性暴力の被害者、サバイバーとしての個人の権利の回復

A Reclamation of Our Personal Rights as Victims and Survivors of Sexual Violence

May 15, 2016 by Sian Ferguson

性的暴行の影響の内最も誤解されているものの一つに、被害者が嘘を信じるようになってしまうというものがあります。性的暴行は、被害者に自分自身の価値や人間性を疑わせるのです。

誰かから暴行を受け、社会に迫害されたという経験は、決して奪われることなく尊重されるべき個人の権利が私達にはあるのだということを忘れさせます。

潜在意識下での自己不信や自責の念は、回復のプロセスにおいて大きな障害となります。自分は治療と回復に値するのだと心から信じられなければ、治療も回復も困難になります。

でも、毎日徐々に自分の権利を思い出すことで、回復の一歩を踏み出すことが出来るのです。

私達が内面化してしまい、それによって苦しめられる有害な嘘を見分けることから始めましょう。それが、私達を苦しめる嘘から解放される第一歩なのです。

自己不信に押しつぶされそうになった時、ここで述べられているような重要な権利と、何故貴方にその権利があるのかを思い出してください。

ここにある真実が心に染み込むまで、何度も繰り返してください。声に出して言ってください。日記に書くのも良いでしょう。目の前で文字が踊っている様子を想像してください。シャワーで歌ってみるのもいいでしょう。

加害者と社会によって否定された私達の権利を、一緒に取り戻しましょう。

1. 私達には自分の身体に対する権利があります。

私達の持つ非常に個人的な権利が侵害されてしまいました。身体の自律性です(Bodily autonomy)。

誰かに貴方の身体を、まるでその人のものであるかのように扱われるという経験をすれば、貴方の身体が貴方のものであるということを思い出すのは難しいでしょう。

最初の性的暴行にあった後、裸になって鏡の前に立っていた時のことを今でもはっきりと思い出せます。自分を自分だと認識しようと、この身体の中に私がいるのだということを感じようともがき苦しんでいました。

私が自分の身体から分離してしまったように感じた理由の一つに、自分の身体なのに何のコントロールも出来ないと感じたということがあります。もしこれが私の身体なら、どうして簡単に他人に侵害できてしまったのだろう?私がこれまでの人生を共に過ごしてきたこの身体が、あんなにも多くの暴力が起きた場所になってしまったのはどうしてなのだろう?

このような考えから、自己破壊的な行動に走るようになりました。結局それは更なる困難と苦痛に繋がるだけでしたが。

性暴力から回復するために重要なことの一つに、貴方に加えられた危害を認めるということがあります。貴方には自分の身体に対する権利がこれまでもありました。性的暴行によってその権利が侵害されたのだということを忘れないでください。

私の身体は本当に私のものであるということを何度も何度も自分に言い聞かせることは、私の回復には重要でした。そうやってゆっくりと自分の身体と和解するようになっていったのです。

2.私達には信じてもらう権利があります。

最初にレイプ被害について思い切って話した時、一番怖かったのは周囲の人に疑われることでした。非常に個人的な経験を共有したのに信じてもらえないことが怖かったのです。

性暴力の被害者はしばしば嘘つき呼ばわりされます。私達の多くが、暴行を「誘った」のだと責められてきました。

そんな風に言われるのはとても苦しくて、信じられないほど辛いことです。

自分の真実が疑われると、時に自分自身でさえその真実を疑うようになります。

でも、貴方の苦痛を疑うような人は貴方の人生にいる価値はありません。

私達は皆、私達の言葉を疑われることなく信じてもらえるだけの価値があるのです。

私達を疑い、責める人々のいないサポートネットワークを作る権利があるのです。

私達を信じ、私達の努力を承認してくれる人々で、自分の周りを取り囲み、回復を妨げるような人とは絶縁する権利があるのです。

3.私達には、自分の話に対する権利があります。

フェミニストや社会正義のためのコミュニティでは特にそうですが、性暴力の被害経験を人前で率直に語るような多大なプレッシャーが被害者に対してかけられます。

でも、貴方が誰かに自分の経験を話す義務などないのです。

貴方がそう選ぶのなら、貴方の受けた暴行について話す必要はないのです。

社会が性暴力に関して沈黙することがスティグマを増やすことになるからといって、性暴力に反対していることを証明するために、個人が自分の経験を開示する責任などないのです。

他の人を「インスパイア」するために自分の経験を共有する責任もありません。

同様に、もし自分の受けた暴行について語りたいのなら、そうする権利が貴方にはあります。

貴方が自分のトラウマを隠さないからと言って、恥ずかしい、疑われた、責められたなどと貴方に感じさせることは誰であろうと許されないのです。

レイプの詳細についてある部分に関しては公に話したいと思うかもしれませんし、別の部分については語るのを避けたいと思うかもしれません。それで全く構わないのです。

もしかしたら、貴方は私のようにこの広いインターネットで自分の被害経験について書くことが多いのかもしれません。あるいは、自分が選んだ人にだけ情報を開示するのかもしれません。もしかしたら、誰にも話さないのかもしれません。全部それでいいのです。

いずれにせよ、何を、誰に、いつ、どうやって語るのかを選ぶ権利は「貴方」にあるのです。他の誰にもあってはならないのです。

4.私達には反レイプ運動の中心にいる権利があります。

私は反レイプ運動家仲間を尊敬しています。私達のコミュニティ(反レイプ運動コミュニティ)は、レイプやレイプカルチャーへの社会のアプローチの方法を変えるために沢山のことをしてきたと思っています。

でも、時にとんでもない失敗もします。

私達のコミュニティがしょっちゅう、そしてしばしば知らず知らずのうちに犯している間違いとは、サバイバーや被害者を運動内で周縁化してしまうというものです。

そう、暴行被害に遭った運動家でさえ、この深刻な間違いを犯してしまうのです。

これは様々な形で現れます。時に暴行被害の「感動するような(Inspiring)」話を共有することを被害者に期待したり、サバイバーや被害者の精神的、感情的健康を優先することを怠ったり。時にはセルフケアの大切さを忘れることで、互いを―私達自身を―非人間化したり。

直接性暴力を経験した人を中心に据えないアクティビズムを指摘する権利が貴方にはあります。だって、こういった運動は私達と、そのトラウマをケアするためのものなのですから。

5.私達には安心する権利があります。

性暴力のとうなトラウマ的な経験の後、安心や安全を感じることは難しいです。安心や安全を感じるために出来る限りののことをする権利が貴方にはあります。それには加害者や加害者のサポーターから離れた場所に行くということも含まれます。

もし、安心するために貴方の生活から誰かを切り離す必要があると感じるのなら、そうする権利が貴方にはあるのです。

もし友人や家族、コミュニティのメンバーに加害者をサポートするのをやめてほしいと頼みたいのなら、そうする権利があるのです。

安心感を得るために新しい職場、家、大学に移る必要があると感じるのなら、そうする権利があるのです。

加害者が接触してこないようにするために何らかの行動を起こしたいのなら、そうする権利があるのです。

貴方にはこういったことを行う権利があるし、愛する人にそれをサポートしてもらう権利があるのです。

全ての人は安心と安全を感じ、恐怖から自由であると感じることが出来るようあるべきなのです。

6.私達なりの方法で回復する権利があります。

回復の仕方は人それぞれです。

一番苦しかった時期にこの呪文を繰り返し自分に言い聞かせました。これを貴方とも分かち合いたいと思います。

自分の回復のプロセスを他人のものと比べていることに気付いたら、人は皆、自分なりの方法で回復する権利があるのだということを思い出してください。

どのように傷付くのかは人それぞれ違います。どんなトラウマも苦しいものです。ならば回復の仕方も人によって違うのも分かるというものです。

貴方にとっての回復は加害者を赦すことかもしれませんし、そうじゃないかもしれません。山を裂くほどの大きな怒りかもしれませんし、岩の上を流れる小川のように静かで穏やかなものかもしれません。その両方かもしれません。時間と共に変化するかもしれません。

回復に長い時間がかかるかもしれません。トラウマからすぐに回復できたと感じるかもしれません。

嵐のように波乱万丈に満ちたものかもしれませんし、安定したものかもしれません。

もしかしたら、回復していると感じることはないのかもしれません。でも、だからといって貴方が悪い人間だということにはなりませんし、貴方が回復に値しないということにもなりません。

性暴力の後にどのような経験が待っていようと、貴方は愛されているのだと、貴方は大切な人なのだということを忘れないでください。


****


性的に侵害された人々を迫害するこの社会では、私達にはこういった権利があるのだということを――私達には承認され、慈愛を受け、優しくされる価値があるのだと――覚えておくのは困難です。でも、ここで述べたような、決して奪われることない大切な権利が私達にはあるのだということを胸に留めておくことは、心の平穏と回復を得るための鍵となるのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?