心も体も怒涛の年度末
会社のパソコンから投稿しているばっかりに、仕事が忙しくて投稿はもちろんのこと 人様の記事もなかなか見に行けてなくて無念極まりない年度末。
出会いと別れの季節、怒涛の3月末。
いつも元気なマダムも卒業が決まり、一緒にお仕事できるのはあと一週間になりました。
寂しさを感じる余裕もなくて
でもそれが少しありがたかったりもして。
毎度のことながら見送る側代表として、身近なメンバーから餞別を徴収し卒業祝いの贈呈品を選ぶ。メッセージを集めて色紙に似顔絵を描くところまでが私の仕事である。
私もいつか送り出される側になることがあるんだろうか、と思いながら毎回退職者の顔を描写している。私が辞める時、私の顔を描いてくれるのは誰だろう。今まで一緒に仕事をしてきた人たちはたくさんいるけれど、やめる瞬間に残っている人より、思い入れのある仲間たちはたくさんいるのにみんなほとんどいなくなっちゃったな。なんつって。
辞める予定もないのに。
ないからこそ、かな。
マダムをはじめ、今残っているメンバーはみんな3年以上この仕事を続けてくれている。日々質問攻めには遭っているものの もう新人と呼ぶようなレベルの人はいないし、みんな独立して仕事をこなしてくれている。
運用だったり上司だったりいろんなことが変わって、ここ2年ぐらいはだいぶ仕事も落ち着いて、こうやって仕事中に隙を見て日記のメモ書きをできる程度になった。
最初の頃は毎日21時とか22時まで会社にいることは普通で、鳴り続ける電話の対応で朝入れたコーヒーが夕方まで飲めないなんてのも当たり前だった。土日は平日消耗した体力を回復するためだけに存在していたし、平日は毎日そんな風だから『これじゃたとえ婚活に成功したって旦那様のご飯を作って待ってることなんてできねえ!』って日々叫び散らしていたが
今や、残業費削減のため強制的に帰されるという会社事情も含めてほとんど残業をしないので、体力も残っているし毎日帰ってからご飯も作れる。なんならお店が開いてる時間に帰れるから 食材が足りなきゃ買い物だってできる。
ありがたい環境に進化したな…と毎日のように思ってるけど、今いるメンバーはそんな地獄のような日々を知っている人が他にいない。
正式には 一人だけ残ってるけど協調性が皆無の子なので、当時から助け合うことは一切できなかったしどんな状況でも定時に帰る子だった。一般的には定時なので別に悪いことをしているわけではないし、引き止めたりしたことはないけれど。
一番いろいろ酷くて大変な時に、その子を含めて当時のメンバーとは助け合うことができなかった。助けることはあっても、助けてもらうことはない。何なら恩を仇で返される日々が続いて、新人さんは入ってきてもすぐに辞めちゃうし、そんな状態だからろくに教育もしてあげられない。
仕事上のワンオペ生活は5年以上続いた。
当時は上司にも決死のSOSを華麗にスルーされたり、家庭の状況も散々だったので 長年の介護生活から解放されたと同時にやる気と根気を消滅させてしまい、会社の帰りに自転車ごと川に飛び込む衝動を抑えながら走る毎日を繰り返していた。
そんな当時の私と 同じ目をして仕事をしている主任がいる。
一人でいろんなことを抱えて、人に頼むのが苦手で、どんどんミスや不備を繰り返して、通常対応に追われる以上に苦情に対応できなくなっている。
私はその主任の残作業やおこぼれをたくさん頂戴している。何故だと思う気持ちがなくはないけれど、この人はいつかどうにかなっちゃう気がするな と思いながら全力で助けている。
やったことに感謝もされないし 頼まれた内容の情報共有もしてもらえなくて困ることだらけだけど、そんな状況をさらに上の上司も把握してくれているし、代わりに周りがその主任を責めている雰囲気もあるので、私は黙ってお手伝いができている状況だったりする。
私は復活できた側なので言えることかもしれないけれど
当時の事を思い起こしたり、復活できた理由を考えて述べると
そういう時、助けを求められる場所があるかどうか、マイナスな気持ちをこぼせる人がいるかどうか、ってのは とても重要である。
だからと言って仕事の負担は軽減しないけれど、精神的な負担が減るだけで仕事の効率は上がる。気がする。
当時私は、現実逃避の一環として
自分がいつ辞めても人に迷惑をかけないように、自分しかできない仕事のマニュアルをこっそり作ったり、会社に置いてある荷物を全部持って帰ったりなどした。
正規に卒業していく人って本当に僅かで、突然来なくなってそのまま辞めていく人が多かったので
どれだけ派遣期間が短くても、業務整理や荷物整理はなかなか大変だったからだ。
【明日から突然来なくなっても、みんなに迷惑はかからない。】そんな妄想ができる状態を作ることで、心が落ち着いたし
気力もなくてノーメイクで出勤することも多かった中で、あえてちゃんとメイクを施したりアクセサリーを装着することにより女子としてのテンションを上げて、『可愛いくなったから外に出よう』という気持ちを無理やり引き起こして出勤するなどしていた。
一度会社に行くのを諦めてしまったら
二度と出勤できなくなる気がしていた。
そうなっていく人を見ていたし、たった1日の甘えがすべてを全滅させる不安に駆られて惰性で動いていた。動いていた、まさにそんな感じ。脳みそと身体は別物。会社に行っちゃえば勝手に仕事モードになる。
仕事モードが抜けないまま家に帰る。眠れないから体も休まらないし、気付けば朝になる。その繰り返し。
そんな悪循環から這い上がれたのは、もちろん自分だけの力ではない。
運用や上司が変わるタイミングが絶妙だったこと、そしてその頃入ってきた現メンバーがとても協力的で人として仲良くなれるタイプの人達だったのは 運が良かったとしか言いようがない。
その中の一人が、人として女性として、慕っているマダムである。
マダムはとても自由な人だ。
大変な思いもたくさんしていると思う、外に見せないだけで。いつだって元気で明るくて前向き。そんなところをリスペクトしている。
我がチームを卒業してしまうのは、寂しい。
寂しいけれど、『色々とんとん拍子で決まっちゃった、これもタイミングとご縁だと思うから決めちゃった!』と明るく言うマダムに 寂しい という言葉を贈るのはとても似合わなくて
そんな決断の仕方がマダムらしいし
きっとどこへ行っても何をやっても明るく楽しくこなすマダムの姿がまるで目に見えるように想像できて、今まで見送ってきた何人もの人たちが卒業する時に決め台詞のように送ってきた【卒業おめでとう】という言葉が、一番よく似合う。
みんなの寄せ書きは集まったけれど、私自身がまだ一文字もメッセージを書けていない。今週末に色紙を完成させないと、最終出勤日に間に合わなくなってしまう。
週末は渾身の似顔絵を描こう。
小さなメモには収まりきらない感謝の気持ちは、今後も同僚の枠を超えて友人として関わり続けてもらうことで少しずつ恩返ししよう。
そして来月から久々に迎える新人さんの教育をどうするか、自分のモチベーション維持にも矛先を向けねば。
大丈夫だ、この3年で私は進化したし
自分を労わったり人を頼ったり気分を持ち直す術も身につけた。
何より今は、私がありのままを曝け出しても受け止めてくれる恋人タミオ君がいる。申し訳ない気持ちで【会いたい】という言葉を抑えたり振り絞ったりせずとも、私のいる家に帰ってきてくれる。
それはとても大きい。
たとえ迫り来るのが試練だとしても、大丈夫かもしれない と思える。
大丈夫じゃなくなったら、その時に考えればいいや と思える。
無理せず頑張ろう。
まずは怒涛の3月をちゃんと乗り越えよう。
みんな頑張りすぎずに適度に気抜いてがんばれー
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