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それを禁止する人も、なぜそれを禁止しているのかわからない社会

長文ファンの皆様おはようございます。

私はいろんな子供に教えることがあるのですが、子供がどう育てられているかがわかるシグナルがあります。
「これをしてもいいですか?」
と許可を求めるのか
「してはいけないことはなんですか?」
と禁止事項を確認するのかの違いです。

あくまで傾向としてですが、日本の子供は前者が多いです。この違いは自由が前提なのか否かだと考えています。
理由の一つに日本の明記されないルールの多さがあると思います。
禁止されていないのだけれど、やるとそれはやっちゃだめだよと制限されることが多く、それを経験すると次第に子供は「やったら怒られそうなライン」を勝手に想像し、それで自分を抑制するようになります。

全てをルールで明記することはできません。ルールが増えれば増えるほど、それを読める人と読めない人(記憶力の差でもあります)の差が広がります。ルールを覚えていられるキャパシティの格差です。
ですからルールには書かれていないけれども、規範で人の行動を抑制するのは一定の合理性があります。

日本社会は安定していて秩序だっています。それは個人が自己抑制をし、また社会が空気という形で同調を迫り、そうしてはめられたタガのおかげで安定をしている。
一方で、個人は自己抑制と空気によって相当に自己を制限しています。幸福度の低さもそこに少しは関係していると思います。

実はこれは日本の変え難い特性というよりも近代の特徴だと思います。戦後のカオスな中では、怪しげなものも含めて新しいことが生まれそれがイノベーションを起こしたと理解しています。
「自己抑制を強いられた人は、他者に自己抑制を迫る」傾向にあるので、誰が悪いというわけでもなく、再生産されているだけなのだと思います。

さて、どうすればこのタガが外れるのか。一番わかりやすいのは戦後や幕末のようなカオスですが、それ以外では、局所的なホットスポットは作れると思います。治外法権(法律は守ります!)的に、いちいち許可などいらない
「やってみようやってみようやってみなけりゃわからない空間」を作るということです。

それを禁止する人もなぜ禁止するのかわかっていない空間にいると、せっかくの個性も元気も無くなってしまいます。元気と自由が一番。子供たちのタガを外していきたいものです。

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