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すまんなぁ…やっぱり大阪から逃げてしもたんや…

現職の最終出勤が終わり、今は有給消化期間となりました。
次の仕事は決まっておりますし、不動産会社の審査次第なのですが、烏丸御池に引っ越す可能性があります。
次の勤務地は京都市営地下鉄沿いなので、結果論ですが「京都市営地下鉄で通勤したい」という夢が叶うこととなりました。
ただし、これはあくまで結果論ですから、プロセス的に見て問題が無かったと言うわけではありません。
そこで改めて現職を何故辞めるに至ったのか振り返ってみたいと思います。


🚇退職理由は1年目にあり

結論から言うと、退職理由は1年目の時点で存在しています。
恐らく3年目4年目に退職することになったとしても、やはり退職理由は1年目で形成されているのです。

これはどういうことかと言いますと、その会社での今後のキャリアって言うのは1年目で予測が立つのです。
特に注目するのは「上司の働き方」です。
果たして上司がイキイキとしているか、日々疲れ切っているのか、サービス残業が多いのかによって「この会社で出世したい・したくない」が決ってしまうのです。

そして私は1年目の時点で「この会社での出世は勘弁してもらいたいわ」と思ってしまいました。

また、初月を振り返っても思うのですが、部署の雰囲気は暗かったんです。
「こらエラい部署引いてしまった・・・」と思ったものでした。
まず挨拶が返ってこない人がいる。
次にフィードバックの仕方にトゲがある人が多かったです。
私より3ヶ月後に同部署別チームへ入った人がいたのですが、彼が怒られる光景を見させられるものキツかった。
「そんなにトゲのある言い方せんでも・・・」という感じで、見ていて委縮してしまいました。

🏢このまま歳を重ねるのが怖くなった

私が半年勤務する前に短期間で契約社員が3人も辞めてしまいました。
私が辞める直前には病めて辞めてしまった人もおりまして、エンジニアリング部署と比べると、本当に余裕がない部署だったんですね。

これがまだ京都や滋賀で働いていたなら「せっかく京都・滋賀で就職できたんやからもっと頑張るんや‼😡」と思っていたかもしれません。
ところが勤務していた場所は大阪です。
こう言ってはなんですが、大阪ならその気になればいくらでも仕事はあります。
ただ、何となく「このまま大阪だいとかいで忙しなく働いて、家と会社の往復するだけで残りの半生が過ぎ去ってしまうんやろか」と思うと、どうにも不安になってしまいました。

これで仕事の満足度が高ければともかく、どうにも部署の雰囲気が暗かったので、このままこの会社でやってくのは難しいだろうと思いましたね。
で、色々ストレスが溜まる要素があって、身体愁訴を起こすようになって転職活動にいたります。
具体的なトリガーは何かわかりかねますが、転職理由が1年目に形成されていたのは確かです。
まぁ…自信を失うイベントが1年目で多かったですからね。

人間、40歳にもなると、少しずつ死を意識して動かないといけません。
人生折り返し地点、このままの人生で逝ってええんかと、嫌でもそう考えることがあるわけです。

10月5日に転職を思い至って11月5日段階で内定を貰ったので、割と周りからは驚かれます。
ちょうど1ヶ月で全てが決まり、退職面談でも11月末日で打診されたのですから、本当に電撃転職となりました。
まぁ現職にしても「コロナ禍で選択できる選択肢としてはグッドだった」とは思いますし、一度年収を上げて見たことで「幸福度」という視点で職業を見るようになりました。

実はSESへの転職も検討したのですが、50歳になると、どんなにスキルが有ってもお呼びが掛からないということです。
現場のリーダーが40代くらいなので、50代は扱いにくいってことなんでしょうね。
というわけで40にして大幅なキャリアチェンジとなりましたが、いつかはIT業界を出るつもりだったので、コレはコレで悪くないかなと思います。
予定よりはだいぶ早くなってしまいましたけどね。

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