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10年以上書いてきた演劇感想文を大学レポートにしたらよい評価を貰ったので公開してみる。

はじめに

演劇オタクのデザイナーです。昨年から通信制の美大に入って大学生をしているのですが、演劇論の科目を履修していまして、レポートで良い評価をいただきました。私は10年以上にわたり友人知人限定でSNSに演劇の感想を書いているのですが(オタクのテキストなのであまりいいねはつかない)、それが専門家の先生によって一定の評価に結びついたのは素直に嬉しいです。演者の演技について一切触れない感想というのも新鮮でしたので、今回の課題で履修が一区切りついたこともあり、ここに公開します。

題材について

2018年もたくさんの舞台を観たのですが、近年の中で群を抜いて素晴らしかった、2017年の「パレード」を題材としました。

ミュージカル「パレード」の見立てによる空間演出

本稿は、東京・池袋芸術劇場で2017年に上演されたミュージカル「パレード」の「見立て」による演出について考察する。本作「パレード」はアルフレッド・ウーリー、ハロルド・プリンスらによって製作され、1998年にブロードウェイにて上演された作品である。1999年にトニー賞最優秀作詞作曲賞と最優秀脚本賞を受賞した。日本版の演出は森新太郎、舞台美術は二村周作、照明は勝柴次朗。
 本作はアメリカのジョージア州アトランタで1913年に実際におきた冤罪事件「レオ・フランク事件」を元にしている。ユダヤ人レオ・フランクが、少女メアリー強姦殺人の罪で逮捕される。彼は無罪であったが、民衆やマスコミにより死刑に仕立て上げられてしまう。妻ルシールの助力により減刑が認められたレオであったが、死刑派の市民に拉致され木に吊るされて殺害されてしまう。以上は実際の事件の概略であるが、本作のあらすじもこれと同様である。この「レオ・フランク事件」の背景とされているのは、南北戦争敗戦によって失墜したアトランタの民衆の、南部に生きる白人としての「誇り」である。
 舞台は南北戦争へ出征する兵士(舞台より50年前)の若い兵士のシーン(「ふるさとの赤い丘」)からはじまる。背後のホリゾンタルが照明によって真っ赤に染まり、大木のシルエットが黒く映し出され、南部の気候と夕日を感じさせる美しい照明効果に観客は引き込まれてゆく。やがて戦争が終わり、50年の月日が流れ兵士は老兵になる。そして場面は次第に独立記念日(メモリアル・デイ)を祝う祝祭の日に変わるのだが、この時、さまざまな色使いの紙吹雪が舞い落ち、舞台上に降り積もってゆく。これが本作の最も象徴的な“装置”である。
 本作は下手奥に配置された大木以外は何もない回り舞台を基本としており、時折パネルに乗った家具が上下からスライドして場面が転換される形式をとっているが、この冒頭に降り注ぐ紙吹雪が、パレードに参列する民衆の歴史と誇りを表している。そして物語がすすむにつれて、床の紙吹雪は、青年がデートに誘う楽しさを表現したり、少女が死んだ鉛筆工場の冷たい床になったり、秋の落ち葉や、あたたかい草木になってゆく。
 紙吹雪という”装置”を効果的に見せているのは、照明の力も大きい。たとえば少女の死体を従業員が発見するシーンでは、下手の下側から斜めに強い照明を当て、舞台上の色彩を抑えつつ登場人物の真っ黒な影を映し出している。殺人事件の発覚という緊迫した空気を観客が受け取るのに的確な演出効果である。
 こうしたひとつの美術装置を複数のものへ「見立て」る表現は、特に演劇の得意とするところである。特に本作は、人種や立場の異なるさまざまな人物による群像的な脚本であり、物語の見方はひとつではない。そういった脚本に対して「見立て」を用いたこの舞台装置は適切なアプローチのひとつだと言える。また、日本においての「見立て」は演劇だけではなく、絵画や文学、落語、庭園(枯山水)など多岐に渡って古くから見られる表現だ。この「見立て」によって、鑑賞する側は物理的な制約から解き放たれ、さまざまな解釈が可能となる。
 本家のブロードウェイ版「parade」の公演映像を参照すると、本作を象徴する大木というアイコンは共通しているが、写実的な装置や表現が多く見られる。対する日本版はあえて具体的な表現を抑え、さまざまな「見立て」に展開できる鮮やかな紙吹雪を使うことで、冤罪事件という陰鬱さと反比例した美しいビジュアルを成立させるとともに、観客に対してさまざまな解釈を委ね、約100年前の冤罪事件を通して、現代社会への問いかけを与えている。

評価

先生の評価も書いておきます。

作品に対する読み込みは適確で要領を得たものであり、空間の演出も短い文章の中で明確に記されています。舞台空間と演出の関係、対比と表象の要点など、視点の確かさが窺われます。(抜粋)

やったぜ。

余談

私はリアル大学生時代に枯山水庭園の見立てに関する卒論を書いているので、こういった見立ての芸術・文化に惹かれるのだと思います。

おわりに

筆者は年間●本の舞台を見るのだが、いや、昨日も見たのだが、あえて2017年の舞台を取り上げた理由がおわかりだろうか...! と書きたかったのですが、節度のあるオタクなのでやめました。「パレード」はいいぞ。ホリプロさん、再演待ってます。

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