マスクの日々が終わっても
ところが先日、とある女子中学生の中学校に、最初の保護者面談に行ってみると、まったく違う光景でした。廊下で出会う中学生、全員マスク…。
(ああ、なるほど。だから、とある女子中学生、毎日マスクを持って行くのか……。)
中学校や小学校、世間はこういう感じなのかな?田舎のワイルドな高校に慣れすぎて、よく分かりません。
新型コロナウイルスがあらわれて、最初に学校が休校になったとき、とある女子中学生は、小学2年生の終わりごろ。
コロナ禍、こんな田舎では、学校が休校な以外、家の周りは自然だから外にも出られるし、猫たちもいるし、わたしと縄跳びぐらい余裕で出来るし、当時テレビで見聞きしたような、子どもも親も家の中にずっといなくちゃいけなくて、わー!!……みたいな、大変な状態にはなりませんでした。
だから、あまり心配もせずに、感染には気をつけつつ、けっこう暢気に暮らしていたっけ。恵まれてますよね?
桜の時期には、今は一人で歩く桜の咲く川べりの道を、運動がてら、とある少女とよく一緒に散歩したものでした。
とある少女は、わたしの帽子で、降ってくる桜の花びらを追いかけて、キャッチして、とっても喜んでいました。今よりずっと小さかったな。
わたしは帽子をとられているので、素手でキャッチ……。
花びらって、ゆっくり、しかもたくさん降っているのに、実はとても風に流されやすくて、とりにくいんですよね?ほんとに。
なかなか明けない休校……。
そんなある日、川を挟んで向こう側を、同じく散歩していた同級生の男の子とそのお母さんと、遠く、すれ違いました。
男の子が「あ!とある少女さんだ!」と気づいて、お母さんも一緒に「お~い!」と手を振ってくれました。わたしも「お~い!」と手を振り返しながら、とある少女の方を振り向くと、……あれ?
とある少女は、凍ってしまっていました。久しぶりに会う同級生に、突然、とても気まずくなった様子で、微妙な表情を浮かべて「お~い!」を返しませんでした。
それ以来、とある少女は、ほとんど外出というものをしなくなりました。あれほど好きだった、子ども向けの物作りのワークショップ的なものにも、一切行きたがらなくなりました。
学校にも行くし、学校のバス旅行とかも行くし、修学旅行も行ったし、でも、プライベートでは、同級生に出会いそうな子どもの行きそうなところには絶対行かないし、公共交通機関にも絶対に乗りません。県をまたぐ外出も今でもなぜか断固拒否です。
わたしにも、コロナ中にはなかった参観日が再開されても、午前中だけだけど保護者も見に行けるようになった運動会も、全部「来なくていい。」と言います。
保護者面談も、卒業式も、入学式も、親が来なくて済むものなら来てほしくないのに……、わたしに学校での様子を見られるのなんて、どうしても無理!という感じ。いつも心はついたての中……。もともとの性格と思春期のはじまりとコロナ禍がかぶってしまった感じで、おそろしく秘密主義に。
わたしとしては、これでいいのか、でも、悪いと言ってもどうしようもないような……。と、密かに気にかかってここまで来ました。
でも、中学生たちのマスク姿を見た時、なんとなく納得しました。
ああ、なるほど。とある女子中学生はちょっと極端なのだろうけど、とある女子中学生ひとりの問題ではなくて、やっぱりまだみんな、子どもも、大人も、完全に平常運転ではないんだな。
もっと言えば、もしかしたら、平常運転でない、というより、小さい頃からマスク+自粛生活が当たり前だったこの世代の、これは、れっきとした文化なのかもしれません。繊細に、自分の境界をはみださない、踏み込ませないのが当たり前の文化。もとに戻るとか戻らないとかいうものではなくて、歪んでしまったとかそういうのでもなくて、状況に適応して生まれた世代の文化みたいものなのかもしれません。
そういう、コロナの影響を色濃く受けた世代の文化は、あまり色濃く受けていないわたしには、不合理で、ちょっと心配な感覚に思えてしまうけど、実際に目にした中学生たちは、わたしの知らない生活文化の中に暮らしているように見えました。これはこれで、この子たちに染みついた、尊重すべき文化なのではないかな、と。
うまく説明できませんが、道行く若者、ミニスカートをはいて、おしゃれをしている……顔にはマスク、そういう文化がある、そう思えば、別にしたいようにしたらいいんじゃない?と思える気がします。
これは、単なるわたしの横並び思考なのでしょうか?みんなそうなら、まあ大丈夫か、みたいな。
とある予備校生も、去年はしていなかったマスクを再び持って出掛けるようになりました。
これは、「電車通学になって、満員電車の化粧の匂いがオレは苦手なんよ。そういうときマスクって、けっこう便利なものなんよ😊。」だそうです。失礼な人😊😊。
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