切り絵という発想で最高に花開いたように思えるのです。


『ジャズ』より『イカロス』




ところで、そんなマティスは晩年、フランス南部にあるヴァンスの礼拝堂の室内装飾を手掛けています。本人は自身の集大成であり、最高傑作であると満足していました。
 
私はずっと、その考えが今一つ分からないでいました。

宗教的なバックグラウンドはない人です。装飾を好んでいるのは分かりますが、なぜ教会なのか。おそらくは、教会の直線的な空間(十字架は直線の組み合わせです)を、楕円形で埋めてみたかったのだろう、ぐらいに考えていました。




今回の展覧会で、ラストにその教会内を再現したパヴィリオンがありました。白い室内に、楕円形の装飾があります。ステンドグラスは青・緑・黄色の楕円を組み合わせたものです。
 
照明の動きによって、日が昇って沈むまでの様子が5分ほどに圧縮されて再現されます。
 
夜明けと共に、ステンドグラスに日が差し込みます。白い床には、青と緑と黄が縒り合された糸のような、細い線の模様が出来ます。
 
やがて日が高くなると、その線はゆったりと膨らんで、青・緑・黄色の楕円へと変化していきます。その模様は日の傾きと共に変化して、縮んでいき、夕日と共に細い線に戻り、消えていきました。


ヴァンス礼拝堂の原寸大再現




この動きを見て、私はようやく気付きました。マティスの意図とは、ステンドグラスと太陽光によって、色彩の螺旋運動の永久機関を作ることだったのです。
 
太陽は必ず昇り、沈みます。それを利用して、ステンドグラスという、光を色で染める装置を変化させる。季節や時刻によって日光の色も変化しますから、毎日一つとして同じ色や形の模様にはならず、しかも、誰もいなくても運動を続ける。
 
まさに、彼が絵画で目指した色彩運動の集大成であり、そのアイデアの豊富さに感嘆しました。




マティスが抽象絵画に向かわなかったのは、抽象絵画だと、その色彩がどうしても形だけになって、静止して閉じたものになってしまうからのように思えます。
 
ダンス、教会、肖像、装飾といった具体的な文脈があるからこそ、そこを飛び出そうとする色彩によって、運動は起こる。それこそが、捉えるべき、生の喜びである。そんな風に感じていたのではないでしょうか。


『花と果実』
マティス美術館蔵


そして、その始まりで「君は絵画を単純にするために生まれてきた」と喝破したモローの眼の確かさにも、改めて感服しました。

絵画を色彩の運動に単純化しつつ、それにとどまらず、様々な芸術を創りあげたマティス。その素晴らしさを、是非体感いただければと思います。



今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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