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「note」で得た縁を逃さないために

「note」を始めて3年。

記事を書くだけではなく、「スキ」を押したりお返しを頂いたり。
「コメント」を頂いたり、返事をしたり。の、他の方とのやり取りも含まれて交流できるのが、「note」の良いところだ。

だけども、他のクリエーターさん(noterさん)との程よい距離感は、難しい。

実社会でも、人間関係は正解がなくて悩ましい事はたくさん出てくるので、当たり前のことかもしれない。


そんな私は、最近、他のクリエーターさんとの「つきあい」を考え直した。

3年前、「note」を始めた当初、他のクリエーターさんとどうお付き合いすれば良いのか分からなかった。

日常生活でも、そうガッツリ人と関わるタイプではない。
環境もそうだし、性格的にも。


だけども、「note」を始める以上、フォローさせて頂いたクリエーターさんの記事は、全部目を通したいと思った。

100人の方をフォローさせて頂いたところで、毎日100個の記事に目を通すわけではないんだ!と気付き、ある程度の数までフォローさせて頂いた。


いま、パソコンで「note」をあけると、「フォロー中」のクリエーターさんの記事が毎日20~30個並ぶ。

「note」を利用するのに同じ年数を重ねている、他のクリエーターさんに比べれば、フォローさせて頂いているクリエーターさんは少ないと思うが、読ませて頂く量にはちょうどよい。 

私がパソコンをあけるときのルーティーンで、ほっとする時間なので、このリズムは崩したくないと思う。


だけども、最初は戸惑った。


私が記事を読ませて頂き、「スキ」をしても返ってこないことに憤慨したりしたりした。

頑固で視野が狭いわたしの悪いクセが災いして、「note」をルーティーンとしている自分のペースが全てだと勘違いしていたことに気付いた。


よく観察していると、なかなか「スキ」を下さらないけど、ある日突然、いくつも記事を読んで下さっている方が幾人かいらっしゃることに気付いた。


そうか!
当たり前やん!
皆がみな、同じペースで生活をしているわけちゃうやん!

お忙しい方もいらして、時間に余裕ができたときにまとめて「note」の時間をとっていらっしゃる方もいる。

ほぼ、毎日同じように「note」を読ませて頂く時間がとれる私は、結構恵まれているのかも・・・。


「スキ返し」の習慣も、ある人とない人といるだろうけど、私はできるだけ訪れるようにしている。
時々、私には理解しがたい難しい用語が並んでいる記事を書いていらっしゃる場合には、「ごめんなさい💦」とばかりに、ごくたまに「スキ返し」ができない場合もある。

ただ、「スキ返し」以外で、フォローさせて頂いていない人の素敵な記事をたまたま見かけて「スキ」をするときには、「一見さん」前提でするので、返しは期待しない。

「スキ返し」の場合も、お礼の「スキ」なので、もちろんそれ以上の返しも期待しない。

その方に巡り合えるのは、次の「偶然のめぐり合わせ」があった時だ。
(これも、また面白い)


こうして、「note」生活を続けていると、「スキ返し」から始まる出会いもあるわけで、私がフォローさせて頂くかたを制限しているせいで、フォローしてくださっているのに、フォロー返しができないにもかかわらず、頻繁に記事に訪れてくださる顔なじみ(「note」馴染み?)の方もいる。

フォローできない申し訳なさを感じながらも、私も「スキ返し」で訪れるようにして、時間のある時には、まとめて記事をいくつか読ませて頂くことがある。


一方で、「フォローさせて頂いているクリエーターさんの記事は、全部目を通す」と決めてかかった私の考えは揺らぎ、いま、自分の中でクリエーターさんとの付き合い方を見直し、変革の時期を迎えている。

私が「note」を開き、毎日拝見していた、画面上の「フォロー中」のクリエーターさんの記事は、9割以上が相互フォローさせて頂いている方だ。

わたしは当然のように、毎回記事を拝見していたけど、フォロワーさんは私の記事を見に来られない場合もある。


・私が記事を見に行く回数 > フォロワーさんが見に来られる回数

が成り立っているにもかかわらず、1回1回確認をするわけではないので、気付かないことが多い。


ところが、私は、基本「フォローさせて頂いている方以外」の方へ「スキ返し」をするので、「スキ」を下さった方のリストをスクロールして拝見する習慣がある。

なので、「そういえば、あの方しばらく見ていない気が・・・」と、気付く瞬間がある。


つい最近のわたしの記事を辿ってみると、やはり・・・。


私は1カ月におよそ8つか9つの記事を「note」に上げるが、たいてい「最近見ないな」と思われる方は、2カ月~3カ月、場合によってはそれ以上来られていない。


それはもう私に興味がないと言ってもいいかなと、感知したのはつい最近のこと。

そういう方に限って、きちんと1カ月のあいだにいくつも記事をあげられていて、他のクリエーターさんの記事には、顔をみせに行かれている。

クリエーターさんが、自分の記事に「スキ」を下さった方を確認する習慣がないのかもしれないけど、そんなに私の「スキ」は埋もれてしまうんかなぁと残念に思う。
毎回「スキ」をしていただけに。

「相互フォロー」させて頂いている方は、付き合いが割と長く、交流もあった方が多いだけに、「あの時のコメントが悪かったのかな」とか、「印象を悪くさせちゃったのかな」とか、過剰に思いを増幅させる。


それなら、その方の記事を読む時間を減らして、頻繁に通って下さる方の記事を読む時間に充てようかなと。


一方で、私が思うこと。ここからが伝えたいことの大筋かもしれない。

毎回私の記事に「スキ」を下さるわけではないけど、「顔見せ」程度に、「生存確認」程度に、1,2カ月に1度は必ず足を運んでくださる方が何人かいらっしゃる。

そういう方に限って、フォローしていらっしゃる方も多く、フォロワーさんも多い。

私の「スキ」が埋もれるくらいに、記事にもたくさんの「スキ」が押されている。

コメント欄が賑わっていらっしゃって、そのうえ、日常でもお仕事をもっていらっしゃるとなると、「note」に割く時間も限られてくるだろうと推測される。

あとは、交流が少なくいらしても、体調がすぐれない方もいらっしゃるし、育児や介護が忙しかったり、地域活動に励んでいらっしゃったり、職業柄きっとお忙しいんだろなと思われる方がいらしたりと、様々な理由で忙しい日常を送っていらっしゃる方もいるし、「note」自体がご無沙汰でいらっしゃる方もいる。



毎回欠かさず、フォローさせて頂いている方の記事を、訪れるようにしていたからこそ、見えてくることもある。


私の記事へ、頻繁に足を運べない、それなりの理由も見えてくる。

その人の「note」の使い方や記事で、「note」と真摯に向き合っていらっしゃる人となりも表れるので、生真面目な私にとって、安心できる人かそうでない人か、振り分けているかもしれない。


頻繁にコメント欄で交流がある方と、交流が深まるのも自然な流れで、その方の時間も有限なだけに、『ガッツリ』コメント欄で交流しない私は、普段は忘れられても仕方がない。


何かのタイミングで、思い出してもらうだけで十分。


「最初の出会いが印象的だった」だとか、「何度か心を通わせた交流」があったり、「(良い意味での)印象がつよかった」「忘れられないコメント交流があった」方だったら、こちらに頻繁に来ていただかなくとも気にならない。

それでも私は、その方の記事に訪れるし、久々のコメント交流も自然とできるし、そういう方に限って時々私のことを思い出して下さるし、時々声もかけてくださる。

1,2カ月くらい、その方から、私への「スキ」が滞っても気にならない。

私の一方的な思いかもしれないけど、気心が知れているということなのか。


だけども、元々交流があったはずなのに、「note」を今でもなおガッツリ続けていらっしゃって、お付き合いも長かったはずなのに、いつの間にか私との交流を立ち消えされていることに気付いた私は、やはりまだまだ「柔軟さ」が足りないのだろうか。

とりあえずは、その方の記事を読む時間を減らす柔軟さを身につけようかな。と、いま考えている。


ちなみに、私が一方的に熱烈なファンになり、フォローさせて頂いた方には、全く見返りは期待しないけど、そういう方に限って、フォローを返して下さり、お忙しそうにもかかわらず、私の記事に寄って下さる方が多い。

その方が、「スキ」を返して下さろうが、記事に立ち寄って頂かなくとも、私はこれからも、その方の記事を訪れるだろうけど、やはり嬉しい。


全く見返りなしに続けることができたらいいけど、人間だものやっぱし少しは期待してしまうのが、自然な成り行きではなかろうか。

日常生活で、そんなに人との関わりのない私にとって、最初は戸惑ったものの、今でも自分なりに考え、時には気付き、学びを得ることもある「note」を利用させて頂くことは有難い。


「人付き合い」に関しては、どこか冷めている私も、こうして「note」社会で、少なからず人間関係を学べることができている気がする。

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