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クニさんから学んだこと -そのミスだけはしちゃだめよ-

ぼくが高校一年生のときの話。当時ぼくは神奈川県は横浜市の中高一貫校に通っていた。よりにもよって男子校だ。"中高一貫"で"男子校"ともなると世も末だ。だらけきっていて目も当てられない。ティーンネージャー真っ盛りのガキンチョがほぼパンツ丸出しで腰パンをしていた。踏み潰した黒い革靴をパカパカと鳴らしながらオラウータンのようなオラオラ歩きをしていた (くだらないですね)。あるものはバンドに目覚め、あるものはタバコに火を付けた。そして多くは (ティーンネージャーの多くがそうであるように) 女の子に夢中になっていた。

一応は進学校ということもあってか、みんながみなグレたりケンカするために他校に乗り込んだりといった野暮なことはなかった。それでもとりわけ"高一"というのはこれまた救いようのない時期だ。ヒリヒリとした受験勉強を経ずにエスカレータ式に高校に進学したのだから無理もないのかもしれない。

小学生の夏休みがダラダラと長く感じられるように、1分が1時間のように感じられた。なにもかもがだるく、まるで時間の牢獄に囚われたかのようだった。そんな状態で一生懸命に勉強する気になんてなれなかった。少なくともぼくにはそうだった。そして少なくともぼくのバスケ部の仲間もそう感じているように見えた。ふざけることがぼくらの全てだった。


その事件はある放課後に起こった。記憶を辿る限り、午前中に最後の期末テストがあって午後には部活の練習が入っていた。

ぼくはバスケ部に所属していた。体育館が狭かったという事情でバトミントン部と時間を区切って練習をすることになっていた。たしかバトミントン部が13:00-15:00でバスケ部が15:00-17:00といった割り振りだったと思う。こうなると「13:00-15:00までの時間をどう過ごすか?」という話になってくる。

遊ぶしかない。答えは自ずとそう決まっていた。

そういう時にはバスケ部の同学年の友達と集まって遊ぶようにしていた。生徒が帰宅してガラガラになった教室にたむろしてどうしようもないギャグを延々と言い合ったり、イヤホンをつけたり外したりしながら「ELLEGARDENの新譜聴いた?」なんて会話をしたりした。

その日はどういうわけか鬼ごっこみたいなことをすることになった。事の顛末については細かく覚えていないけれど、期末テストがやっと終わったということも手伝っていつも以上に解放感があったのは確かだ。うずうずした体を動かしたくなったのかもしれない。今思い返すと16歳で鬼ごっこなんて随分とガキンチョじゃないかと思うけれど、なにをするか予測がつかないのがきっとティーンネージャーというものだろう。まさに「Teenagers Are Assholes (ティーンネージャー・アー・オール・アスホール )」だ。

そんなこんなで鬼ごっこが始まった。ぼくらは意味もなく「うぎゃーーー!!」とか叫びながら校舎内を走った。校舎には文字通り誰も生徒はいなかった。他の学生は部活でグラウンドにいたし、帰宅部のみんなは華麗に、そしてに速やかに家路へと着いていたからだ。誰もいなくなった校舎はしんとしていて、奇声を発声するとやまびこのようにこだました。ぼくはあのひっそりとした校内が好きだった。上履きを脱いで靴下になり、ひんやりと冷たい渡り廊下を駆け抜けるのが堪らなく好きだった。

ぼくらは走った。というか走りすぎてしまった。その日はカズマという友達が鬼をしていた。カズマが一番足の遅そうなアベくんという子を追っかけていた。ただアベくんが意外なことにこの日はなかなか速くてなかなか捕まらない。二人とも高一のフロアじゃ物足りず、上の高二のフロアまで駆け上がった。ぼくを含む他の5~6人の部活のメンバーも面白がって二人を追いかけた。なにもかもが面白くゲラゲラと笑いながら。

カズマとアベくんは高二のフロアまで上がったと思ったら、手前のA組の教室に入った。誰もいない教室に規則正しく並んだ机を縫うようにしてアベくんはカズマを振り払おうとした。カズマもしぶとい。二人とも「うぎゃーーー!!」とか叫びながら爆走している。それを見てぼくらも爆笑している。

その時だ。


バリィーーーーーーーーーーーンッッッ!!!


という音が鳴った。皆目を見張った。一体なにが起きたんだ?

アベくんを見た。すると彼の目の前には粉々になったガラスの破片が飛び散っていた。教室の扉に突っ込んでしまったのだ。その扉の中央上部にはまっていたガラスが見るも無惨に割れてしまっている。

流石にアホなぼくらでも分かった。これはまずい。

幸いなことにアベくんはケガをしていなかった。どういうわけか無傷だった。カズマも無事だった。それでもその場にいた皆が「これはまずいことになったぞ」という共通認識を持ったのは間違いなかった。

どうしたんだー!?

そうこうしているうちに高二の担任の一人、イソザキ先生がやってきた。その顔を見て「目が点になる」とはこういうことなんだなということが分かった。イソザキ先生はぼくらがバスケ部であること、高一であることをテキパキと確認した上ですぐに教員室に戻っていた。

みんなその教室から誰一人動けなかった。最初はヘラヘラと笑いながら冗談をかまそうという輩もいたが、徐々にこの事態を受け入れていった。そうしてぼくらは完全に怒られ待ちのモードになっていた。 

おい、ゴラァぁぁぁぁぁ!!!


ほどなくしてそれはやってきた。バスケ部の顧問、クニさんの罵声だ。クニさんは普段は優しい数学の先生だった。ぜんぜん面白くないギャグを言って自分で笑うところが玉に瑕 (キズ) だったが、数学の教え方もうまいし、バスケの指導にも優れていた。アヒルを思わせるようなポップな鼻をしていて、いつも不機嫌そうな目をしていた。その時すでに50代の男性教師で、ほっぺたが重力に負けてちょっと落ちていた。180センチぐらいの背丈はあったから怒ると結構迫力があって怖かったものだ。

そのクニさんがマジギレしている。ほんと「怒」って漢字が額に書いてあるかのようだった。少なくともぼくには習字の筆でそう書いてきたんじゃないかとさえ思えた。そのくらい表情や物腰からぷんぷんと怒っている様子が伝わってきた。

お前らぁ、ちょっと来ーーーいッ!!!

そう言ってぼくらは教員用の小さい控室のようなところに連れていかれた。横長の机には何かの資料が束ねられていた。その奥には社長が座りそうな背もたれのある黒い椅子が置かれていた。クニさんはその椅子に深く腰掛け、その横には後から駆けつけたツツミ先生というもう一人の顧問がちょこんと座った。ツツミ先生は天然パーマが可愛らしく小綺麗な格好と薄いフレームのメガネが似合っている男性の先生だった。あれあれどうしたものか、というような困った顔をしていた。

ぼくらは机を挟んでクニさんとツツミ先生を正面から相対するようなかたちで立った。社長椅子に深く腰掛けたクニさんを見下ろすような格好で立たされた。もちろんぼくら5~6人は全員クニさんの方をまじまじと見ていた。

この日のクニさんの怒りはちょっと手が付けられないレベルだった。怒りで体がぶるぶると震えていた。こんなクニさんを見るのは初めてだった。どれだけシュートを外してもどれだけドリブルで相手に抜かれてもこんなに怒っている姿は見たことがなかった。

そうこうしているうちに、またもや怒声が飛んできた。

お前ら、ほんと自分がやったこと分かってんのかよ!!!ゴラァぁぁ!

高二のフロアに上がったんだぞぉ!高二のクラスのガラス割ったんぞぉぉぉ!

分かってんのかぁぁぁ!!?

ぼくは今ひとつピンと来なかった。ガラスを割ったことは確かに悪い。それはもちろん認める。だけど「高二のクラスだから」というのは一体なんの話だ?

これはあとになってそれとなく分かったことだけど、上級生のクラスに侵入すること自体が御法度で、それに加えてなにかをぶっ壊したとなるともうパンク過ぎたようだ。それもあってクニさんは怒り心頭だったというわけだ。

クニさんはみんなの視線を一点に集めていた。そしてぼくらはピリピリとした緊張感を保ちながら全神経をクニさんに向けていた。

そしてその事件は起こった。その日最も重大にして重要な事件が起こった。それは悲劇としか言いようのないものだった。

お前らぁ、ほんとふざけやがってょょょ!そうやって調子に乗ってるからこんなことになんだよぉ。大体お前らさぁぁ…


プゥーッ。


…いい加減にしろよっっっ!!!

え?プゥーッ?

声を荒げながら注意している時にその滑稽で甲高い音が狭い部屋に鳴り響いた。

ぼくらは誰もそれについて触れなかった。もちろん口にすることなんて出来なかった。一心にクニさんの方を見ていた。それでも「今クニさんおならしたよね?」と瞬時に以心伝心しながら語り合った。ぼくらは微動だにしなかったけど心の中で通じ合っていた。

そしてぼくらは見逃さなかった。クニさんがおならするときに体が一瞬空に浮いたことを。固く腕を組んでしかめ面をしたまま「ぶほっ」と本当に少しだけ宙に浮いたのだ。

隣にいたツツミ先生も眉ひとつ動かさなかった。だけど絶対気づいていたのは側から見ても明らかだった。「今クニさんおならしたよね?」というのはその場にいた全員の総意だった。

クニさんの方を見た。彼は仏頂面をしたまま相変わらず腕を組んでこっちをガンつけている。一体この人は今どういう気持ちなんだろう。完全犯罪だと思ってるのだろうか。証拠はなにもないとか思っているのだろうか。でもみんな口にせずとも心の中で一斉に叫んでいた。「バレバレだから!!!」


その後も延々と説教が続いた。クニさんの後ろの窓ガラスを見ると日が暮れようとしていることも分かった。ぼくらは高校三年分ぐらいの量の叱りをまとめて受けた。話はガラスを割ったことから発展して普段の態度がどうとかこれだからお前らは試合に負けるんだみたいな話にまで及んでいた。

でもぼくの頭はその間ずっとおならでいっぱいだった。どう抗おうとしてもそれのことが頭から離れなかった。


長い長い説教が終わり、ぼくらはその狭い控え室を出た。皆さすがに「怒られました」という神妙な面持ちになっていた。

友達の一人にオバラがいた。丸顔のキリッとしたイケメンだ。オバラはしくしくと涙を流していた。ありとあらゆることをクニさんに否定されたことが随分と悔しかったらしい。ぼくは「大丈夫か?」と心配するように声をかけた。するとオバラはちょっとだけニヤッとして顔をこちらに見せながら一言こういった。

クニさん、屁したよな。

「ダメだ、こいつもずっとおならのこと考えてたんだ」ということが分かった。ぼくは「うん、屁したよ」とだけ静かに返事をしてその日は終わった。



あれからもう20年近くが経とうとしている。あの時クニさんはいろんな有難い話をしてくれた。「大人になったらこうだ」とか「高校生としてああしないと」みたいな話を。「おれはお前らのことを思って言ってんだよょょ」みたいなトーンだった。

でもあのおなら以外思い出せない。信じられないくらい、あのおならしか思い出せないのだ。どれだけ記憶を丁寧に辿ろうとしても、あの「プゥーッ。」って音と宙に浮いたクニさんの仏頂面が脳の中で無限ループする。

よくビジネスの現場で"Winner takes it all"という言葉が使われる。「勝者は全てを手に入れる」みたいな格言だ。

あの日に起きたことは"おなら takes it all"だ。「おならが全部持っていってしまった」という悲劇を表している。


この話には深い教訓がある。それは大事な場面でおならだけはしていけないということだ。

クニさんはあそこで絶対におならをしてはいけなかったと思う。あそこでおならをしてしまったことで大人としての威厳も教師としての権威も「プゥーッ」吹かれてしまったような気がする。全くもって悲劇だ。

ぼくはこの大事な学びを固く心に誓ったし、固く肛門の穴を閉じるのだった。




これでこの話はおしまいです。今日はそんなところですね。

それではどうも、お疲れたまねぎでした!




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