とざわ

昭和36年生まれ。 40歳頃までFM局に勤務。主に番組とCMを作っていました。 うっか…

とざわ

昭和36年生まれ。 40歳頃までFM局に勤務。主に番組とCMを作っていました。 うっかりぼんやりして独身。人生の敵は昆虫と強迫性障害。どうしようもないほど不安な時もありますが、家族と友人のおかけで何とかやっています。食べるのが大好き。座右の銘は「ケセラセラ」です。

最近の記事

悲しい時〜

21対0 以上!

    • シーモンキー大量虐殺事件

      子供の頃、想像力が豊かだったのか、推察力がなかったのかCMに影響されやすかったワタクシ。 モーラーというおもちゃ。 ツリーや工作で使うモールに顔がついていて、テレビのCMでは持ち主の手や肩などを自由に動きまわっていました。 (欲しい…) 手に入れたモーラーは顔のあるモールに透明のテグスが付いていて、パッケージから出してもピクリとも動きません。 (これは…、どうしたものか) 戸惑いましたが、モーラーに罪はありません。 モーラーは練習をして動かせるようになるのを楽しむ、手品グッ

      • THE SECOND

        THE SECONDを見ました。 は〜、疲れた。 けど 面白かった! 全ての感想を語ったら、めちゃ長文になるので、一番言いたいコトだけ。 ザ・パンチ、良かったね〜。M−1グランプリ史上、一番気の毒なコンビと思っていたので最後まで行けてホントに良かった。 M−1に出る前まで、テレビでやっていたネタが面白くてM−1でも、と思っていました。 いつもと同じネタなのに少しタイミングがズレるだけでこんな状況になるんだ、と見ながら胃がキリキリしたのを思い出しました。 今回は以前とは全く

        • 逃げろ!ヤンキー!!

          私と姉がオバサン、母がオバーサンになりかけていた頃、少し前の出来事です。 お正月、3人で初売に出かけました。 ここでサクッと母と姉の紹介。 姉は笑顔が菩薩様のように穏やかで、非常に優しい(ふうに見える)、母は小柄で上品(に見える)。 そんな感じの2人です。 いざ、初売。 欲しい物がある訳ではなく、初売というイベントを楽しもうという感じでウキウキしていました。 屋上駐車場に車を駐めて私達はエレベーターに。続いて乗って来たのはヤンキー風の女子グループ。彼女たちもお正月!初売り

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          「そうですね」と「いただく」を使わずにインタビューに応じてみたまえ

          若い頃、上司に「僕は君に嘘を言った事などないっ!」と叱られたことがあります。 原因は私の口ぐせ。 失敗をした時、「あ、ウソ。すみません」と言っていたのが逆鱗に触れました。 言い訳ですが相手に「ウソつき」と言ったつもりはなく、自分の失敗に対しての「ウソ!」だったのですが、そんなのが通る筈もなく、かなりの勢いで叱責されました。その時は「いちいち重箱の隅をつつくように怒らなくてもいいのに」と思っていました。 そんな経験があるから今、若い人の言葉遣いに寛容かと言うと、も〜!自分でも

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          ケペル先生との邂逅

          ケペル先生を知っていますか? へへっ 知りませんよね〜。 半世紀以上も前のNHKの番組に出ていたキャラクターですから。 子供番組で森羅万象いろいろな事を教えてくれる優しいお人形です。 が! 私は心が崩壊するレベルに苦手。怖くて直視できませんでした。 見た目は腹話術のお人形のようで、白い手袋をつけた手だけが人間。 その手をウニョロウニョロ動かしながら、話すのが気持ち悪いのなんの。 そのせいか、今でも人形が苦手です。 今、部屋にある人形は1センチほどの小さな(ドン・ガバチョ)の

          ケペル先生との邂逅

          前世あるかないか

          前世ってあるんですかね。 若い頃は 「前世はある。私は中国の人だった」 と信じていました。 根拠は夢。 空襲で走って逃げる途中、砂利に足を取られて前のめりで転倒、右のお尻から腰の辺りを撃たれる。目に写っていたのは停まっていた青い車。ナンバープレートが中国? と、いうのが子供の頃良く見ていた夢。 成長期になると空襲ではなく、至近距離から撃たれたり、刺されたりする夢に変わりましたが、痛いのは決まって右の腰を中心に背中やお尻。 こんな夢をよく見ていたため、本気で前世を信じてい

          前世あるかないか

          デブは傷つかないと思っていますか?

          ここ数年ルッキズムについて語られる機会が増えて、容姿で揶揄される時代ではなくなってきています。 今は、です。 わたくし、太っていました。中学3年生からずっと。 40代後半に腸の手術をして、太っている人から太めの人になったけど、自分の容姿に強いコンプレックスを抱えた人生です。 いちばん悪いのは私。 わかっています。 自虐デブネタをたくさん使って笑いを取っていたし、太っていることをイジられても仕方がないのです。笑ってくれて良かった、ぐらい。 ありがたいことに友人や家族や殆どの

          デブは傷つかないと思っていますか?

          昭和の大勝負 vs猿

          テレビで「昭和の常識」を若い人に見せて驚かせる番組をやっていました。 ふむ。 実際の昭和って、もっとダイナミックだったけどな。この番組作ったの昭和世代の人じゃないのかしら。 昭和のある日、多分小学校低学年の私は海老満月を食べながら歩いていました。 いくら「昭和」でも珍しい光景に足が止まる。 ペットショップの店先に日本猿。この頃は、一般の商店やデパートで飼育していることがありました。 それにしてもペットショップで売られているのは珍しい。 「子猿だ…」 しゃがんで海老満月を頬張

          昭和の大勝負 vs猿

          解脱か世俗か

          Noteを始める時 「還暦を迎え、何か新しいコトをやってみたい、死ぬまでにやりたいことってやつか?できるのは、SNSと引越」 なんて書いていたら、そのどちらもできてしまいました。 Noteは思っていたより簡単に始められて毎日楽しい。 引越はいろいろな条件が重なって、せざるを得ない状況でヒーヒー言いながら何とか完了。 と、なると死ぬまでにやりたいコトが無くなってしまったのか? いかん! 我が家はせっかちが多い。 ご先祖さまもそうだとすると、 「やりたいコトないんだって、じゃあ

          解脱か世俗か

          キューピーアイスの謎

          昭和から令和の今、食生活は大きく変わりました。 その中でも昔からあって、味が格段に進化していると思うのがチョコレートとアイス。 ラーメンやカレーはバリエーションが増えるタイプの進化。 チョコとアイスは驚くほど美味しくなったと思います。 今回はアイス。 普通のバニラアイスも濃厚になっているし、確実に昔のアイスとは味が違う。 好みもあるけれど、昔のアイスを今食べたら旨みとか奥行きが無いと感じるのでは…。 それでも子供の頃はもちろんアイスが大好きで記憶に残っているものもあります

          キューピーアイスの謎

          超・能力

          今年はオリンピックイヤー。 楽しみです! (にわかファン)の祭典。 陸上、水泳、球技、体操、格闘技など普段は見ないスポーツの(にわか)が爆増。 と、書くと良くないことのようですが、これこそがオリンピックの素晴らしさだと思っています。多くの人が新しい競技に接して、新しいファンになったり、アスリートを目指す人も出てくる。 すーばーらーしー! 私がこれだけオリンピックで盛り上がるのには、訳があります。 自分でも笑ってしまうくらいにスポーツができない。 小学校の頃は自覚がなかったの

          超・能力

          昭和の怖いマンガ

          昭和、怖いマンガの代表と言えば楳図かずおさん。 特に恐ろしかったのが、あかんぼ少女タマミちゃん、呪いの館です。このチョイスに同世代の方はヘッドバンキングぐらい頷いてくれると思います。 まー、タマミちゃんの攻撃が恐ろしい恐ろしい。 あの頃、タマミちゃんという名前自体が特別な意味を持つくらいに子供たちに恐怖を与えたマンガ。 日本全国の(たまみさん)は嫌な思いをしたんじゃないかと思います。 ただ、タマミちゃんの悲しい背景もあって(可哀想…)という最後でした。 あれは、父親が悪い!

          昭和の怖いマンガ

          少しだけ不思議な話

           繰り返し見る夢がありました。 大勢の人が入っているお風呂、玄関を入ってすぐの小さな部屋に敷きっぱなしの古い布団。 家族とそんな話をしていると(家族旅行で行った温泉、お寺に昔あった小部屋)と、謎ときをしてくれるのが姉。 5歳年上なので私には印象しか残っていないシーンも姉には記憶として残っていることが多いです。 それなら、これは? (どこかのマンション、リゾートホテル、別荘。シチュエーションの場所は違うが、しばらく滞在した後、見なれないドアを見つける。こんなのあった?開けて入

          少しだけ不思議な話

          ジャンクフード黎明期

          前回、食への異常なこだわりを書きました。 今回もひき続き、食べモノの話です。 私は昭和36年生まれ。 食い意地がはっている人間にとって、この頃に生を受けたのは劇的に幸運だったと思います。なにせ、昭和40年代はジャンクフード黎明期。 今では普通になったモノを初めて食べるチャンスだらけ。 都会と私の育った田舎では、だいぶ時期に差があるけれど、若い皆様驚きなさい。 カップ麺、ピザ、赤くないウインナー、ハンバーガー、ペプシコーラ、トマト味以外のパスタ、アボカド、溶けるチーズ、スポーツ

          ジャンクフード黎明期

          うなぎ食べたし、食べられず

          鰻が食べたい。 鰻の蒲焼を、美味しく堪能してみたい。 土用の丑の日に家族が鰻を食べていても、他のモノを食べていた。 なぜなら。 私は鰻が嫌い。 食い意地がはっている割に好き嫌いが多い。 コーヒー、燻製、塩辛、生ウニ、生牡蠣、サーモンの一部、ニシン、ブルーチーズ…他にも「あ…無理」というものが山程ある。 今は食べられるけど、子供の頃は作ってから時間が経った白菜のおひたしが食べられず親に理由を聞かれ 「白菜は屁くさい」 と答えて怒られた。 ふざけたつもりはなかったんですが…。

          うなぎ食べたし、食べられず