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【節約生#666】我慢くらべは損くらべ

 趣味で節約生活をはじめてみた。
 健康で文化的な生活をしながら節約をするというルールで挑戦中。

節約は我慢か?

 節約というと我慢をするイメージがある。
 買いたい物を我慢したり、食べたいものを我慢したり。それが節約の本体だというのが一般的だろう。

 節約生活をするとそれとは違う考え方になるけれども、長年のイメージが拭いきれず、たまに我慢をしようとしてしまう。
 そこで、一旦文章にしてみて、ときどき読み返そうと考えている。

手段の目的化と我慢くらべ

 往々にして手段が目的になってしまうことがある。支出を減らすことは節約の手段ではあるけれども、目的ではない。支出を減らすのは、必要なところにお金を回すためであったり、必要があって貯蓄するためであったりする。

 そもそも支出を減らすことはイコール我慢ではない。それまでしていた不要な支払いを止めるだけのことである。たしかに衝動的に浪費をしたくなることはあるけれども、人生にとって必要な出費だったのかを問うと衝動は軽減する。必ずしも我慢をしなくてはならないものではない。

 しかし、手段を目的化すると、とにかく支出を減らすことに汲々としてしまう。必要な物まで制限をしてしまうと、それは我慢を強いることになる。そうして我慢が常態化して、そのうち我慢くらべが始まる。 
 あの人より我慢している、あの人は我慢が足りない、あの人はできているのに自分はできない・・・。

我慢は犠牲と等しい

 我慢くらべは損くらべでもある。
 いっときはマイナスでマウンティングをしたとしても、マイナスはマイナスである。楽しくはないし、豊かな生活からもかけ離れてしまう。

 自分で自分を犠牲にしているようにもみえる。

我慢するのではなくわくわくする節約を

 節約生活は生活の贅肉落としのようなものである。
 自分の生活を見直して、不要なものを削っていく。大事にしているものや心地のよいものを残して、むしろ強化していく。

 自分はのんびりした時間が大事であることに始めて意識をすることができた。早起きをしてのんびりとした時間を作っている。忙しいと言い訳をしていたころには考えることすらできなかった。
 今の方があきらかに豊かな生活をしている。

 自分を見つめていくことで、自然と視線は自分に向けられる。そうしていくと、お金の多少を他の人と比較することもほとんどなくなっていく。そもそも、生まれてからあるものだけで精一杯生きるしかない。他所とくらべて良いなあと思い続けていても何も変わることはない。
 自分を見つめ直して、ひとつひとつ修正していく方が明らかにましな生き方になる。

 ゴールデンウィークであることも手伝って、節約のためにちょっとした工作をしたりした。生活も少しずつ変化する。そういう小さな変化が面白いし楽しみになる。仕事に忙殺されて、同じ毎日をすごしていたときより、明らかに変化のある毎日である。

 節約は決して我慢ではない。我慢くらべをしはじめたら、もう一度このnoteの記事に戻ってきたい。

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