たぴねこ

自分との対話録。

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願望の話。

-覚書として未来の私に残します。 とある願望の話。 私の人生の大半をも抱いていた願望の話。 人があまり抱かないであろう願望。 決して口に出してはいけない。 ある時その願望が自分の中だけでは抑えきれなくなって口に出した。 願望としてではなく、自分にはそういう思いがあるという形で。 そうしたら願望が願望ではなくなった。 目的は願望を叶えることではなく逃避だったと気づいたから? 口に出したら自分の体内から願望が出ていったから? とにかくそれ以降、その願望が頭をよ

    • 「ない」から「ある」

      時間がない お金がない 能力がない : 私は長い間、自分自身に対して 「ない」に囚われ、 「ない」と思い込んでいた。 特に昨年はそれが顕著に現れていたと、 「ない」が過ぎ去った今思う。 1度「ない」と思うと 続けて違う「ない」が頭に浮かび、 さらにまた違う「ない」が押し寄せてくる まさに「ない」のループだ。 なぜ「ない」と思い込んでしまうのか。 そもそも「ない」とは何なのか。 「ない」とは自分が不運に見舞われた際に理由を外に探した結果、「ない」に行き着くの

      • 「頑張って」という言葉について。

        「“頑張って”と言われるのがつらい」 そんな会話が耳に入ってきた。 言った本人はもう既に十分頑張っていていっぱいいっぱいなんだなぁと察した。 私も似たような心情になった経験がある。 昔、当時の彼氏から「頑張って」とメッセージが来た時。 応援されたい気持ちなんて一切ない。 これから応援される何かをするなんて連絡をしたわけでもなく受信したメッセージ。 今なら挨拶程度の言葉だったと理解できるけど 当時の私は 頑張ってって何?あなたに言われなくても頑張るし頑張ってるんだ

        • 春って感じ🌸

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        願望の話。

          キャラハラ

          昔、あるアーティストのライブに行った時のこと。 悶々とした感情を抱きながら帰路につくという経験をした。 それはライブ中にそのアーティストが観客を盛り上げるために 「お前ら盛り上がってるかー!!」 と煽ったからだ。 (そもそも私は“お前”と呼ばれることを良しとしないという理由もあるが) 私がそのアーティストに対して “好青年” “物腰柔らかい” “腰が低い” などという勝手なイメージを持っていたところに 急に“お前”と言われたものだから 驚きとギャップ

          キャラハラ

          ある人に母を見る。

          第一印象は職場によくいる御局様の感じだった。 会社のルールを教えてくれたり、世話を焼いてくれた。 プライベートについての話もよくしてくれた。 入社からしばらくすると 人の話を聞くより自分の話がしたいんだなぁとか 自分の意見が正しいと思いたいんだなぁとか いい面ばかりでない部分が見えてくる。 デリカシーのない質問をされ、窮したこともあったし 過去のミスを掘り返され、居た堪れない気持ちになったりもした。 正直、 顔合したくないなぁ 鬱陶しいなぁ 今集中したいか

          ある人に母を見る。

          処方箋

          寝る お風呂に入る 歩く 歌をうたう 美しい文章を読む 美しい歌を聴く 運動をする 美味しいご飯を食べる 料理をする 掃除をする 笑えるYouTubeを見る 私の知ってる激ヤバ人間のことを思い出す 推しを見る ラジオを聴く 好きな作品を見る・聴く 行ったことのない場所に行く 新しい何かに挑戦する 現状を疑う 文章を書く 人と話す 出来ていること・持っているものに目を向ける 心・身体の状態に従う 流れに身を任せてみる 何かに身を委ね

          怒りについて。

          「怒らなそうですよね」 たまに人から言われる。 「そんなことないですよ」と答える。 私も以前は自分はあまり怒らない人間だと思っていた。 正しくは、 怒っていたとしてもそれがうまく表現できない。 あるいは、 身近に怒りを表出する人がいて、 その様子を見て“怖い”と思う原体験があり 怒る=悪いこと、嫌なこと という価値観が生まれ怒ることを抑圧していたのかもしれない。 でもある時から怒りという感情がよく自分から飛び出してしまうようになってしまった。 そのある時は、忙し

          怒りについて。

          弱体化

          怖いなぁ…嫌だなぁ… この椅子に座るたびに思う。 もう、何回も経験しているのに。 歯医者での虫歯の治療。 ほんの0.0何ミリを削ってるだけなのに もう1ミリぐらい削ってません??って思う。 歯の治療は一通り経験してるし、何が行われているかもわかってるのに。 若い頃はそんなに怖いと思わなかった気がする。 《弱体化だ…》 虫歯の治療を受けながらそんなことを思った。 考え始めたら他にも弱体化と思われる自身の変化がいくつも浮かんだ。 以前より1人でいることが怖く

          過去のことを話すとき

          「あの頃はよかった」 「あの時は辛かった」 などという言葉を周りから聞くことがある。 その人たちの表情や語気から様々な感情が込められているんだろうなと察する。 私も過去のことを話すとき、そうなっているんだろう。 おそらくいい顔はしていない。(なんかイヤだな) 「あの頃はよかった」は年配の方が言っている印象。バブルを経験している世代。 「そうなんですね〜」なんて相槌しながら -あの頃を更新できていないのかな -あの頃を経験していない人にマウントを取りたいのかな など

          過去のことを話すとき

          笑顔の話。

          私は自分の笑顔にコンプレックスがある。 理由のひとつは歯並びが悪いから。 これは高校生の時に歯科矯正をしてクリアしている。 それまでは自分の歯が嫌で嫌で笑う度に口元を手で隠していた。 ふたつめは自分の笑ってる顔が美しいともかわいいとも思えないから。 どうしてもキレイに笑えない。 笑顔がキレイな芸能人の写真を見ると羨ましいと思う。 自分の写真を見るとうんざりする。 だから写真は好んで撮らない。 なぜだろう、私の笑顔は不自然だ。 心から笑っていないのか 笑う

          笑顔の話。

          ホワイトデーの話。

          今日2/14はバレンタインデー。 バレンタインデーでの出来事でずっと心に引っかかっていたことがあるので今回はそれについて書きたい思います。 まず最初に皆さんに聞きたい。 ホワイトデーってバレンタインデーに比べて存在感薄くないですか? 存在忘れられがちじゃないですか? 可哀想じゃないですか? ちょっと主張強め&飛躍しすぎた笑 でもそんな風に私が思ってしまう出来事が過去にあったんです。 バレンタインデーに恋人へチョコレートやプレゼントを渡したことがあった。 そし

          ホワイトデーの話。

          ほうれん草って漢字で『法蓮草』って書くらしい。仏教用語みたいだ🥬

          ほうれん草って漢字で『法蓮草』って書くらしい。仏教用語みたいだ🥬

          「オヤカク」について。

          今回は社会的な話題について私の考えを書こうと思います。 というのもネットでこの言葉を目にした後、 職場でも話題に上がったので 自分には直接関係はないと思いつつも考えて見ようと思った次第です。 「オヤカク」とは↓ ということだそう。 「オヤカク」の目的は内定辞退の防止。 企業は内定辞退を恐れている。 就活生の就職先に対し親の意見が大きく関わっているため「オヤカク」をおこなうことが最適解になっている。 子どもの就職先に関心を寄せる理由を考えてみた。 思い当たる親の心理

          「オヤカク」について。

          降り積もる雪の白さをもっと 素直に喜びたいよ って歌詞がピッタリだな。 子どもの頃は雪が喜ばしいものだったのに、大人になってからは『困る』って考えがまず先にくる❄️

          降り積もる雪の白さをもっと 素直に喜びたいよ って歌詞がピッタリだな。 子どもの頃は雪が喜ばしいものだったのに、大人になってからは『困る』って考えがまず先にくる❄️