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人間は受動的存在か、意識的存在か

この論争は、おそらく古くからある。
まあ古代とかはよくわからないけど、例えばキリスト教が社会全体を覆い尽くしていた中世ヨーロッパなどでは、人間はほぼ完全に受動的な存在としてみなされていただろうと思うし、その反動でギリシャローマの文化が復活したルネサンス期以降は、むしろ意識的な存在であることを謳歌しはじめたのだと思う。

でもその後、実存主義が出てきて、構造主義がでてきて、それに対するポスト構造主義が出てきて、現代思想は混迷を極めている。まあそれを話し出すと終わらなくなっちゃうので割愛しますが、要は主題の変化形です。

日本では一般的には「意識的存在である」ことの方が「いい」とされる風潮が今はあると思うけど、なかなかどうして、どちらにもメリットデメリットがあるものだ。

受動的な存在だとする考え方。型にはまっているようで窮屈に思える。だけど、省エネだ。疲れない。そもそも自分で決められる部分が少ないのだと考えれば、そこにリソースを集中することもできる。

意識的な存在だとする考え方。一見、自由に思える。だけど自分でなにもかも決めなければいけないのは、思いのほか大変だ。責任だって取らなくちゃならない。でもやっぱり「自由」というのはステキに思える。

これって、どちらが真実という話ではないような気がする。両方のあいだを、常に曖昧に揺れ動いているのだ。
今日はなんだか低気圧で頭が痛いし調子が悪い、というようなときに「自由を謳歌しましょう!」と言われても若干ウザいし、逆に気力十分でさあ、自分の好きなことをするぞ!ってときに、「いや、自由なんてほとんどないから、決まってるから」って言われたら萎える。

だからバランスなのだと思う。人間関係の中でお互いにそのバランスを意識していく必要がある。じゃあそのバランス感覚を養うにはどうしたらいいのだろう。

自転車をこぐとき、意識してバランスを取っている人はたぶんいない。無意識的に、身体的に、反射的にそれは行われている。

そしてそうなるまでには、まず補助輪をつけて自転車のペダルの漕ぎ方を身に着け、その後に補助輪を外して、転んだりフラフラしながら、ある日突然うまく乗りこなせるようになるのだ。

でも練習しないでいきなりうまく乗れる人はたぶんいない。(いや、いるかもしれないがたぶんほんの一握りだろう)

それって、当たり前のことである。

当たり前のことなのに、とくに日本ではこのあたりの「人間ってどういう存在なのか」「どうしたら心身のバランスをとれるのか」「相手のバランスをどうやって考慮すればいいのいか」について、幼少期から大人になるまで、まったく練習する機会が存在しない。

これらは、コミュニケーションの、その基礎となる部分です。気持ちとか思いやりではない、技術の問題。

学校?

あんな同じ年頃の子どもばかり寄せ集めてなんになるの。いびつすぎる。社会ってそうじゃない。そもそも「人間」に関する授業はない。

まあ奇跡的に、学校の人間関係を通してそのバランス感覚を身に着ける人もいるかもしれない。でも逆に学校のいびつな人間関係の中で心のバランスを崩し、その後の人生まで狂わされる人のなんと多いことか。

「哲学」なんて難しいことは高等教育で学べばいいと思うけど(それすらも学ぶ機会はほぼないが)、せめて表題のような簡単な問いかけと簡単な練習が、幼少期からの教育のなかで自然に行われるようにならないものか。

はい、で、なんでこんなことを思ったのかというと、自分がそのバランスを取れずに鬱病になってしまった経緯があるからです。

昔の家族に、徹底的に自由を奪われた。人格を否定され続けた。多大な役割を押し付けられ、しかもその責任まで負わされた。

理不尽です。

でも僕はそれに耐えてしまった。おかしいおかしいと思いながら耐えて耐えて、ついに脳も身体もぶっ壊れた。

ジブンガタリ終了。

これ人が違えば、耐えて耐えて、爆発していわゆる「無敵の人」になっていた可能性もある。

それはもう、紙一重です。たぶんそういうひとたちが、この国には大勢いる。

さらにSNSが普及したことで、家族でもなんでもない、赤の他人同士でその軋轢が、広い範囲で恒常的に発生している。

だから僕は、SNSから遠ざかりました。今はほとんど使ってません。

この国は、とくに「人間」に関する知識、取り扱いについて、とても未熟です。(熟達した国があるのかどうかは知りません)

だから、国会議員が答弁や不祥事で開き直っても、成す術がない。言葉尻の揚げ足取りに終始し「そもそもこいつは国民の代表となるべきバランス感覚を欠いている」という集合知が形成されないのです。

ですがそこに至るには、長い道のりが必要なんだろうな。まずは、皆が未熟であることを自覚する所から始めなければ。

そしてもっと、心身の健康について重要視すべき。(今の真夏に甲子園とか意味不明。狂ってる)

健康というのは、一度失ったら完全には元に戻らない。

この国は今後ますます衰退していくのだろうから、せめて健康だけは担保できる国にならないと。まずいですよ、マジで。

ということで、久々のnoteでした。
ここまで読んでくれた方、まことにありがとうございました。

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