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〇〇でなければならないに陥るな!

「役割」とは外側の固い殻であり多くのものを覆い隠すことが出来る。
成長するにしたがいだんだんそのルールが鎧のようになりついにはその重みに押しつぶされそうになる。
そこでは「そうするべき」だから行動しているのであって、それを「選択している」からではない。
みんなからは大成功していると見られていても本人はぼろぼろに疲れ切って自分が単なる抜け殻に過ぎず落伍者で何の価値もなく詐欺師だとさえ感じる。
「役割」とは自分をよく見せてはくれますがやがては死にそうなほど重くのしかかってしまう。


2週間前から
「傷つくならば、それは「愛」ではない」
という本を読んでいる。
この本、366ページあり、1日1ページ、1年間で人間関係の達人になれるという心理学の本。経営塾の勧めで購入してみた。

なるほどなるほど、心が洗われることが多いな、自分だけで読んでいるのではなく、社内メンバーと読んでみようということで出社日の朝礼で1話ずつ輪読することにした。
担当者が本をパラパラさせながら開く。
その開いたページが今の自分に必要な言葉、ということで自分事で文章を読む。
読んだ後、文章からの学びを皆にシェアする、5分くらいで終わるので朝礼にはちょうど良い。


冒頭のこの文章を読んだメンバーは我々の会社に入る前は、介護施設の役員を担っていた人物。
経験も豊富で仕事もメンタルも抜群に強い。

「役割に縛られ、周囲から期待されているように感じ、苦しくなることがあるので役割と言う鎧を少しずつ脱ぎ、自分を出していきたいと思います」

素晴らしい気づき、彼は入社してまだ半年、前職前々職のキャリアはまさしく即戦力、とはいえ徐々に慣れながら成果に繋がっていくといいな、と私は思っていた。
しかし、入社して早々に成果を出さなければいけない、成果を期待されて入社した、という本人の想いがある。
「会社の売上に貢献しているのか?もっと仕事取って来いよ。なんだそんなもんか?と皆から思われるぞ」
自分という上司が自分という部下を詰める。

わかる、非常に分かる。
私自身もこの感情に陥ることがよくある。
出来る人風に見えるので、出来る人風に振る舞わなければならない、コメントも出来る人風のことをいわなければならない、しかしそんなコメントがバンバン言えるわけではない、バレないようにしゃべらない、なんて自分は無能な人間なんだろうのループ。

しかししかし、この文章のシェアをした際、4月に入社した27歳のメンバーはこう言った。
「役割がないと居場所がない感覚に陥るので自分にとって役割を与えてもらえるって本当に嬉しいことです」
会心の一撃、自分の思考が本当に固まっていたなとグサっときた。
自分の体験とこの本の文章から「役割に捉われるなみんな」、という気づきのシェアで固まっていた。
役割が悪いわけではなく、捉え方だ。
物事には表と裏がある、どちらから光を当てるかで捉え方は全く変わる。
ピンチはチャンス、チャンスはピンチ的な感じ。

土曜日に社内ミーティングがあった。
「〇〇でなければならないに陥るとダメ」
師匠、いや和尚と呼ばれている社内メンバーから皆に説法をいただいた。

本当にそうだな。
身体の硬さは日々のストレッチから。
思考の固さも日々の気づきでほぐしていきましょう。


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