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『オッペンハイマー』を見たら、自分へのご褒美がスーパーカップになった。

湖畔での会話が終わり、エンドロールが流れた。
エンドロールも終わり、ホールから出たところで「まぁ、おもしろいかおもしろくないかで言ったら……全然おもしろくなかったね、特に……」という会話が聞こえた。

無視できない映画

賛否どちらにせよ感想が出てきてしまう作品は、それだけで価値があると思っている。レビューが多い映画は少なくとも客の感情を揺さぶることには成功しているから。

ぼく自身、映画はそんなに見ないし、周りに映画好きが多いわけでもない。
でも、感想は多く耳に入った。賛否両論。
然るにオッペンハイマーは見る前から、良い映画の予感があった。
まぁでも社会派の映画だし、いっちょ噛みしておこうって人が多かっただけかもしれない。ぼくもそうだし。

結局、近くのおじさんはあまり楽しめなかったらしい。でも、ぼくは感想を吐き出したくてたまらなくなった。
めちゃくちゃ良い映画だった。言いたいこともグッときたシーンも3つくらいある。あと、キレたシーンも。

成功譚としての原爆開発

映画は原爆の父、オッペンハイマーがマンハッタン計画で原爆を開発するパートと、アメリカ共産党との関わりを疑われ政治的尋問を受けるパートが交互に進行する。

原爆開発のパートだが、チューリングがドイツの暗号機エニグマを解読する『イミテーション・ゲーム』を薄めたような味がした。完成までのプロセスが時系列に沿って描かれる。『イミテーション・ゲーム』ほど困難に次ぐ困難、という感じではないが、戦時中、国家のために科学者が奮闘するという意味では似ている。ドラマチックだし感動的だ。

特に完成から実験成功までの15分ほどは、熱狂の前の緊張感がすごく丁寧に描写されている。妻キティに「成功したら伝言を送る。洗濯物をしまってくれ。」と伝えるシーンは、成功までの困難をあまり描写することなく、これまでの苦労やことの重大さを匂わせる。

そして無事に実験は成功。その後、広島、長崎への原爆投下。
アメリカ全土は狂喜乱舞し、オッペンハイマーは英雄になる。

この部分、日本という立場から見ると、構成がいささか不自然に思える。
義務教育をなんとなく修了していると、原爆投下は悪夢の象徴のような気がするから。何万人も死んでるし。それが決定打になって負けてるし。

だから最初、映画を不幸の物語だと思って見てたんだけど、ちっとも不幸そうじゃない。浮気して別れた元恋人をまた弄んで自殺させるし。いや不幸だけどさ、そういう不幸じゃねぇのよ。前半通して成功譚なんだこれは。原爆は日本にとっちゃ最悪の象徴だけど、アメリカにとっちゃ戦争を終わらせた最高の象徴なわけだ。当たり前だけどこの前提がなかったからちょっと混乱した。

ただ、この映画は成功譚では終わらない。
ずっとなんとなく不穏が匂わされる。
科学者としての葛藤が描かれる。

ところで、日本で評価が分かれるのは、この不穏に対するセンサーに由来するものだと思う。成功の中に不穏さがあったな、という印象が勝てば、この映画が原爆投下に向き合ったという感想を持つだろうし、多少不穏ではあったけど成功の話だったな、と思えば、表面的な、自己満足的な印象を持つと思う。

まぁでもRRRじゃねぇしな。作ってるのがアメリカである以上、見る人の逃げ道は必要だと思う。過去の「正しい」行いを間違っていると認めるのは難しい。他人から指摘されたら余計に。

(ちなみにRRRはインドが作ったインド植民地時代の映画なのでイギリスをめちゃくちゃ醜く書いている。もしこの映画がイギリス発だったら全く売れてないと思う。)

映画本編に話を戻すが、オッペンハイマーは熱狂する市民の前に、
「ドイツにも喰らわせてやりたかった」と演説している。
いかにもリーダーが言いそうな事だが、科学者の葛藤が描かれる中で、明らかに不自然な発言だ。

聴衆を喜ばせるリップサービスも存分に含まれていそうな、本心ではなさそうな、そんな間のとり方だった。すごく印象に残ったシーンだ。演技ってのはすごい。

個人的にはこのリップサービス、のちに自身を苦しめる呪縛になったんじゃねぇかな、と思った。心にもないことを言ったのか、本当は心の底にあったものを言ったのかは本人にも分からないし確かめようがないから。

とにかく、民衆にとって原爆投下は成功譚だった。オッペンハイマーには葛藤があった。これが原爆投下までの話。微妙なすれ違いを見事に描いていた。

大統領の覚悟

尋問パートもおもしろかったし、いろいろ言いたいことはあるけど、綺麗にまとまらないので、諦めてグッときたシーンだけピックアップする。(書き始めてから4日経つけど全然整理できない。そろそろ感動も薄れてきた。ざっくり削っておいしかったところだけ残す。)

原爆を落としたあと、トルーマン大統領に謁見するオッペンハイマー。
そこで彼は、「私の手が血塗られたように感じます」と伝える。
大統領はそれに対し、こう答える。

「君は広島や長崎が原爆の開発者を恨むと思っているのか。違う。落とした人間を恨むのだ。つまり、私を。(記憶曖昧)」

「終戦に喜ぶ大衆」には理解できない葛藤を持つオッペンハイマー、が、理解できない重すぎる葛藤を背負い、なお後ろ向きな言葉を発さずに立つ大統領。
かっこよすぎんだろ…………となった。
意思決定には覚悟と責任が必要であることを確認するシーン。
政治屋にはなれそうもない。

湖畔の会話

アインシュタインは量子論に否定的だった。
「神はサイコロを……?」って、オッペンハイマーが笑うシーンがある。
優秀な物理学者「だった」、とも言っている。
映画の中で、アインシュタインは出てくる頻度こそそこそこあるものの、ほぼ一貫して「過去の人」として扱われる。

ラストシーン、原爆投下後のオッペンハイマーはロスアラモスの核開発プロジェクトから離れ、(恐らくは左遷で)プリンストン高等研究所所長になる。そこで過去の人、アインシュタインから言葉をかけられて、この映画は終わる。

「君はバークレーで私のためにイベントを開き、賞をくれた。君は思っていたんだろう、私が量子力学を理解できない過去の人になってしまったと。だからあの時くれた賞は、君がどう思っていようと私のためではない、君自身のためだっだんだよ。」

……天才か?アインシュタイン。
本当に言ったかはともかく、秀逸な言葉だな……となった。
アインシュタインは厄介払いをされた自覚があるわけ。
そして、次はお前の番だ、と伝えてくれる。

「今から長い間、君は自分のやり遂げたことの責任を取る。そしていつか、彼らが君を許したら、君は豪華なパーティに招待され、メダルを受け取るだろう。しかしそれは、君のためではない。それは君の罪を咎めた人々自身のためなのだ。」

……めちゃくちゃ怖くない?
結局オッペンハイマーは大した怒られをしなかったけどさ、水爆開発に反対して厄介払いのハコには入れられたわけ。そんでしばらく経ってからエンリコ・フェルミ賞を取るんだよね。まさにアメリカが許されるために。
人間の謝罪の傲慢さを見た感じだった。

※Wikipediaによると、アメリカはこの賞の授与により、1954年の非を認めて、名誉回復を図ったとされる。らしい。(ここもチューリングにそっくりだ。)

書いてて、これは戦後日本が辿った道にも同じことが言えるんじゃね?と思った。国交回復は、もちろん先人の努力の賜物ではあると思いつつ、どこの国も赦すタイミングを探っていたんだろうな、と。自国のために。今のロシアもいつか赦される時が来るんだと思う。

ちなみに最後、オッペンハイマーはアインシュタインにもっと辛辣な返事をする。でも、「おれはそうは思わないね」と思ったので省略する。

欲が抑えられなくなったなら見てほしい

親から虐待を受けて育った子どもは、選択肢に暴力が出てきてしまう。

経験をしてしまうと、それが選択肢に加わる、というのはよくある事だ。会社の同期には傘は盗むものだから買ったことない、とか言う人間もいるし。盗むって選択肢をナチュラルに持つな。スラムかよここは。

原爆を開発したら、他の国も開発を進めたので水爆を作らねばならなくなった。オッペンハイマーは止めようとしたが、アメリカは止まらなかった。今も各国で軍拡は続いているし、それは今後しばらく変わらないんだと思う。
選択肢は、1度選ぶとそれが基準になる。原爆ですら正当化される。
人の欲はとどまるところを知らない。
でも、オッペンハイマーの姿勢を見れば、ちょっとは謙虚になれると思う。

まずはご褒美のアイスをスーパーカップにしよう。安っぽいけど長く楽しめるから。

おまけ(キレたシーン)

青酸カリを毒殺に使おうとするな。
リンゴに入れて一日放置とか正気か……?大学だし入手経路はなんとかなるかもしれんが……と思ったけど、そもそもおまえ理論物理学者じゃねぇか。どっから持ってきやがったそんな劇薬。

本文に出てきた映画・参考にしたもの

『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』は、コンピューター科学の父、アラン・チューリングが第二次大戦中にドイツの暗号「エニグマ」を解読する。

戦争と学者ってテーマをエンタメとして楽しみたいなら、こっちの方がおすすめ。アマプラで昔は見れた。今は有料。

『RRR』は、めちゃくちゃ売れたインド映画。
植民地時代のインドが舞台で、イギリスをボコスカに醜く描いている。

この映画、アマプラで金払って見たけどめちゃくちゃ面白かった。
ストーリーは無茶苦茶だしそんなわけねぇだろ!って部分も多いんだけど、あまりの勢いと迫力を前にすべてを許してしまう。
3時間以上あった気がするけど、マジで見て損をしない。

即興が本心はわからない的な話はこの本から引っ張ってきている。

フロイト的な心のとらえ方を否定する内容でめちゃくちゃ面白い。
ちょっとカーネマンっぽい。行動経済学が面白く読めるなら大丈夫。
事実かどうかはわからん。専門ではないので。

暴力が選択肢に上がる、という春とヒコーキのコラム。

もっと高尚なとこから引いてくるつもりだったけど、ちょうど良いのが見つからなかった。でもまぁこのコラムもけっこういいと思う。

青酸カリへの不満はここから。

アリエナイ理科シリーズは化学への関心を持つ1冊にいいと思う。
書店に売ってなかったりするけど。

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