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【感想】映画『PAST LIVES/再会』

-偶然性と必然性における‘‘縁’’(イニョン)から生まれるものについて-

先日『PAST LIVES/再会』という映画を見ました。
物語の内容としましては、ソウルに暮らしている12歳のノラとヘソは幼いながら互いに恋心を抱いている。
ノラの海外移住によって、二人は離れ離れになってしまうのだが、12年後に24歳になった二人はオンラインがきっかけで再会を果たすのだが、あの頃の恋心を抱きながらも互いにすれ違うことになる。
それから、12年後の36歳になったノラは作家のアーサーと結婚し、その事実を受け入れながらもヘソはノラに会う為、24年振りにニューヨークに訪れる。ようやく巡り会えた二人は再会を果たし、どのような決断、運命に導かれるのかがとても素晴らしい作品でありました。
本作における作品の構造について言及すると、ノラとヘソの心理描写や二人の距離感が繊細に描かれており、映画を見ながら切なさと感動を覚えるものがありました。
恋というものは、お互いの感情や意思が重なり合うことで初めて成立するものであり、過去へと遡り、数年、数十年後経ち再会することで、初めてお互いの価値観を知るものだと痛感させられました。
物語のキーを握る言葉は、‘‘運命’’という意味で使われる韓国の言葉として、‘‘縁’’(イニョン)という言葉があります。
偶然と必然における、‘‘縁’’。
二人の間には、間違いなく縁があり、一瞬一瞬に思いを巡らせるいくつもの感覚というのはとても繊細で美しいものがあると感じられました。
忘れられない恋の記憶を辿りながら、運命の人と巡り合うということはこんなにも奇跡的なことなんだと感じることがありました。
そもそも恋愛とはなんなのか。
相手への思いやり、深い愛情や感情の重なり、結びつきによって初めて経験するものであり、幸福感を得られるものなのではないかと感じます。
劇中での二人のやりとり、会話劇はとてもうっとりするものがありました。
それは、ネット通話やNYでのひと時など時間や場所に関係ない‘‘イニョン’’によって繋がる信頼関係。
恋愛について、もう一度視点を考えると、異性による関係を通じてこれまでになかった経験や感情を得ることでもあるような気がします。
恋愛だけではなく、友情というものもまた、人とのつながりを形づくる手段でもあると考えられます。
相手を理解し、その後に自分を理解し、受け入れることによって、ようやく恋というものが成立する。
自分の内面を相手へと開示すること、受け入れるか、受け入れないかは別として、共感するか、しないかによって運命もまた左右されるのではないかと思いました。
繋がりを通じて、自分や相手の欠点に気付かされることがある。
何気ない日々には、いくつもの偶然性と必然性が内在しているものだと感じます。
本当の意味でお互いの感情を分かち合うことは難しいものだと本作からは感じられました。
喜びや悲しみ、同性と異性による友情や恋愛関係において今や多様性な見方、捉え方がされているもので何が正しいか、正しくないかという定義も存在しない。
「パストライブス」は、恋の本質を捉えた素晴らしい作品だったことは間違いないものだと感じました。


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