お題

#おじいちゃんおばあちゃんへ

思い出のエピソード、感謝していることや伝えたい気持ちなど。おじいちゃんおばあちゃんへ、手紙を書くようにnoteを書いてみませんか?

急上昇の記事一覧

かえるの日のふふふ…

 6月6日。  今日は、かえるの日だという。かえるかぁ。へぇ〜。  夕方、夕飯を作ってから、いつものように、散歩へ行く。あちこち、景色を眺めながら、ゆっくりと歩く。田んぼを眺めながら、かえるを思う。  「ほれほれ、けろけろ、しとらんと!(ほらほら、きょろきょろ、しないで!)」  そう、祖母に言われた気がして、思わず背筋が、ぴんと伸びた。幼いころ、何度、そう言われたことか。集中してさっさと、何かに取り組まないと、すぐに祖母から檄が飛んでくる。  集中してます。がんばって

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スウェーデンから日本にポストカードを送ってみた

スウェーデンで少し時間ができたので、観光をしようか迷った結果、ポストカードを日本に送ることにしました。ポストカードをかさばらないお土産としてよく選ぶのですが、今回は4カ国周遊。たまにはその土地から出してみようかなと筆をとりました。 北欧の郵便は発達しているらしく、よくあるめちゃくちゃに遅れて届くとか、もはや届かないとか、そういうことは無さそうでした(ネット情報)。じゃあもしかすると次に私が会いに行くよりも早く着くかなと思いながら、父方の祖母と母方の祖父に出してみます。ふたり

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親の免許証返納問題、皆さんどうしていますか?

最近気になるニュースが多くて、心穏やかではいられないmomomiです。 こんにちは。 先週末、私の両親が息子の運動会を見に来てくれました。 それはもちろん楽しい、久しぶりのファミリーイベント。 子どもたちの頑張る姿を見ながら泣きそうになったり、息子が小さかった頃の思い出話に花を咲かせたり。何年か前の運動会ではどうだった、とか成長したね~と。 ただ気がつくと、つい私の口から出てしまうのはこんなセリフ。 「で、お父さん、いつ免許返納するの?」 滞在中何度も聞いてしまうので、夫

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梅の焼酎漬けとお向かいの爺様

今朝、デイサービスの送迎車に乗りこんだ義母を見送った後、母屋の掃除をしていたら家の電話が鳴った。 いつもは義母が出る電話だけど、今日はいないので私が代わりに出る。 「もしもし」と言うと、「あれ?お宅は〇〇(うちの苗字)さんやよな?」と聞きなれた爺様の声が受話器の向こうから聞こえてきた。 そうだ、これはお向かいの爺様だ。御年97歳。時々うちの母屋に来て、同じく90代のうちの義母と話をしていく爺様だ。身体が丈夫で達者なため、介護サービスを受けることなく家族と一緒に暮らしている。

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ばあばと俳句😃🌃フリートークでこんばんわ(6/6)

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ご年配の夫婦が散歩?していた😹夫さんは耳が遠い様子😹ご婦人は声が小さい😹会話しながら歩いているが、なかなか通じない😹ご婦人が立ち止まって訊ねる😹 何時? は? 何時? はあ? な・ん・じ? ああ、10時… え!違うけど…😹ご婦人は納得し、二人はまた歩き始めた🙀 これでいいんだ😻

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娘や息子は、義父母のことをどう思っているのだろうか

娘や息子は、私が結婚と同時に義両親と完全同居が始まったが故に、当たり前のように、生まれた時から祖父母の居る生活をしてきた。 私は、時代の流れにのって、核家族の生まれで、年に数回、父方、母方の両祖母に会いにいくだけだった。 父方の祖父は戦死していなかったし、母方の祖父は5歳のときに、癌でなくなったから、想像できなかった。 自分で納得して選んだといえども、義両親との同居という環境は私にとって厳しいと感じたことは多々あったが、長く生活を続けていると、より多くの大人に囲まれて育つ

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世代を受け継ぐ

先日急に祖母から朝電話があって、魚市場に行かないかという誘いだった。 すぐに行く!と答えてジャージで近所の魚市場に向かった。 私と祖母は毎年正月に魚を捌いて海鮮巻きパーティをするのが恒例だった。 私が上京してからはそれは無くなっていったが、久しぶりにできると思い嬉しかった😊 魚市場に着くとなんと、エイが1匹50円という破格で驚いた!! はまちも1匹買い家で捌いた。 捌きながら祖母のおばあちゃんに魚の捌き方を教えてもらったという話をしてくれた。 その話を聞いている

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おもいで

おじいちゃんは私が1歳頃の時に亡くなっていて、ほとんど覚えていません。遺影で見る顔しか知らなくて、声も、話し方すらも何も覚えてない。 でも当時を知る家族に聞けば私のことをとても可愛がってくれて、私もおじいちゃんから離れなかったんだとか。座椅子に座るおじいちゃんの膝によじ登って、食べてるおやつを横取りしても嬉しそうに笑ってくれていたみたいです。 家族が皆大人になって会話が減って来たころに私が生まれたようで、変な言い方になりますけど私が唯一おじいちゃんに構ってくれる存在だったよう

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#53[値上げ]不審電話?電気代があがります?,情報は個人には来ないはず…?

身に覚えのない番号から電話。すぐにこちらから切り、相手の電話番号を検索。ナビダイヤル(0800)からの着信は、電気の送配電の会社?本当に……? 何も告げず、スパッと切る。 詐欺じゃないとは思うんだけど……。 これを言ってると、足元を見られちゃうかも? これから電気代が、かなり高くなります!そうだけど。暑くなる時に電気代が上がる。 仕方ない、そういうものよね。 節約する。使ったら支払う。以上。それ以外なし。 情報は、個人に直接来ない。役所、電力会社、メディア、勤め先や学

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不審電話を撃退! ホントに電力会社? 電気代が高くなるの知ってますか? 答えず 電話を切ると告げて終了 過激なタイトルをつけてごめんなさい 詐欺ではないと思うけど 確証なし うまく節電しつつ エアコンも使いながら 快適に過ごそう! 変な電話が来てないか 周りと確認しあおう

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疲れた時には甘いもの

疲れた!というわけで フードコートで一休み。。 小鉄(鉄道大好き幼児)のたっくんとともに、何をおやつにいただこうか迷う。 そんな5歳児が選んだのがこちら。 たい焼きソフト。 ソフトクリームの上に、熱々のたい焼きが、ぐさっと刺さっている。 しっかりと刺さっており、外すのに力が必要だった。 しかもたい焼きの熱も加わって、急がないとソフトクリームが溶けてしまう。 たい焼きをパクリ。 ソフトクリームをパクリ。 どちらをどのスピードで食べようか? 「変なたい焼きー!」

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2人の妻に先立たれたおじいちゃんへ

寂しかったよね。 最後、なんだか行く気になれなくて、いよいよ迫ったおじいちゃんの死に目に向き合えなくて、お見舞いに行けなくてごめんね。 緩和ケアといいながら、細い管に繋ぐだけ繋いで、弱るのを待つだけの病院。 そんなところに入れてしまってごめんね。 いろんな病気して、ペースメーカーも入れて、透析も頑張って。 自分の運転で事故もせずに病院に通って。 おじいちゃんは頑張って生きてたのに、なんのお手伝いもお世話もできなくてごめんね。 ちっちゃい時に連れて行ってくれたピクニック公園の

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母にアーティストの顔を見る時

93歳の母がイラストに夢中になっています。 noteへの投稿と新しくインスタグラムを始めたことで、描きたいと言うモードが今まで以上にヒートアップしているんだと思います。 描いている時は母の顔が芸術家のように見える時があります。 作品へのこだわりが半端ないのです。 適当にすることが出来ないで、納得するまでずっと描き続けています。 人物を描く時の顔のラインや、色を加える時のバランス、モチーフのファッションなどこだわり始めたら終わりがない感じです。 私は体に良くないと思って

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ありがとう。そしてさようなら。

先日、母方の祖父母の墓参りをしに佐賀県に行きました。 祖父の命日が5月、祖母が6月なので毎年この時期には行ってるんだけども で、墓参りの帰りに近くの直売所みたいなお店に毎回寄るんですよ。 港町なんで、海の幸とか、魚介の加工品とか、その他もろもろ美味しいものが揃ってるお店なんです。 ほんと、このお店に住みたい ちなみにこの直売所の隣には温泉もあって ほんと、このお店に住みたい(2回目) そして、俺がこのお店に寄ると毎回買ってるのが 羊羹巻き~ (CV.大山のぶ代

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【ナメる人】 人にナメられたくない… そう思っているうちはナメられるよ。 本当に賢い人、強い人は、 「バカは賢い人のことが理解できない」(だからバカなのだ) という事をよく知っているから、 「ナメたいヤツにはナメさせておけ」 と思って相手にしないものよ。(祖母の言葉)

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【詩】生きている限り

仕事中に受けた祖父の訃報 危篤なのかと思ったら過去形だった 指が震える でも心は冷静だった どうでもいい仕事だけど キリのいいところまではやらなければ そう思ってとりあえず仕上げた 病院に着いた頃にはもう 祖父は霊安室の 大きな冷蔵庫みたいな銀の扉の中にいて 死に顔も見せてもらえないまま 無理やりお線香をあげさせられた 何も言葉が浮かばない 当たり前だ まだこれは現実的ではない 私は何も見ていないのだから 祖父が入院した時に着て行った服 入院中ずっと使っていたカップ 杖、

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祖父の爆笑戦争体験記(不謹慎なタイトルです。ごめんなさい)

NHKの朝ドラ「虎に翼」を毎朝楽しく観ています。 今朝は、主人公が夫の戦死を知り、初めて泣く場でした(私も泣いた)。 朝ドラで戦時中が舞台になるたび、当時戦争に行かなくてはならなかった人たちやその家族のことを思わずにはいられません。そして、もし私の夫が徴兵されたら、夫が戦死したら、と想像すると涙が出てきます。 私の父方の祖父は目が不自由だったため、徴兵を免れました。母方の祖父は、戦争から無事に戻ってきました。そのおかげで、いまの私がいます。 戦争の話題に触れるといつも

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「いきてゆくフェス2024」ポスター・チラシ・パンフレットのモデルを募集します!

「いきてゆくフェス」は、年を重ねても豊中市でイキイキと暮らしていけるように、高齢者の社会参加/多世代交流、福祉/介護の魅力発信を目的にしたイベントです。大阪・豊中市にある岡町、桜塚商店街をメインに毎年開催しています。 誰もがみんな年を取るから、介護や福祉のことは他人事ではなく自分事。だからこそ、一人でも多くの方にこのイベントを知っていただき、足を運んでいただくためにポスター・パンフレットを作成するとともに、魅力を発信する広報活動を展開します。 つきましては、魅力を発信する

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父の東京地図

父の絵葉書と一緒に、東京地図もありました。 多分、絵葉書と同じ時に東京へ赴いた先で購入したものと思われます。 ですから1950年代、(昭和30年代)だと思われます。 東京生まれで住んでもいた父が地図が必要だったのか不思議なのですが、戦後すぐの頃に住んでいた時より10年は経っていた頃の東京はさぞかし変わっていたと思われます。 残してくれていた地図は、私にとってはとても興味深いものでした。 まだ、横書きに右から表示がありますが、区分は現在と変わりません。 区別にページがあり、

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