風待ち

介護離婚して、癌の兄と母を看取って、念願の「おひとりさま」生活。 2020年11月、交…

風待ち

介護離婚して、癌の兄と母を看取って、念願の「おひとりさま」生活。 2020年11月、交通事故で左手が不自由になったけど、コロナ以外はようやく平穏。 2つの仕事はほぼリモートワーク。 言葉もできないのにちょこっとフランス在住した元バックパッカー。 写真は自前。

最近の記事

幻の駅

他人の夢(眠りの中で見るほう)の話ほどつまらないものはない。 当人の経験も感情も知らないのだから、深層心理など探りようもないし、一般的な「夢判断」とか「夢占い」(誰にでもどこかは当たるようにできている)みたいなものは、私は好まない。 それでも、自分にとっての奇異な夢は、忘れるがままにするのが惜しい気持ちもある。 だから備忘録として書くだけなので、私がよそさまのそれらをスルーするように、みなさまもスルーされたし。 昨夜(今朝)は、4時40分に時計を見た記憶がある。 それまで

    • 勝手につぶやき<光る君へ(第20回)>

      史実(通説)とドラマを割り切って見られるところが、今回の大河ドラマの特徴かもしれない。 一般にはこうと言われているけれど、「このドラマではこう」という前提の変更がゆるされるのは、平安時代ならではか。 いや、私ならではかもしれない。 この時代の歴史や文書に詳しい人ほど差を受け入れがたいと思う。 ★代筆 当初、越前守に決まった源国盛だが、申し文を代筆してもらったことをあっさり明かしてしまう。 正直といえば聞こえはいいが、この「恥ずかしげもなさ」が私には恥ずかしい。 いまも、官

      • 「晩御飯まだか」殺人事件

        「晩御飯まだか」と言った夫を刺殺した妻のニュースを見た。 同じ文言でもイントネーションやその状況、前後の会話によって与える印象は違うだろう。 この夫婦は、2日前からケンカをしていたそうだから、妻にとっては単なる晩御飯の開始時間の質問とは思えなかったのだろう。 急かされた、あるいは遅いと責められたように感じたことは容易に想像がつく。 いま、食事の支度がどの程度進んでいるかは、見ればわかると思う。 レシピを見ながら初めて調理するのでもない限り。 そして同時に、わざとだらだらして

        • 運動会では運動しなきゃダメなの?

          シーツ兼用のベッドパッドと夏掛け布団を洗濯した。 通常の洗濯はリモートワークだった昨日済ませてある。 竿のスペースに限りがあるので、晴れが続くと洗濯的にはありがたい。 花粉が収まって、外干しが嬉しい。 今日、明日は、気温が高いという予報だ。 私は日傘(雨傘も)を持つ手が事故で不自由になっているので、初夏からは曇りの日しか出かけたくない。 仕事をせずに家にいるだけで充分、充分。 レースのカーテンを揺する風が気持ちいい。 近くの小学校では、明日は運動会らしい。 競技するほうも

        幻の駅

          線引き

          仕事で、労働調査みたいなものを、たびたび記入している。 省庁であったり、民間の調査会社だったり。 そこで「女性の割合」をよく問われる。 管理職に占める女性の割合で、「会社の評価」である星の数が決まるようなものもある。 すごく違和感を持っている。 組閣などでも、今回の女性の入閣者は何人とか言う。 それは、権力を持つ者の多くが男性で占められた時代からの変化を表したり歓迎したりする風潮なのだろう。 でも。 「割合」を高めるために女性を登用するのは、性差別をなくすことじゃないよね

          線引き

          夢や希望がなくたって

          子供のころ「夢」や「希望」を訊かれるのが苦手だった。 当時の大人だった人に言いたい。 「大きくなったら何になりたいか」なんて訊かないで。 小学校の卒業文集には、各自の本文のほかに「将来の夢」を書き込む一覧表があった。 そこに私は「ジャーナリスト」と書いたと思う。 何か書かなければならないからそう書いたのだが、未来に対してのワクワクする思いではなく、いま置かれている不平等で理不尽な社会を糾弾したいというような気持ちから。 正義感ではなくただの苛立ちだったと思う。 うちはど

          夢や希望がなくたって

          本日の贅沢

          毎月、Windows更新のたびに次はMacと思うのだが価格的に手が出ない。 こういうときに限って書きたいことがてんこ盛り。 そして気持ちの上での旬が過ぎると書く気が失せる。 これはiPadから。 スマホもタブレットもほぼ閲覧専用にしているのは打つのが超苦手だから。 Windowsのノートパソコンは、アップデートを大量に吸い込んでいる感。 あまりに仕事が暇なので、今日は臨時に休みにしてもらった。 やることがないのに、5度目の契約更新を打診され、さすがに「なんで?」となった。

          本日の贅沢

          年をとってまで働きたくない

          老後2000万円問題というのが騒がれたころ、その一律な基準がひどく不愉快だった。 持ち家の人、賃貸の人、家族や持病や障害の有無、物価の変動、そして何を必要として何を優先するか、人それぞれ違うじゃないか。 こんなふうに、たったひとつの条件例を持ち出して、何のブームを起こそうとしたのか。 投資? 政府の投資を煽る風潮は、2000万円問題が落ち着いても変わらなかった。 政治や行政は、一番弱い人に照準を合わせるべきものと思っているから、腹立たしい限り。 親二人を施設に入れるため奔

          年をとってまで働きたくない

          ダメじゃなくて無理

          数名の医師が私を取り囲んだ。 主治医の説明のたびに、彼らは代わる代わる私の「患部」を覗き込む。 診察台で仰向けになっている私からも、彼らの顔が見える。 「患部」と私を隔てるカーテンのような布はない。 珍しい症例だからここでは対応できないと言われて大学病院の婦人科の診察を受けるようになったのは、まだ20代の頃だ。 不妊治療を前提とする診察だった。 下着を外して専用の衣類に着替え、大きく開かれた脚の間を、医師たちが観察する。 すべて男性だった。 だから何というわけではない。

          ダメじゃなくて無理

          勝手につぶやき<光る君へ(第19回)&日記>

          ★出世1(道長) 小学校のとき、急病になった担任の代わりに校長先生が授業に来たことがある。 そのとき、「僕はね、本当は校長にはなりたくなかったのよ」と言っていた。 だってね、あなたがた子供たちと一緒に勉強したり運動したりしたいから先生になったのに、校長になったらそういう時間がなくなっちゃうでしょ。それが嫌だったの。 尾木ママみたいに柔らかい口調で話す人だった。 「だから、今日はみんなと話せて嬉しい。好きなことができるのが幸せ。お給料の額や、校長とか社長さんとか、そういうの

          勝手につぶやき<光る君へ(第19回)&日記>

          母はカーネーションが嫌いだった

          本日、マンション管理組合の総会。 19時開催で、終わったのは22時。 去年は理事長だったので、取り決めによって今年は監事。 会計監査報告をしなくてはならないので、委任状とはいかず、やむなく出席した。 去年は、事前の打ち合わせ(根回し?)を十分にしておいたので、所要40分ほどの「シャンシャン総会」だった。 私はそういうタイプだから。 他人の段取りの悪さが大きなストレスになる。 申し訳ないが、今年は仕切りが下手過ぎた。 「それってこういうことですよね」と、まとめたいのを必死に

          母はカーネーションが嫌いだった

          「本当の人生は破綻したところから始まるのです」と彼は言った。

          作家の車谷長吉氏が亡くなったのは2015年5月17日のことだ。 訃報を知った私は、翌日のブログに、言いようのない喪失感を載せている。 名を「ちょうきつ」と読むことは、そのときに初めて知った。 恥ずかしながら彼の小説を読んだことはない。 読む機会も、その能力もなかった。 学校や会社で「いかにも本を読んでいそうに見えるけれど実は読んでいない人」を競ったら、トップ争いをすると思う。 いまはないが、夫がいたころは大手新聞をいくつか購読していた。 記事はほぼ読まず、大見出しと小見出

          「本当の人生は破綻したところから始まるのです」と彼は言った。

          「で」

          連休明けの一昨日はリモートだった。 昨日は出社したが、夜に雷雨になるかもというので、お昼休みのうちに自宅に徒歩移動して、午後はリモートで仕事をした。 私の場合、商売道具?はPCひとつなので、会社にいても家にいてもやることは同じ。 昨日の出社は、顔を見せるためのようなもの。 出勤の日は、会社に着くと中のシャツと上のシャツが汗びっしょり。 ノートPCを入れたリュックを背負っているので、背中があせもになりそう。 アダプターが凶器のごとく重い。 それでも、混雑した電車で他人の汗に

          優しくないから

          産婦人科病棟の待合室では、ときどき涙目の女がいる。 そういう人にハンカチを差し出したことがある。 本当は、見ず知らずのその女性を抱きしめたかったのだが。 いや、抱きしめられたかったのか。 生と死の、その寿ぎと絶望がこれほど混在するところはない、と。 産婦人科の待合室。 世の中にある残酷な場所のひとつと思う。 いつも思う。 なぜ、せめて、待合室だけでも、産科と婦人科を隔ててくれぬものかと。 そこには、かなりの割合で、優しい家族が登場する。 妊婦につきそった夫と母親、ときに

          優しくないから

          あなたも

          10年以上も前だが、忘れられない光景がある。 私は、父の四十九日を終えて帰宅する途中だった。 ボストンバッグと喪服の入った紙袋を抱えてホームのベンチで電車を待った。 すると、逆方向の電車から、老いた女性とその息子だと思われる中年の男性が降りてきた。 女性は、泣きそうな声で繰り返している。 「危ないよ、危ないよ。」 女性の足は、なかなか前に出ない。 降りたのも、ドアが閉まるギリギリだった。 本当に危ない。 思わずベンチから立ち上がり、ふたりのもとに歩み寄った。 何か声を

          あなたも

          違和感は野生のカン

          幼い頃から、家族が死に絶えた数年前まで、精神的にはギリギリのところで持ちこたえてきたと思う。 この間には感情を封印していた10数年もあるのだけれど、世間的には道を踏み外さず、自らをも傷つけることなく生き延びてこれたのは、友人たちのおかげもあるし、幸運だったと思っている。 チャップリンいわく「人生に必要なのは勇気と想像力と少しのお金」ということだが、私の実感は「想像力」と「それなりのお金」(けして「少し」じゃないということは力説したい)。 そして、語呂合わせのために3つとする

          違和感は野生のカン