榎木英介
フリーランスの病理医兼科学ジャーナリストである榎木英介が、病理、医療業界や博士号取得者のキャリアパス、科学技術と社会に関する「機微」な話題を語ります。組織に属しない「インディペンデント(インディ)」ならではの忖度ない意見や他では公開できない情報を惜しみなくつづっていきます。 榎木の作った“機微だんご“、うまいかまずいか。まずは試しておくんなさい。うまかったらお仲間になっとくれ。 マガジン購読すると単品購入よりお安く記事を読むことができます。
ある文章が私の心に突き刺さった。 この文章だ。 ああ、似てる、と思った。私自身、死のうと思ったことがあるからだ。 この件は、何度か書いているし、ツイートもしている。 他にも何個かあるが、とりあえずこくらいにしておこう。 記事はぜひ読んでほしいなと思うが、重要なことを述べている。 本当にその通りなのだ。何も見えなくなっている状態。これで全てが終わっているという絶望的な気持ち。 首にザイルをかけてから25年。「未来人」の視点から見れば、あの時のピンチ
フリーランス病理医になって、言ってしまえば生きるのに必死だ。 仕事はなるべく断らない。友好関係は保ち、少なくとも自分から人間関係を「切る」ことはしない。 だから、誰とでも分け隔てなく接するつもりだし、敵味方は作らないようにしている。 しかし…
2024年5月10日、経産省がひっそりとある報告をした。 消費者事故調査ということで、自分たちとは関係ないと思った人も多かったと思うが、実はこれは、医療事故調査にも適応される。 このISO5665は、日本の医療事故調査のあり方を根底から変えるものなのだ。
神戸で、一番の繁華街といえば、何と言っても三宮だ。 鉄道のターミナルでもあり、飲食店も多数ある。飲み会があれば三宮に出るのが定番だ。大型書店もあり、本をリアルな書店で選びたくなったら三宮に出る。 しかし、私は三宮が嫌いだ。
夢を見た。リアルすぎて、ちょっと震えた。
最近どうも体調が悪い。
東大か医学部か論争というのは、どうもネット上では人気のコンテンツで、私自身何度か記事を書いたことがある。 概ね医学部に軍配が上がる。 私自身も東大理学部の大学院で研究室を追い出された時、何もない自分を突きつけられて、死のうかとさえ思った。 そういう意味でも、東大(学部)卒という誘惑に惑わされず、「手に職」「資格」を手に入れた方がいい。 とはいえ…
さて、iPad Air(M2)11インチを購入して1週間が経った。 性能自体には満足している。画像も綺麗だし、iPad Proの新型を購入する必要は全くなかった。 とはいえ、一つだけ問題がある。 Magic Keyboardを付けると重い。重いだけならまだしも、バッテリーの消費が著しいのだ。
博士号のキャリアパス問題に関わって、実に30年近くになる。 最初はあくまで当事者として、そして今は「共事者」として関わっている。 私は博士号取得者のキャリアパス改善を訴えていたにもかかわらず、理学部の博士課程さえまともに終えることができず、2度も研究室を追い出された挙げ句、大学や公的研究機関などの職業研究者以外の道を選んだ人間だ。 しかしながら、研究というものをちょっとは経験して、その重要さを分かってはいるつもりだ。昨今の日本の研究環境の悪化を憂う人間だし、選択
私が世渡り上手だなどと思う人は、おそらくこの世に一人もいないのではないか。 おべんちゃらやゴマスリができない。空気が読めない。人を怒らせること度々。 それゆえか、研究室を何度も追い出され、突然仕事を打ち切られた。 会ったばかりの人にネットの掲示板で悪口を書き込まれたり、身の上相談をしたらネットに晒されたり。 科学技術庁(当時)や文部科学省に「けしからん学生がいる」と匿名通報された。
世の中きれいごとばかりではやっていけない。 そう言われることは多い。法律やルールを守っていては、世の中回っていかないだろうと。 その一つが交通規則だろう。 制限速度を守っている車は少ない。青信号になっても数秒間は車がビュンビュン通るから渡れない。 歩道を自転車が走り、一通の道を逆走する。 先日は横断歩道上で一通の道を逆走する電動機付き自転車に衝突された。
私が大学院修士課程に入ったのは、1995年。あの阪神大震災とオウム真理教の事件の年だ。 理学部出身だったので、大学院に進学した理由は明白。研究者になりたかったからだ。
ついに来た。 そう、iPad Air(M2)だ。 2018年正月に買ったiPad Pro (10.5インチ)以来の、6年ぶりの大きめiPad。 まだまだ使えるはずだった旧型が突然電源落ちるなどのトラブル発生で、買い換えを決意。新型発表まで待って購入となった。 当然この記事も新型で書いている。 iPad自体が使えることは既に証明済なので、問題はフリー病理医のマシンとして新型が実用に足りるものであるかということだ。 まだ使用1日であるが、ちょっと見えてき
また新手が出たなあという感じだ。 そう、最近話題のカンニングだ。 最近は新手の手段が出てきて、各大学とも対応に苦慮している。 正直イタチごっこだ。 カンニングは、あの科挙の時代から始まっている。
先日新型iPadを注文した。 そろそろ届くはずだが、まだ手元にない。仕方ないので新型を使用した人たちのレポートを読んだり、動画を見たりしている。 何故こんなに新型が楽しみなのか。それは今まで病理医として、iPadを重用してきたからだ。特にフリーランス病理医になってからは、なくてはならない存在になった。 ここしばらくはスマホとMacBookでやっていたが、動画やwebサイト閲覧にしか使っていなかったiPad mini5を復活させて再びiPad生活に戻っている。
昔のことだ。 電車に乗ったら、上司と部下的な集団が数人で乗っていた。一人が年長者、残りが比較的若い人たちという感じだった。 上司的な年長者が電車を降りる時、それは起きた。 年長者に向かって若手がいっせいにお辞儀を始めたのだ。そのお尻が、横に乗っていた私を突き飛ばした。 ごめんなさい的なことは何もなし。よろめく私。 この光景を見た時思った。ああ。日本人というのは、「ウチ」と「ソト」を分けるのだなと。そして「ウチ」の倫理が全てを優先するのだなと。