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人生に意味はあるのか

私たちは「意味」という言葉を使いますが、考えてみると大変興味深いです。

例えば「留学は人生にとって意味がある」と言えるのでしょうか。人生を豊かにするために意味があるのかもしれませんし、成長のために意味があるかもしれませんし、視野を広げるために意味があるのかもしれません。

一方でアスリートの短期的な競技力向上にとっては意味がないかもしれません。

意味は常に「何かに対して」存在します。何かに対して良いインパクトがある時のみ意味があると言います。単体では意味の有無は存在しません。

言い換えると「何かに対して(対象)がはっきりするほど意味が明確にしやすい」わけです。意味のある人生を生きたければ、なんのために生きるのかを明確にすることです。

フランクルは「人生に意味があるのではなく、人生があなたに意味を問うている」と言いましたが、それはなんのために生きるのかを設定するのは他ならぬ自分であるという宣言なのだろうと思います。

しかし、自分で生の目的を決定できるほど、強い人はそう多くはありません。また、決めたところで所詮それも個人の主観の産物です。

意味のない人生は苦しい。なんのために生きるのかを設定するのも困難。そこに宗教や、倫理などが生じてきたのだろうと思います。

こうして考えると「全てに意味がある(目的の全体化)」も「全てに意味はない(目的の消滅)」も同じことを言っていることに気が付きます。

もう一つ別の視点があります。人間は成長し、変化します。それは今意味を感じられなくても、将来振り返った時、意味を見出すこと可能性があるということです。

そして、人生は偶発的なイベント、自らコントロールできないイベントの方が多い。

柔軟な生とは「過去の偶発的な出来事をつなげ、意味を持たせる目的をその都度見つけ続けられる」ことではないかと思います。コネクティングドッツです。

さらに私は「意味を求めぬ無我の生」もあると考えています。

いずれにしても今の時点で意味のあることをやろうと考え生きることは、結果として生の幅を縮めてしまい、柔軟さを失うのではないかと、最近考えています。

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