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「アグリコラ」レビュー 尽きせぬ箱庭の魅力について

●看過できない重大な欠点——ボドゲとは人と人との関わりである

アグリコラの欠点について語ろう。
それはインタラクションの希薄さと単調さである。
アグリコラにおけるプレイヤー間の絡みは基本的にアクションスペースの奪い合いだけだ。これはシンプルなワーカープレースメントである以上避けようがない特性には違いないが、例えば私が友人をボドゲ沼に沈めるために使っている「ナショナルエコノミー」では、シンプルなワーカープレースメントでありながら、ワーカーに給料が払えなかった場合、資産として所有していた物件(アクションスペース)が共有エリアに放出される。絶対に手元に置いておきたい強力な物件がある一方で、共有エリアに既に同種の物件があるなら仮に共有エリアにこの物件を放出したとしてもそこまで熾烈な奪い合いは起きないだろう、みたいな思惑も発生する。シンプルなワーカープレースメントでありながら、物件の独占と共有によるインタラクションが同時に存在するのである。

お手軽ながらも上質なジレンマを味わえる名作ボドゲ「ナショナルエコノミー」

しかし、繰り返すようだが、アグリコラにおけるインタラクションは基本的にアクションスペースの奪い合いだけだ。インタラクションの質がシンプルで無駄がないと言えば聞こえは良いが、敢えて意地の悪い言い方をすれば、ただの「早い者勝ち」なのである。そこには「早く置くか」「遅く置くか」の差分しか発生しない。無論、その単調さが原始的な「早いに対する渇望」、「遅いに対する忌避」を生み、人は際限なくスタピ争いを演じることになるのだが…。それに、シンプルが好き、と言われればそれまでだが、2時間を超える重量級ボドゲのインタラクションがシンプルであって良いのだろうか。

4人プレイだと盤面も華やかだが、熾烈な場所の奪い合いが発生する

あとは、ゲームに慣れるまでとにかく食糧供給が苦しい、と言う点も人によっては欠点かもしれないが、ボードゲーマーは基本的にマゾだと思っているので(偏見)、苦しければ苦しいほど楽しいと言う人もいる。よって、アグリコラの欠点は以上である。唯一にして最大の欠点——それは、プレイヤー間の絡みが単調で希薄だと言うことだ。

もしもボドゲが他人と共にシステムの上で様々なドラマを形成しながら勝敗を決する遊びだとしたら、いわゆるソロプレイ感を助長する単調で希薄なインタラクションは看過できない重大な欠点であると言える。

●アグリコラはかつて「世界一面白いボドゲ」と言われていた

しかし、看過できないもう一つの事実が存在する。アグリコラはどうしようもなく面白いのだ。ボドゲにハマり始めてから割とすぐに購入し、それから様々なボドゲを体験した後でも、尚大好きなボドゲの1つに数えられるタイトルである。ついさっき「看過できない重大な欠点がある」と書いたのに、早速矛盾してしまった。その理由を分析し、可能であれば矛盾を解消することで、私なりの「アグリコラレビュー」としようと思う。

どうしようもなく惹かれてしまうのだ、アグリコラに

なぜアグリコラがあそこまで面白いのか。
まず考えられるのは、プレイする度、職業カードと小進歩カードが変わるため、毎回最適解に微妙な差分が発生し、それによって高い戦術性が要求されると同時に高いリプレイ性を実現している点も無論見逃せない。多くのアグリコラプレイヤーは7+7=14枚のカードをドラフトで決めるから、ゲーム開始前から既に戦略を組み立てる楽しさは始まっているのである。

14枚のカードが生み出す「多様性」の演出は見事である

しかし、それはアグリコラの魅力の本質ではないように思う。なぜなら、ドラフトによって他プレイヤーと絡みは発生するもののそれはゲームが始まる前の出来事であるし、上級者ともなれば相手がどんなカードを持っているかで自分のアクションを微妙に調整したりするなんて芸当もしかねないが、私はただボードゲーマーだ。そんな高等技術は持ち合わせていない。それなのに、アグリコラは面白いからである。

私はその答えを探るべく今まで撮影してきたアグリコラの写真を見返していて、その答えと思しき手がかりを見付けることができた。私は自分が作り上げた農園の写真を様々なアングルで大量に撮影していたのである。結論を言おう。アグリコラの魅力の本質とは、ずばり「箱庭作り」なのだと思う。

箱庭とはすなわち世界である

(ぶっちゃけてしまうと散々言い尽くされているであろう結論かもしれないが、ボドゲと一緒で攻略記事を見て得た結論と思考錯誤をして得た結論の間には大きな隔たりがあると思っているので「なんだよ今更!」と怒らずに読んで欲しい。この記事もまた、箱庭なのだ)

資源をやりくりして、毎回少しずつ変わるカードの効果も適宜活用して、自分だけの箱庭を作り出していく過程——それこそがアグリコラの魅力の本質なのではないだろうか。場合によっては相手のアクションによって計画を狂わされたりもするし、資源はよほどうまく立ち回らない限り常にカツカツだ。だが登山と同じで苦しめば苦しむほど、その先に待っている感動は大きい。苦しみ抜いた先に広がる自分だけの農園は、ただコマが並べられているボードという光景を超越し、それを自らの手で苦労しながら作り上げたという感動を伴う、世界に1つだけの箱庭なのだ。それを作り上げていく過程こそが、アグリコラの魅力の本質なのだ。自分が作ったプラモデルが特別に思える感覚と同じである。

彼等こそが、箱庭を作り上げる「ワーカー」——農民達である

そして、箱庭を作る上で重要なのは、密接に絡み合うインタラクションなどではない。例えばせっかく苦労して大きな進歩を作り上げたのに、相手がそれ相応のコストを支払って山賊を雇い、それを破壊する、なんてインタラクションがあったらせっかくの箱庭作りに水が差されてしまうことだろう。あなた達が苦労して得た資源は他人の足を引っ張るためにではなく、自分の箱庭をより充実させるために割くべきなのだ。それが、箱庭作りの楽しさというものだ。いちいち弟にプラモデルのパーツを隠されたりしていたら、せっかくの組み立てもパーツを探す労力のほうが勝ってしまって楽しめないだろう。

だとすると、誰にも邪魔されずに箱庭作りに没頭できるソロプレイがアグリコラにおいては至高なのか、という問題に話は逢着する。そして、1人でボードゲームをやってもつまらないからとりあえず複数人でできるようにルールを設定しただけなのだろうか。

それもちょっと違うと思う。あなたにはあなたの箱庭作りがあるように、相手には相手の箱庭作りがある。その過程で、有利なアクションスペースや資材が蓄積しているアクションスペースを奪い合うことで、互いが互いの計画を少しずつ狂わせるだろう。しかし、先程も言わなかっただろうか。登山と同じなのだ。そういった「あー計画くるったーーー!!!」という苦しみも、最終的に完成するであろう箱庭とそれに伴う感動を演出するための「スパイス」になり得るのだ。

だとしたら、私が冒頭で「看過できない重大な欠点」と述べた「インタラクションがアクションスペースの奪い合いだけ」と言うのは、各プレイヤーが自分の箱庭作りに没頭できるようにある程度のソロプレイ感は担保しつつ、プレイヤー間で必要最小限の絡み合いを演出することで揺らぎや計画の狂いを介在させるために(それによって上手くいったときの感動を大きくするために)意図的に設定された「希薄なインタラクション」だったのではないだろうか。

これで矛盾は解消されたかもしれない。
つまり、冒頭で述べた『もしもボドゲが他人と共にシステムの上で様々なドラマを形成しながら勝敗を決する遊びだとしたら、いわゆるソロプレイ感を助長する単調で希薄なインタラクションは看過できない重大な欠点であると言える』と言う前提条件が、アグリコラにおいては少しだけ間違っていたのだ。他人と共にシステムの上で様々なドラマを形成するのではない。確かに「お前があそこで木材6をとらなければ!!」「俺はあそこで大量の羊をとってやったぜ!」という小さなドラマは生まれるだろう。しかし、アグリコラにおいて言うのであれば、『アグリコラは自分がシステムの上で箱庭作りというドラマを形成しながら勝敗を決する遊び』なのだ。そして、箱庭作りというドラマに起伏や狂いやそれによる苦しみを生み出す装置として、複数人でのプレイができるようになっている(ソロプレイだけが至高という訳ではない)のではないだろうか。

●そして、おつなインタラクションが隠されている

長く苦しい戦いの末に勝敗が決まったら、自分の農園を思う存分愛でるように眺め回したり撮影したりした後に、相手プレイヤーの健闘をたたえる意味合いからもぜひとも相手の農園も眺めてあげよう。「お前、途中あれだけ資源たりてねぇとか言ってたくせにしっかり石の家に住んでるじゃねえかよ~」「畑全然できなかったけど、うちの農園動物が主役だから」「それはそれで鳴き声うるさそうだな!」そんな風にお互いが苦労して、時に計画を狂わされて、それでもなんとか最後まで辿り着いた箱庭を見せ合って、みんなで感想だったりを言い合うのも楽しいものだ。誰しも我が子が可愛いように、自分の箱庭もまた可愛いのだ。褒めてあげれば相手はめっちゃ喜ぶだろうし、うまくいかなかった所を指摘されたら苦し紛れに「でも他は頑張ったから(そっちを見てよ)」なんて感想が交わされるのかもしれない。それこそがアグリコラの最後に隠された、もう一つの、そしてちょっとおつな「インタラクション」なのかもしれない。そして、それが他人と共有するべき「様々なドラマ」なのだ。

撮影したくなるのも頷ける。僕達だけの世界がそこに広がっているのだ。

拡張デッキも一時期品薄でかなり高騰していたが、再販されてようやく価格が落ち着いたようである。もしまだお持ちでない方は是非。

ちなみに、ナショナルエコノミーは相変わらず高騰しています。


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