天文学者のひとり言

天文学者です。 キーワードは銀河、銀河中心核(超大質量ブラックホール)、ダークマター、…

天文学者のひとり言

天文学者です。 キーワードは銀河、銀河中心核(超大質量ブラックホール)、ダークマター、宇宙論です。 銀河の誕生と進化、そして超大質量ブラックホールの誕生と進化。 宇宙史の中でこれらの出来事がどのように起こったのか調べています。 趣味は読書と園芸です。

最近の記事

「宮沢賢治の宇宙」(55) 「天気輪の柱」は花巻以外の山にあるのか?

「町外れの丘」の町は花巻以外も可とする『銀河鉄道の夜』では、「天気輪の柱」は「町外れの丘」の上にあるとされていた。いろいろな状況証拠から町は花巻である可能性が高い(note「宮沢賢治の宇宙」(41)「天気輪の柱」はどこにある? https://note.com/astro_dialog/n/n2b5edfca800b)。 しかし、『銀河鉄道の夜』は創作童話であり、町を花巻に限定する必要はない(図1)。 町は花巻でなくてもよいとすれば、「町外れの丘」にはどのような候補がある

    • 懐かしさの徒然に(4) 背中を押したのは誰ですか?

      発車のベルに背中を押され駅で列車(電車)が出るとき、発車を知らせるベルやテーマ音楽、そしてアナウンスが流れる。駅のホームには、日常と共に、さまざまなドラマが潜んでいる。最もドラマティックなのは、列車(電車)が出るときだろう。人の別れが絡んでいる可能性があるからだ。 発車のベルに背中を押され はつかり5号に乗り込みました この一文で始まる歌がある。『はつかり5号』という歌だ。 フォーク・デュオのBUZZが1975年11月にリリースした歌だ。BUZZ といえば日産スカイライ

      • 懐かしさの徒然に (3) サイコロ振って、振り出しに戻る旅

        苫小牧発、仙台行きフェリー大学時代、北海道の大学に通う友達と東北縦断旅行をしたことがあった。二人の友達は苫小牧発、仙台行きフェリーでやってきた。私が仙台に住んでいたからだ。フェリーに乗船した友達は私に電報を打ってくれた(図1)。 「八ヒ一〇ジツクムカエタノム」 これは「(10月)8日10時に着くので、迎えを頼む」という内容だ。7日の夜に電報を受け取った私は、翌日(8日)、朝早めに起きて仙台港に向かったのは言うまでもない。今ならスマホでライン連絡だが、当時はこんなアナログな

        • 懐かしさの徒然に (2) ある雨の日の心象スケッチ

          ある雨の日の出来事この歌は次のように始まる。 バスが止まって外は雨が降っている ある雨の日の風景だ。少し不自然な文章ではある。普通なら    外は雨。 → そんな雨の中、一台のバスが止まった。 こういう流れになるのではないだろうか? さて、この歌をご存知だろうか? ご存知の方は吉田拓郎のファンかもしれない。私のように。 吉田拓郎のファンでなくても知っているのは『結婚しようよ』だろうか。1972年のリリース。なんとこのレコードの売り上げは40万枚。一介のフォーク・シン

        「宮沢賢治の宇宙」(55) 「天気輪の柱」は花巻以外の山にあるのか?

          懐かしさの徒然に (1) 砂浜は熱いのか?

          つま先立てて海へこの歌は次のように始まる。 つま先立てて海へ 砂浜はとても熱いのだろうか? 足は火傷しないだろうか? 心配になる。 ところが、意外な展開になる。 モンロー・ウオークして行く なるほど、それでつま先を立てて歩いていたのか! 潮風よ、優しく吹いてくれ昼下がりのざわめく浜辺 歩いているのは綺麗な人なのだろう。 噂のうず 巻き込む潮風 潮風よ、優しく吹いてくれ。そう願わずにはいられない。 南佳孝の『モンロー・ウオーク』は1979年4月21日にリリース

          懐かしさの徒然に (1) 砂浜は熱いのか?

          バルコニアン(12) 番外編―ケンブリッジ・ブラックホールへの道?

          ヴィクトリアン・テラスド・ハウスのカラー写真が見つかった前回のnoteでイギリス・ケンブリッジの話をしました。 私が借りていた住まいはヴィクトリアン・テラスド・ハウスという古風な二階建ての長屋でした。1階にはキッチンとリビング、中二階にトイレとお風呂、2階に寝室という構造でした。そしてキッチンを出たところには結構広い庭があったのです。 部屋の様子を見てもらうために写真を2枚お見せしましたが、モノクロの写真だったので驚かれたかもしれません。探したのですが、なぜかモノクロの写

          バルコニアン(12) 番外編―ケンブリッジ・ブラックホールへの道?

          「宮沢賢治の宇宙」(54) 宮沢賢治は科学者だったのか?

          科学者としての宮沢賢治前回のnote「宮沢賢治の宇宙」(53)で「宮沢賢治は科学者に向いていたのか?」という話をした。 https://note.com/astro_dialog/n/nf2d6f89d924a 「科学者に向いているのか?」という話をする前に、本来は、「科学者とは何か?」を明らかにしておく必要がある。 前回のnoteで斉藤文一の次の文章を紹介した。 賢治はまた、優れた科学者であったが、その根っこのところには、自然の神秘に対する畏敬の念があった。空に浮かぶ

          「宮沢賢治の宇宙」(54) 宮沢賢治は科学者だったのか?

          「宮沢賢治の宇宙」(53) 宮沢賢治は科学者に向いていたのか?

          科学者としての宮沢賢治数年前、宮沢賢治の童話『銀河鉄道の夜』を読んで、いたく感心した。今から100年も前に書かれた童話だが、当時の最先端の天文学の知識を持って書かれているように感じたからだ。「いったい、どうやって勉強したのだろう?」正直、そう思った。 賢治の科学的センスの良さなのだろう。しかし、賢治の履歴を見ると、賢治は科学者ではない。賢治は盛岡高等農林学校(現在の岩手大学)の農芸化学科で学んだ。卒業後は教授から勧められたものの、盛岡高等農林学校に残って研究者の道を目指すこ

          「宮沢賢治の宇宙」(53) 宮沢賢治は科学者に向いていたのか?

          ゴッホの見た星空(24) 金沢で出会ったウルトラマリン(群青色)

          ウルトラマリン以前のnote「ゴッホの見た星空」(9)「《ウジェーヌ・ボック》の肖像の背景の星の謎」でウルトラマリン、群青色の話をした(図1)。https://note.com/astro_dialog/n/ne0571cde5ab5 ウルトラマリンは天然石の半貴石であるラピスラズリ(日本名は“瑠璃”)を原料とした絵具を使うと出る色だ。これは金と同程度に高価な絵具である。ウルトラマリンを多用した画家としてはフェルメールが有名だ。ゴッホは、弟テオの支援のおかげで、ウルトラマリ

          ゴッホの見た星空(24) 金沢で出会ったウルトラマリン(群青色)

          バルコニアン(11) 番外編―イングリッシュ・ガーデン

          イギリスで見た銅葉の思い出前回のnoteで、仕事で訪れたイギリス・ウエールズの町、カーディフで見た銅葉の木の話をしました。街の中のやや広い公園で見た景色です。一面の緑の芝生。ところが視線の先には銅葉の木がひとつあり、緑の上に輝いて見えました。当時は園芸にそれほど興味を持っていなかったのに、いつか庭を持つなら、銅葉の木を植えたいものだと思ったわけですから不思議です。よほど銅葉の木の美しさが印象的だったのだと思います。 イングリッシュ・ガーデン考えてみれば、イギリスは園芸大国で

          バルコニアン(11) 番外編―イングリッシュ・ガーデン

          バルコニアン(10) モミジとカエデ

          若葉萌ゆる五月五月ともなると、木々の若葉が萌え出し、ルーフ・バルコニーも美しくなります。バルコニーなので大きな木はないものの、モミジやカエデの若葉が楽しめます(図1)。 葉の色と形葉の色、葉の形。モミジとカエデと言っても、かなりヴァリエーションがあります。 今まで、葉の色の違いには気づいていましたが、葉の形の違いに気づいたのはバルコニーで園芸を始めてからです。また、図1を見ておわかりのように、葉の色も微妙に違います。さすがに銅葉は緑というより赤に近い色なので差が歴然です(

          バルコニアン(10) モミジとカエデ

          「宮沢賢治の宇宙」(52) 天気輪の柱に決着を

          天気輪の柱宮沢賢治の童話『銀河鉄道の夜』に出てくる「天気輪の柱」の正体を探ってきた。note「宮沢賢治の宇宙」(41)、(43)、(44)、(46)から(51)を参照されたい。気が付けば、こんなに書いてきたのかと驚いてしまった。 天気輪の柱の賢治による説明『銀河鉄道の夜』に出てくる天気輪の柱に関する記述をみておこう(図1)。賢治による説明はこれだけである。童話は創作なので、図1にある説明を100%受け入れる必要はない。しかし、考えるガイドラインとして、重要な情報である。

          「宮沢賢治の宇宙」(52) 天気輪の柱に決着を

          バルコニアン(9) バルコニアンが気をつけること

          バルコニアンもなかなか大変ルーフ・バルコニーで園芸を楽しむ。それはバルコニアンの喜びです。ただし、いくつか注意すべきことがあります。それをまとめてみました(図1)。 重いものを持ち込まないnote「バルコニアン」(4)でお話ししたように、マンションの場合、約10年で大規模修繕が入ります。その場合、バルコニーを片付けないといけません。敷石やレンガなど、重いものをたくさん入れてしまうと、片付けがとても大変です。そもそも鉢植えひとつでもそれなりに重いので、庭を作るときには注意が必

          バルコニアン(9) バルコニアンが気をつけること

          「宮沢賢治の宇宙」(51) イーハトーブへの旅で「天気輪の柱」の正体はわかったのか?

          「天気輪の柱」を探して花巻と盛岡へ今回、一泊二日のタイトな日程で花巻と盛岡を訪れたのは、賢治の生まれ故郷、イーハトーブを久々に見て、賢治の見た光景を追体験したいと思ったからだ。もちろん、賢治の生きていた時代は今から百年も前のこと。同じ風景を見ることができるとは思わない。しかし、何かしら感じ取れることはある。それを期待しての旅だった。 『銀河鉄道の夜』に出てくる「天気輪の柱」のモチーフになったと考えられるものが盛岡にある。清養院だというお寺には「お天気柱」と呼ばれていた「後生

          「宮沢賢治の宇宙」(51) イーハトーブへの旅で「天気輪の柱」の正体はわかったのか?

          「宮沢賢治の宇宙」(50) 「天気輪の柱」を探して盛岡へ ― 番外編 金沢で『津軽』

          「天気輪の柱」を探して盛岡へ『銀河鉄道の夜』に出てくる「天気輪の柱」のモチーフになったと考えられるものが盛岡にある。清養院だというお寺には「お天気柱」と呼ばれていた「後生塔」がある(図1)。 「後生塔」は津軽にもある清養院の「後生塔」については萩原昌好による詳しい解説がある(「天気輪の柱―小沢俊郎氏の説を承けて」萩原昌好『宮沢賢治』1 創刊号、洋々社、1981年、59-71頁;図2)。 この解説を読んでいたら、太宰治が清養院の「後生塔」と似たような柱のことを書いているとい

          「宮沢賢治の宇宙」(50) 「天気輪の柱」を探して盛岡へ ― 番外編 金沢で『津軽』

          「宮沢賢治の宇宙」(49) 胡四王の北参道を駆け上り身体「どかどか」初恋の道

          「天気輪の柱」の舞台は胡四王山「天気輪の柱」の舞台は胡四王山である。これが『note「宮沢賢治の宇宙」(48)「天気輪の柱」を探して花巻へ』の結論だった。 その根拠となったのが『宮沢賢治の詩の世界 ー 胡四王山』に出ていた次の文章である。 花巻の街からは、見通しさえよければ、だいたいどこからでもこの山の姿を見ることができます。山頂にある数本の大きな杉の木が、まるで「トサカ」のように立っていて、ひときわ目立つ形をしているのが特徴です。きっと賢治も、この胡四王山の容姿を、いつ

          「宮沢賢治の宇宙」(49) 胡四王の北参道を駆け上り身体「どかどか」初恋の道