「いい人」がつく七つの嘘(そして信じてはいけない理由)

7 Lies 'Nice Guys' Will Tell You (And Why You Shouldn't Believe Them)

October 5, 2015 by Suzannah Weiss

相手と共通の話題が殆どなくて会話に苦労したデートの帰り道、運転席の彼が私に向かってこう言いました。

「それじゃあまた今度会おうか?」

彼のこの提案に、私は本当に困惑しました。

アップルビーでのディナーでは、彼は会話の殆どを日課のワークアウトやメニューの品々のカロリーについてしゃべることに費やしました。一方私はジェンダーステレオタイプがどのように摂食障害を助長するかについて卒論を書いている、ジェンダーとセクシュアリティスタディーズの学生です。どう考えてもうまくいくとは思えない組み合わせでした。

「正直に言って、一緒にいても話すことがないと思うのだけど」と私が言うと、「じゃあ今日あれだけ話したのは全部無駄だったってこと?」と聞き返されて驚いてしまいました。

「いつもこうなんだよなあ。女性には分からないみたいだけど、実際僕はいい人なんだよ」と彼は続けました。

「君が付き合ってきた男性の多くは、大方君とヤリたいだけだったんだろうよ」(このフレーズには今でも眉を顰めてしまいます)

残念なことに、結局罪悪感から私は二度目のデートの約束をしてしまいました。

当時は自称「いい人」というものが何なのかよく知らなかったのです。

「いい人」というのは親切(だと自分では思っている)行為の代償として女性を手に入れるのは当然の権利だと思っている人のことです。

ナイスガイ行動(Nice Guy Behavior)——「いい人」であるという立場から来る優越感に端を発し、女性に拒絶されると怒り出すといった——は、実はその人が「いい人」でも何でもないという分り易いサインです。

ジェンダーや(性的)指向にかかわらず似たような行動を取る人がいる一方で、「いい人」は——彼等が当然の権利だと思っていることの根底にはミソジニーがあるために——概して女性と交際する男性のことを指します。

ナイスガイ症候群(Nice Guy Syndrome)との最初の邂逅以来、同様の主張をする——今ではそれは危険信号だとすぐにわかりますが——人に沢山会ってきました。

この記事では「いい人」がよく主張することと、その対応を紹介します。

1.「いい人にはチャンスをあげるべきだ」

自分はこんなに親切で優しいのだから、貴方に優しくしてもらうべきだと「いい人」は主張します。

これは「いい人」自身だけでなく、恋愛アドバイスをしてくるような人も同じようなことを言います。

あの人はいい人なんだから、チャンスさえあげれば貴方を(良い意味で)驚かせてくれるかもしれないよ、と。

ポップカルチャーでの「(好きな人が振り向いてくれるまで)諦めないいい人」のイメージも助けにはなりません。映画やテレビには、その人がいかにいい人なのかを女性が理解するまで辛抱強く待つことで、最終的に主役の女性と結ばれる男性で溢れ返っています(フレンズのロスやビッグバンセオリーのレニーを思い浮かべて下さい)。

でも、本当にその人がいい人だったとしても、貴方は様々な理由からその人と恋人として付き合いたいとは思わないかもしれません。共通点がない、そういう意味では惹かれていない、特に誰とも付き合いたいと思っていないなど。

どれも妥当な理由です。

「いい人」であることは、自分の選んだ人と付き合うことのできるチケットではないのです。

それに、もしその人がそう考えているのなら、それはその人が貴方の自主性を尊重していないということです。いい人のすることでは到底ありません。

2.「いい人はいつもビリ。女性は悪い男が好きだから」

「いい人」は女性に相手にしてもらえないと文句を言う時、公正の概念を持ち出してきます。

OK Cupid(出会い系サイト)で私が出会った男性の中には、彼のメッセージに女性が返信しないのは「不公平だ」という人さえいました。

返信が貰えるかもわからないメッセージをインターネットの海に向かって送信するというのはOK Cupidユーザーなら誰しも共感できるでしょう。でも、殆どの人は返信が少ないことを「不公平」だとは思いません。返信を貰うのが当然だとは、最初から考えてもいないのですから。

このサイトが明らかにしているように、プロフィール欄に「いい人」と書いている男性とミソジナスなentitlementコンプレックス(女性を手に入れるのは当然の権利だと思っていること)の間には明確な相関関係があります。

先程の例に挙げた男性は、OK Cupidの男性の多くがそうであるように、大していい人でもない、女性からの行為に値しないような男性がモテる一方で、自分が無視されてばかりだと文句を言っていました。これはよくあるステレオタイプです。女性は皆悪い男が好きなのだというステレオタイプです。

女性は支配されたがっているというステレオタイプから発生しているため、この女性は悪い男が好きなものだというステレオタイプはミソジニーの一例です。

私達の文化では女性は威圧的な男性を好むべきだとされているために、そういった男性と付き合ってしまう女性はいます。けれど、「いい人」は悪い男と付き合っていない女性に対して同様の批判をします。

多くの場合、彼等は「女性は悪い男が好きなのだ」と言うことで、自分が女性に相手にされない他の理由を無視しているのです。

自分は悪い男ではないから女性に拒絶されるのだと言って女性を非難するのは、自省しないための便利な言い訳ですからね。

何にしろ、その人のいい人度によって(いい人には多くの、悪い人には少なく)デート相手がご褒美として与えられるべきだというのは、現実の交際関係を反映していません。

人間が親切な行為へ与えられる賞品ではないのです。

いい人だって恋愛関係で悩むことがあります。それほどいい人でもないのに恋愛で困らない人もいます。不公平に思えるかもしれません。でも、個人の選択の問題において、公正か否かは関係ないのです。

3.「いい人は友達止まり」

自分は絶対に素晴らしい恋人になれるのに、女性は自分を友達としてしか見てくれないと文句を言う男性がいます。(そういう男性は、自分はその友達が付き合っている「悪い男」よりも良い恋人になれると主張します)

ここでもポップカルチャーがこの考えを強固なものにしています。

フレンズやビッグバンセオリーといった番組で、辛抱強い「いい人」とは多くの場合何故か(誤って)恋愛対象から外れている友人のことです。

探し求めている愛はずっと目の前にあるのにそのことに気付かない女性を、視聴者は愚かだと思うのです。

いい人が「友人」の立場を受け入れている時でさえ、女性が自分の求めていたのは彼だったのだと気付いた時、彼の忍耐は報いられることになっています。

友達同士が結ばれるというストーリーは美しいかもしれません。友人への報われない恋はいつだって痛みを伴います。

でも、貴方が友人と(恋人として)付き合わない妥当な理由は幾らでもあります。

友人としては素晴らしい人でも、貴方の恋人としては理想ではないのかもしれません。それでいいのです。

仮に彼が良い恋人になるかもしれなくても、貴方は彼に対してそういう気持ちにはなれないのかもしれません。それでも構いません。

もし貴方が「ただ」友人でいたいからといって貴方に敵意を向けるのなら、その人は恐らく貴方にとって良い友人でもなければ、良い恋人にもならないでしょう。

貴方の友情は残念賞ではないのです。

それに、友人の地位に格下げされるという考えは、最初からそれ以上のことを期待していたということです。

それに、彼の友情は駆け引きのチップではないのです。彼の友情は、見返りに(相互の友情以外の)何かを求めることなく与えられるべきものです。

4.「いい人は珍しい宝石のようなもの」

「いい人」は自分を「殆どの男性」と対比させます。

アップルビーデートでの「いい人」のように、彼等は、自分は女性のことを思いやる救い主である一方で、他の男性はセックスのために女性を心理操作しようとしているだけなのだと考えています。

皮肉なことに、彼等の多くはこの「思いやり」を使って女性にセックスや交際を迫るのです。

交際している女性に敬意を持つ男性は沢山います。でもそんな男性は自分がいかにいい人なのかを喋ることは滅多にありません。

そういった人達は、セックスをするよう誰かにプレッシャーをかけたり、酷い扱いをしたりしないというのは当然のことだと考えているのです。

そんな最低限の礼儀は「ナイスガイ」の称号にも値しないと思っているのです。

優しくて親切な人は「いい人」が考えるほど珍しくはありません。ただ、そのような人達は自分が「いい人」であると屋根の上から大声で叫ぶようなことをしていないだけなのです。

5.「いい人は貴方の存在に気付いてくれるだけでもいい人だ」

多くの女性は、外見や人種などの特徴から魅力に欠けるため、誰かが自分の存在に気付いてくれるだけで(たとえその人が無礼だったり虐待的だったりしても)その人は親切なのだと教えられてきます。

「いい人」はこれを利用して女性を心理操作しようとするのです。

例えば、「いい人」は太っている女性に自分はもっと痩せた女性と付き合うこともできるのに彼女と付き合っているのだから、そのことを幸運に思えと言います。だから彼の無礼な行為も我慢するべきなのだというのです。だって、彼よりいい人が現れる訳はないのですから。

この戦術は何も特定のでもグラフィックに限られているのではありません。

「いい人」は貴方と付き合うような自分はいい人で、彼と付き合えるのは幸運なことなのだと貴方に信じさせるためならどんな手でも使います。

でも、貴方よりも自分の方が上だと思っているような人と付き合うのは幸運でも何でもありません。

貴方に親切にしているのだという風にふるまうことなく、貴方がその人と一緒にいられて幸運だと思うのと同じくらい貴方と一緒にいられて幸運だと思ってくれる人は必ずどこかに入る筈です。

6.「人として最低限の礼儀を尽くすだけでもいい人なのだ」

私達の文化では男性を過度にいい人扱いします。

この行き過ぎた賞賛には危険な効果があります。

男性に求められるスタンダードの低さな様々な形で現れます:女性には当然の義務だとされる子育てに男性が参加したら拍手喝采するだけでなく、賞賛に値するどころか当然必須である性的な行動を取っただけで誉めそやすのです。

大学時代付き合っていた男性とフィッシュタンクという映画を見ていた時のことです。

あるシーンでメインキャラクター——十代の女の子でした——が服が半分脱げた状態で眠っていました。そこにその子の母親のボーイフレンドがやってきて、彼女をベッドに入れて布団をかけると、一瞬それ以上何かをしようとするかのように立ち止まった後、部屋を出ました。すると私の彼氏は「この男はいい奴だね」と言ったのです。

私は混乱していました。

もし性的暴行を我慢すると「いい奴」になるのなら、普通の男性はどんな行動を取るものなのだろうかと。

人として最低限の礼儀を尽くすだけで「いい人」になるということは、男性が悪い人と呼ばれるようになるまで、かなりのことをしても咎められないことを意味します。

私はそれを少し後になって学んだのです。

映画を見た後、私は彼と私の部屋にいました。そこでキスを始めたのです(キスは以前からしていました)。その内彼が私のシャツのボタンに手をかけたので、まだこれ以上は心の準備が出来ていないことを告げました。

これは以前にも言ってあります。

それでこのことはお終いだと思っていたら、彼がにやにやしているのが目に入ったのです。私の知らない内に、彼は私のシャツのボタンを外していたのです。

私が彼から離れると、彼は謝罪しました。

「少なくとも貴方は止めてくれたからいいよ」とは言ったものの、自分でも何が良くて何が悪いのか混乱していました。

「男だから仕方ないんだろうな」と彼は言いました。

もっともなことです。もし合意かどうかを気にする男性がいい奴なら、そうじゃない人はただの普通の男性なのでしょうから。

性的暴行を我慢するだけでいい奴だとみなされるような男性はメディアの至る所にいます。

アニマルハウスではある女性が主役の男性の一人と今にもベッドに入ろうかという時になって、酔って寝てしまうということがありました。すると、彼の肩に天使と悪魔が現れたのです。悪魔は「やっちゃえ」と叫びます。結局彼は天使の言うことを聞いて彼女を家に送り届けました。

これから分かることは、レイプをしないというのは天使のような行動なのだということ。そしてもう一つ。レイプをしないためには強固な意志が必要だということ。

他の男性がレイプをしないことを褒めるというのは性的虐待をしかねない態度です。性的暴行は衝動であり、それに抵抗するには道徳的忍耐力が必要なのだと言っているようなものなのですから。

本当にいい人にはレイプ衝動などありません。

本当にいい人は、レイプは犯罪でありトラウマであり、不運な過ちなんかではないと思っています。「男なら仕方のないことだ」とは到底考えません。

合意という人として最低限の行動をしただけでその男性を褒める時、人として取るべき行動のスタンダードが守られていない状態が標準であることを私達は許してしまっているのです。

7.「いい人は本当にいい人なのだ」

上記のような考え方をするために、「いい人」は全然親切な人でも優しい人でもありません。

女性を心理的に操り、モノ化し、時に虐待しながらも、「いい人」という立場を利用して自分の行いを免罪しているのです。

極端な場合には、「いい人」は暴力的にだってなれます。

昨年、多くの「いい人」がそうであるように、女性が自分に好意を持たないのは不公平だからと考えた二十二歳の男性が数名を殺害の後自殺するという事件がありました。

「自分は孤独で、誰かも拒絶され、報われない欲望を抱えて生きることを余儀なくされてきた。それもこれも全て女にもてないからだ」と、銃撃の前に撮影したビデオ内で彼は語ります。「女性は他の男には好意やセックスを与えるのに、自分には何も与えてはくれない」

この恐ろしい犯罪に他にどのような要因が関係しているのかは明確ではありません。しかしこの彼は「いい人」像にぴったりあてはまります。

彼は自分のことを「理想的な、素晴らしい紳士」であり、そんな彼こそが女性にもてるべきなのだと言っていました。

ここまで極端になる場合は殆どないとはいえ、この事件は「いい人」の考え方が良くて人を傷付け、最悪の場合には本当に危険なものになることを証明しています。

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デートの帰りに女性と口論したり、女性の同意なしに彼女に触ったり、酷い犯罪を犯したり、どのような形でナイスガイ症候群の症状が現れるのだとしても、ナイスガイ症候群は女性を非人間化します。

「いい人」の世界では、女性は礼儀正しい振る舞いをしたご褒美なのです。

そして、その場合の振る舞いのスタンダードは非常に低いものです。

自分が「いい人」であることを利用してほしいものを手に入れようとしたり、自分は「いい人」なのだからそれを手に入れるべきだと主張したりするというのは、その人が実は「いい人」ではないという分り易いサインです。

これが分かるまでに苦労しました。

「いい人」を傷付けてしまうことに罪悪感を持っていたから、彼等に立ち向かってもエンパワーされませんでした。でも、彼等に対して罪悪感を抱く必要などありません。

貴方には、貴方にとって好ましくない状況に追いやろうとプレッシャーをかけてくる人に対して「No」という権利があります。

もし彼が貴方はその人に何かする義務があると思わせるのなら、恥知らずなのは彼の方です。貴方ではありません。

彼が何と言おうと、彼は道徳的に優位な立場になどいません。

幸運なことに、本当にいい人というのはこのことを知っています。

その人に対して何の義理も感じず、断ることに良心の呵責を感じない時、本当にいい人を見付けたのだと分かる筈です。彼は貴方の自主性を尊重しているからこそ、彼と付き合わない理由や寝ない理由の説明を求めたりはしません。自分が求められていると感じることよりも、貴方が彼といて安心できるようにする方を優先するのです。彼が求められるのは、貴方が本当に彼を求めている時だけです。巧妙な嘘で無理矢理貴方から引き出されたものではありません。

彼等には待つだけの価値があります。

でも、だからといって名誉の勲章を授けるような価値はありません。

彼等は貴方に人として最低限の敬意を払っているだけなのですから。

そして、「いい人」が何と言おうとも、貴方にはその敬意を払われるだけの価値があります。だからそのことを恩に着る必要もないのです。







Suzannah Weiss is a New York-based writer whose work has appeared in The Washington Post, Salon, Seventeen, Buzzfeed, The Huffington Post, Bustle, and more. She holds degrees in Gender and Sexuality Studies, Modern Culture and Media, and Cognitive Neuroscience from Brown University. You can follow her on Twitter @suzannahweiss.







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