「哲楽」を提唱している根拠

人類は、自然言語の持つ曖昧さを排除するために人工言語を作りました。これが「数学」を産み、現代では「コンピュータ言語」を利用した各種処理が大々的に行われ、科学文明をますます謳歌しています。少なからぬ人はその恩恵を受けている。一方、この人工言語的価値観は、現実をばっさりと切り捨てすぎている側面をも持っている。このように僕は現状を観察しています。

この原因はなんなんだろうと僕は考察し、「曖昧さ」の持つ豊穣を過小評価する価値観が、その原因のひとつにもなっているだろうと感じるようになりました。自然言語が持っている曖昧さを、つまりは人間が持っている曖昧さを活かすことで、よりよい人類社会を目指せるだろうと、僕は思うようになっています。

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ヒトは産まれ、生育環境のなかで育ち、成長していく過程で自我を持ち、人間社会を構成していく一員として、社会の中で暮らし、その多くは子を持ち、次代の社会へとつないで行く。この連綿とした流れが現代に続いてきています。
自我を獲得するためには、言語を習得する必要がある。他者と自我を分け、他者と自我との協同を円滑にするように言語は発達した。

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ヒトは各個人により違い多様です。言語もまたその習得過程はさまざまであり、多様にならざるを得ません。それでも所属する集団の中で「意味」を共有し、「意図」を理解しあう。その集団=社会の中で流通する言語として発達してきたのでしょう。

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生きていく上で、食糧は必須です。食糧を豊穣に得られるのならば、大雑把な山分けでも各個人を満たせます。しかしながら、そういう状況だけではありません。足りない状況の中で、その社会を構成する各個人で分け合わなければなりません。できうるならば「公平」に。この公平さが「数」を産みます。そして、この「数」には厳密さが要求される。曖昧にしてはならない。

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「自然言語」は曖昧なままでも流通してさえいれば不都合がないことが多い。対して、「数」は厳密さが満たされなければならない。このことが「数の体系」に必須の条件として備わっていなければならない理由です。

自然言語:大雑把な理解での流通を許す。
数の体系:数字は厳密。規則は厳密。

これを整理すると、次のようなことが言えるようになります。

自然言語:意味は曖昧。文法規則は厳密。文法規則を外れることも許容する。
数の体系:数字は厳密。規則は厳密。規則を外れることは許されない。

語句の整理と抽象化を高めてみます。

自然言語:定義は厳密ではない。論理は厳密。パラドクスを許容する。
人工言語:定義は厳密。論理は厳密。パラドクスを排除する。

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哲学は「論理は厳密である」性を利用して世界を説明しようとしてきました。しかし、自然言語を用いた思考を行っている以上、定義とパラドクスの曖昧さを克服することは、そもそもできないことなんです。

ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』は、人工言語の性質を利用し、自然言語の解明を果たそうとした。そして、引き出してしまった結論が、「7.語り得ぬことは沈黙せざるを得ない」なんです。彼はこの愚を悟り、後期の
「言語ゲーム」概念提唱により再出発をしようとしたのでしょうね。

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この歴史を鑑み、僕は「自然言語を用いた哲楽」を目論んでいるんです。曖昧さを許容しつつ論理を活用することで、言語の主体である人間及び人間社会、自然に有用な貢献を目指す。なぜなら、言語の源泉は「人間」であり「人間社会」であり、そして、人間の存在を許す地球なんですから。

現代は危機的状況です。人間に対しても地球に対しても、「信用概念の現物化でしかない貨幣」が暴力的に介入している。これを正すための手段として哲楽的思考法が有効だろうと考えているからです。

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