福原たまねぎ

Amazon米国本社のシニアプロダクトマネージャー。シアトル在住。日々エンジニアとAm…

福原たまねぎ

Amazon米国本社のシニアプロダクトマネージャー。シアトル在住。日々エンジニアとAmazonクーポンの開発をしています。まじめな話、ほっこりする話、くだらない話。どれも一生懸命書いてまっす。

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  • たまねぎエッセイ

    アメリカ生活でのあれこれ、その他人生におけるちょっとした気づきなんかについて。

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    最近読んだ本とそれにまつわるあれこれについて。

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    キャリアや仕事のことについて書いていきます!

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Noteの文章がすべて自動で書かれる未来が来るか?

ロアルド・ダールの『あなたに似た人』という短編 (I・II)がとても面白い。ロアルド・ダールと言えば『チャーリーとチョコレート工場』という映画の(あのファンシーな格好に身を包んだジョニー・デップが主演の映画ですね)原作者と言えば伝わる人もいるかもしれない。この有名過ぎる短編集はただの"面白い"、もしくは"上手い"小説ではない。もちろん短編の名手というだけあって、ストーリー展開も巧みだし紡ぐ言葉はするするとしているようでいて、ガチっと読み手の心を掴んで離さない。 ただこの本に

    • クニさんから学んだこと -そのミスだけはしちゃだめよ-

      ぼくが高校一年生のときの話。当時ぼくは神奈川県は横浜市の中高一貫校に通っていた。よりにもよって男子校だ。"中高一貫"で"男子校"ともなると世も末だ。だらけきっていて目も当てられない。ティーンネージャー真っ盛りのガキンチョがほぼパンツ丸出しで腰パンをしていた。踏み潰した黒い革靴をパカパカと鳴らしながらオラウータンのようなオラオラ歩きをしていた (くだらないですね)。あるものはバンドに目覚め、あるものはタバコに火を付けた。そして多くは (ティーンネージャーの多くがそうであるように

      • その封筒を開けてはならぬ

        あれはもう7年前の話だ。ぼくは当時アマゾンジャパンという会社で働いていた。ぼくはAmazonの商品の中でもギターやピアノ、はたまたスピーカーなどを取り扱う楽器・音響機器の事業部に属していた。いわゆる営業っぽい仕事で、メーカーさんに商品を登録してもらってそれをAmazonのWebサイト上でどのように売り出すか考えて施策を実行する。そもそもが音楽が大好きなこともあってこの仕事はとても性に合っていた。取引先のスタジオを訪れて宣伝用の動画を撮ったり、Amazon内外の広告活用について

        • トイプードルを預かったら人生変わった件

          どうしたものか。2匹のトイ・プードルがなんでぼくの部屋にいるのか。この独身アラサーの寂しい男(つまりぼくのこと)を健気に見つめるこの4つの瞳は一体なんだ? 話は2020年に遡る。当時の日本は(というか世界はというべきかもしれないけれど)コロナ真っ只中だった。 ぼくはその頃アマゾンジャパンという会社で働いていて(Amazonの日本支社)日本で開催するプライムデーの全体を統括するプロジェクトマネージャーをしていた。プライムデーとはプライム会員向けに実施する年に一度のビッグセー

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          レゴの贈り物 -ぼくの仕事の原点-

          みなさん習い事ってしてましたか?ぼくはしてました、人並みに。プールや公文 (KUMON) に精を出していた…とは言わないまでもそれなりにやっていた記憶がある。小さい頃ってなんだか大人になる通過儀礼のようなものとして習い事が存在していた気がする。そんな習い事の一つにとても思い出深いものがある。 小学校1年生だったか2年生だったときのこと。ぼくはエレクトーンを習っていた。エレクトーンとは電子オルガンの一種で鍵盤が上下段に分かれて並べられていて足元にたくさんのペダルが配置されてい

          レゴの贈り物 -ぼくの仕事の原点-

          "やりたいことをやる"という罠

          人生で最初に買ったCDアルバムはなんですか? そんなことを聞けば「今更CDなんて」とぶつぶつとこぼしたくなる人もいるかもしれない。されど30代以上の皆様。きっと人ぞれにCDアルバムにまつわる思い出を一つや二つは少なくともお持ちという人もいるはずだ。ある人はレッド・ツェッペリンの、ある人はHi-STANDARDの、またある人はプッチモニ (つんく♂プロデュース) の思い出と共にあるかもしれない。いずれにせよ、この世に生を受けてはじめて買ったCDとなればなおのこと記憶に残ってい

          "やりたいことをやる"という罠

          忘れられない名刺

          あの名刺だけは忘れられない。いくら全力で忘れようともがいても頭にこびりついて離れない。そんな思い出の名刺がぼくにはある。今日はそんな話をしたい。 遡ること5-6年前。ぼくがアマゾンジャパンという会社で営業担当をしていたときのことだ。今でこそプロダクトマネージャーとして社内で缶詰になってエンジニアとごりごりソフトウェア開発をしているわけだけど、当時はいわゆる営業っぽい仕事をしていた。AmazonのWebサイトに商品を登録してもらうよう担当のメーカーさんと交渉をする。そして売上

          忘れられない名刺

          好きになるとは、嫌いになることだ

          石を投げれば飲み屋に当たる。 そんな言い回しがしっくり来るのが中目黒という街だ。改札を一歩出れば、ありとあらゆる飲み屋が目に飛び込んでくる。立ち飲み屋でひとり生ビールをくいっと飲み干すくたびれたサラリーマン、おでんをつつきながら日本酒を味わう若い女性たち、はたまた暗がりのバーで肩を寄せ合いながらシェリー酒に口をつける大人のカップル。訪れる人々が皆思い思いの形でグラスを、もしくはおちょこを傾ける。高架下で焼き鳥の串を握りながら、目黒銀座商店街でサムギョプサルにかぶりつきながら

          好きになるとは、嫌いになることだ

          Noteを書く意味 -名もないブログがあるから-

          人生でほんとうに悲しかった時期が何度かある。もちろん生きていればすべての人がなんらかの壁にぶつかるわけであって、誰だって打ちひしがれたり涙で枕を濡らしたりすることはあるだろう。だから取り立てて「ぼくは不幸でした」なんて主張するつもりはない。言いたいのはぼくも人並みに苦しかったことがあるということだけで。 20代前半はそんな悲しさがピークに達した時期の一つだった。「なんでそんなに悲しかったのか?」という細かい事情まではここで書く気にはなれないけれど、なにはともあれベッドから起

          Noteを書く意味 -名もないブログがあるから-

          シアトルでアウトドア -アイスフィッシング編-

          シアトルで冬の釣りといえば(少なくともぼくにとっては)イカ釣りだ。ただ2月にもなると流石にイカも釣れなくなってくる。するといよいよ釣るものもなくなってくるので「春が来るまでは釣りは一休みするか」となる。こたつに入ってぬくぬくしながら冬を過ごそうじゃないか。そんな気分になるのだ。 …でもまだあった。冬に出来る釣りがまだあった。しかも「これぞ冬の釣り」と呼んでしまいたくなるような釣りが。ポップで刺激的なあの釣りが。 今回はアイスフィッシングについて書きたいと思います。アイスフ

          シアトルでアウトドア -アイスフィッシング編-

          サンアントニオ旅行記 -世界遺産と微妙なラーメン-

          サンアントニオを訪れた初日にNBA観戦をした (それについてはこちらの記事に書いた)。観客席でじっと試合を見ていると隣のおっさんがフランクな感じで話しかけてくる。地元に住む人で小さい子供のいるお父さんらしい。タプタプとしたお腹と優しくもたくましく生えたヒゲがトレードマークといった輩だ。まあよくいる中年アメリカ人男性といえばそれまでだが。ヒゲの奥に隠れた小さな口から発する言葉はこうだった。 「ふむふむ、そうですか」とそれを聞いた時にはスルーした。それよりもバスケの試合の方が大

          サンアントニオ旅行記 -世界遺産と微妙なラーメン-

          サンアントニオ旅行記 -コーラといえばメキシコでしょ-

          サンアントニオの旅は続く。天気に恵まれたこの日はひたすら散歩をすることにした。 街並みはどこかカラッとしていてそれでいて親しみやすい温もりがある。行き交う人々は気が抜けているようにも見えてリラックスしている。ちょっとよそよそしい感じのするシアトルの人々とはこんなところにも違いがある。当てつけかもしれないがアメリカでは南に行けば行くほど、そして気候が暖かくなればなるほど、人当たりはいいように思える。気のせいかな。 アラモ砦 最初の目的地はアラモ砦という場所だ。ここはサンアン

          サンアントニオ旅行記 -コーラといえばメキシコでしょ-

          サンアントニオ旅行記 -224cmの怪物-

          なんでバスケが好きか。そう考えたところで答えは出ない。 だけどなぜかは分からないけれど、物心ついた時からバスケだけは好きだった。小学生の頃にスラムダンクにハマったことはもちろん重要な体験だけれど、それと同じくらいNBA (National Bastketball Association - アメリカの男子バスケのプロリーグ) にハマったこともぼくにとっては大事な事件だった。マイケル・ジョーダンがいたリーグといえば伝わる人もいるだろうし、今だったら日本人の八村塁選手や渡邊雄太

          サンアントニオ旅行記 -224cmの怪物-

          結婚を9回もすると

          ヴィニシウス・ヂ・モライスという男がいた。ジャズの定番曲(いわゆるスタンダード)に『イパネマの娘』という有名な曲があるが、この作詞を手掛けたのがこの人物だ。アントニオ・カルロス・ジョビンという天才作曲家とタッグを組んでボサノヴァという新しい音楽ジャンルを作り出した立役者でもある。 この人、すごいんですよね。外交官として敏腕を発揮しながら、詩人として類まれな才能を発揮して脚光を浴びた。『黒いオルフェ』という映画は彼が書いた前衛的な戯曲を原作としていて、なんとカンヌ国際映画祭に

          結婚を9回もすると

          Amazonがあっても本屋はぜんぜんなくならないんじゃないか? という話

          出張で日本に帰ったときの話だ。ぼくが働いているAmazonのセールを担当するチームでは、毎年一度世界のどこかで(厳密に言うとAmazonのオフィスがある場所で) サミットというものを開催している。早い話、各国のセールを管轄するチームが集まってセールイベントのことやらそれにまつわるプロダクト開発についてあれこれ話すわけだ。前回はミュンヘンで行われ (それについてはこちらに書いたっけ)、今回は満場一致で「東京で!」ということになった。 すべての出張がきっとそうであるように、出張

          Amazonがあっても本屋はぜんぜんなくならないんじゃないか? という話

          「左手は添えなくてよし」 -シリコンバレーで聞いたリコーダーの話-

          中学生のときだ。ヨシダにあることを指摘されたことがある。 ヨシダとは中学のバスケ部で一緒だった友達のことだ。顔はメガネを外したアンタッチャブルの柴田さんによく似ていた。ヨシダは絵に描いたような生真面目な一面を持っていて、勉強もバスケも脇目も振らずに頑張るタイプだった。宿題もきっちりこなすし、練習だってサボらない。ギャグに対するツッコミも (それこそアンタッチャブルの柴田さんのように) きっちりと流さずに処理するのだった。なかなか硬派な奴なのだ。 ただその行き過ぎたシリアス

          「左手は添えなくてよし」 -シリコンバレーで聞いたリコーダーの話-