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死にたいのは未練がないから。

「死にたい」って感情はもはや日常の一部であり、それは食事、睡眠、呼吸に溶け込んだ生理現象あるいは四大欲求とさえ言える。
生きるのがしんどいというのは言うまでもなく。

もう一つの大きな理由は未練の無さ。

「別にもう良いかな」っていうある種の諦め、投げやり、そして満足感も少々。
勿論やり残したこと・やりたいことだってたくさんある。

けど、それに対しての執着が沸かない。

それは美味しい料理の食べ残しのような。
それはゲームでラスボスを倒した後のRPGのような。
裏ボスとか最強装備集めとか残ってるけど、別にもう充分楽しんだし、値段の元は取れたかな。
凄く美味しい料理だけど、もう食べれないから残そうかな。

それ故の諦めと満足感。

年を取ると感受性がどんどん衰えていく。いや、正しくは刺激に慣れると表現すべきか。

全ての体験が既視感へと変わっていく。

例えばゲームは二周目三週目もそこそこは楽しいけど、一周目に勝る楽しさは味わえない。

周回プレイを惰性でダラダラやってるような。
綺麗に話がまとまってひと段落ついたはずなのに、無理矢理引き延ばす少年漫画のような。

結局、人間が自分のために生きられる期間なんていうものはせいぜい30代前半までなんだと思う。

結婚・出産を経て、あるいは仕事を経て自分以外の人達に貢献する。
そうして下の世代、あるいは周囲の人達に知識や愛を紡いでいくことこそが、人生の本質であるはずだから。

だから30代でひっそりと、死んでいきたい。
社会に適合できず、自分のためにしか生きられない自分にとって、20代を終えた人生に価値などないのだから。





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