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最高だったあの時の自分とどう向き合うべきか

日経平均が過去最高を更新しそう(した?)という話があちこちで出ています。ようやくという人もいれば、他国ではとっくに何倍にもなっているとかいろんな意見が出ています。

私は陸上競技をやっていましたので、過去の数字と今の自分をずっと比較してきました。100mで0.1秒伸ばすのに11年かかりました。陸上はそういう競技です。

自己ベストは数値の上で自分を超えたと理解できるのでとても嬉しいものです。数字は客観的ですから。

言い換えると人は「客観的な指標」を示されないと、自分が成長しているかどうか実感しにくい生き物でもあります。

しかし、人は数字に縛られます。特に若くしていい記録を出した人は、ずっとあの時より劣っている自分を意識しながら競技をすることになります。

それだけではなく、例えば100m10"00で走ったことが過去にある選手は、それをターゲットにした練習を行います。10"00で走れるぐらいのスピードを30mや60mの練習にも求めるわけです。ところが今はそこまで速く走れない場合、一つ一つの練習が全て無理をしたり、現状に合っていないものになります。

トレーニング効果は、レベルに合っていなければならず、ただ負荷が強いものをやっても効果はありません。

過去の記憶が残っているからこそ、むしろ過去を越えられなくなっているわけです。

そういう時、私たちは「なかったこと」にしようとするのですが、これが難しい。何しろ記録はあるわけですし、みんな覚えているわけですから。

要するにこれは陸上競技が向き合う「客観的指標は目的なのか手段なのか問題」です。日経平均も、100mのタイムも、ある状態をある指標で表したものですが、本当に狙いたいのは「状態」です。走りで言えば「動き」です。

しかし状態は複雑な全体であり、全体は分かりやすい数字には落とせません。状態を概ね表したところに指標は置いてありますが、状態そのものではありません。

状態と数字。老いゆく身体と変わりゆく状況では、客観指標だけにこだわるわけにもいかず、かといって指標から逃げることもできません。この横目で見ながら直視しない程よい加減を体得する頃には現役も終わりに差し掛かっています。

過去の自分の亡霊とどう向き合っていくのか。悩ましい問題です。しかし、生きるということは過去を重ねることですから、これからは逃げられないのだろうと思います。

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