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エトランジェ 喫茶店にまつわらない短編集

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喫茶店エトランジェとその周辺のひとたち
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記事一覧

エトランジェ 喫茶店にまつわらない短編集

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その10「ブッシュ・ド・ノエル」

 金属製の型を調理台に並べる。ずらり12本。12本並んでいるということは、12本作るということだ。誰が? もちろん俺が。1本から2個取れるので24個。さらにもう一度同数仕込むので最終的には48個になる。まるで倍々ゲームのようだが、これは錬金術じゃない。俺が作るのだ。ちなみに錬金術を持ち出してみたが特に詳しいわけではない。そんな俺でも知っている法則が

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その1「喫茶店エトランジェ」

 ブルックナー。
 ブルックナーってなんの名前だっけ。ブルックナー。ヨーロッパ人っぽいな。ドイツとかその辺の。ブルックナー。たぶんオッサンだよ。

 茂じいが小用に出た隙にBGMを退屈なクラシックからニュー・ウェイヴに替えてしまう。DEVOのUncontrollable Urg。狂気の衝動。客などいないので問題ない。喫茶店の客なんて蜘蛛の巣にかかる虫みた

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その2「ホットケーキ」

 去りゆくトラックに手を振って見送る。
「ドナドナ?」カウンターから身を乗り出して、わざわざ店内からマイちゃんがツッコんできた。もちろん仔牛を売ったわけじゃない。
「買ったのはウチだよ」後ろ手でドアを閉め、夏を追い出した。
「東京でベコ飼うだ?」この、老若男女を問わない吉幾三の、いや「俺ら東京さ行ぐだ」の浸透率はなんだろう。上京する若者が代々歌い継いでい

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その3「田中」

「いいともが終わって1日が23時間になった」

 ときどき、田中はポエティックな発言をする。それも何で今?という意味不明なタイミングで。なんで今?は、発言そのもののタイミングと、 取り上げる話題の鮮度、両方にかかっている。

 午後4時。太陽を嫌う暇な奴らが活動を始める頃合いだ。4人がけのテーブル席に田中と俺は向き合って座っている。茂じいはブレンドコーヒーを出す

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その4「ベンティ」

フレックスタイムを採用した覚えはないのに、マイちゃんは自由に出勤する。彼女がルーズなわけではない。問題は雇用側にある。問題なのは雇用側が問題ないと判断していることだ。俺個人としては問題ないと思っている。結局よくわからない。

「はじめてスタバでベンティって言えたんですよ」
マイちゃんは顔と同じくらいのプラスティック容器を振って氷を鳴らした。仮にも喫茶店にスタ

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その5「プリン」

「プッチンプリンはプリンじゃないよ」じゃあ、なに?
「プリン風……ゼリー、かな」あ、そう。マイちゃんはそれで構わないといった風だ。どんなプリンが好きかと訊いての答えがこれでは参考にならない。
「普通のプリンは、あの底の苦いのが嫌い。苦いから」
「なるほどね」何がなるほどなんだか分からないけれど、重要な手がかりを得たようなニュアンスで相槌を打つ。頷きながらバック

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その6「クリスマスケーキ」

 いつの間にやら「嫌です」が「無理です」になっていた。
感情の問題が可能性の問題にすり替わる。俺の都合など蚊帳の外ってことだ。
つまるところ、丸め込まれている。

「ケーキを作るのはいいですけれど、しまう場所がないんですよ」
「あら、じゃあ作るのはいいのね? なら冷蔵庫はなんとかするわよ」
 言葉尻を捉えられてしまった。
クリスマスケーキなんて大変だ

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その7「トースト」

 ステンレス製のポップアップ式トースター。並行輸入の高級品だというそれは、滑らかな曲線とすっきりとした直線で形作られている。確かにセレブのキッチンに似合いそうだ。機能美が強調されたデザインは、パンしか焼けないくせに単なるパン焼き機ではないのだ、と自己主張している。

「同時に4枚焼けるのはなかなかなくてね」茂じいは誇らしげだ。だが、こんなの方便に決まって

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その8「バレンタイン」

 マンジャリ、アビナオ、アラグアニ。グアナラ、カライブ、タナリヴァ・ラクテ。

「早口言葉?」恋の呪文。洒落たジョークのつもり。

 客がいないのをいいことに、ヴァローナ社のサイトを眺めていた。耳慣れないチョコレートの名前が画面いっぱいに並んでいる。カタログ好きのマイちゃんが喜びそうなので見せてあげると案の定、食いつきが良い。

「これ、美味しいから高い

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その9「ソフトクリーム」

「結論から言うとだね、ソフトクリームはアイスクリームより偉いんだよ」

 チョコレートパフェを食べ終えた田中が前置きなく一席ぶち出した。と言っても聴衆は二人しかいない。さらに言えばその二人は店の客じゃない。俺とマイちゃんだ。

「お下げいたします」

 マイちゃんが仰々しくグラスを片付ける。観客が一人減った。

「なんでソフトは偉いのよ」

 仕方な

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