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クリスチャンとお焼香

 ミサキが死んだ。

 ミサキの家族や友人はあいつが「天国」へ行ったと言う。この世界より良いところへ行ったのだと。だから喜ぶべきだ、と言う人さえいる。しかし私が知っているキリスト教の教えに従えば、ミサキは地獄へ行ったはずだ。そこで永遠の責苦にあうはずだ。

 ミサキの葬儀は日曜の午前10時からだと聞いた。教会の礼拝と重なる。休むしかないと思って牧師に連絡した。答えはこうだった。
 「死人を葬ることは死人に任せなさい、と書いてあります」
 ノンクリスチャンの葬儀はノンクリスチャンたちに勝手にやらせておけ、という意味だ。

 しかし礼拝は毎週あるけれど、ミサキの葬儀は歴史上一度しかない。式に行かなければ、ミサキの最期を永遠に見ることができないではないか。

 先輩に相談してみる。
 「参列してもいいと思うけど、」と先輩。「お焼香は偶像崇拝になっちゃうからね」
 小学生の頃に参列した、誰かの葬式を思い出してみる。確かに、見よう見真似で粉をつまんで、額の前まで持ち上げて、香炉に擦り入れたのを覚えている。あれは偶像崇拝だったのか? べつに拝んだつもりはなかったし、そもそも他人の動作を真似てやっただけだけれど。
 でも物知りの先輩が言うからには、そうなのかもしれない。偶像崇拝は、聖書によれば神様に逆らう大罪だ。
 「先輩だったらどうしますか?」私は尋ねた。
 「導かれたら参列するかもしれないけど、」と先輩。「お焼香はしないよ」
 「皆が見てる前でお焼香しないってことですか?」私はその場面を想像してみる。回ってきた香炉をそのまま隣に押しやる私。驚きを隠せない人々の非難めいた視線。遺族との挨拶の時に流れる、気まずい空気。
 それはちょっと失礼なのではないか。参列者に対して。遺族に対して。そして何より、ミサキに対して。
 「それは逆に、信仰の証になると思うよ」あくまで真顔の先輩。「お焼香の代わりに祈ったらいいと思う。故人を悼んで敬意を払うなら、むしろお焼香より主への祈りの方がいいんじゃない?」
 「はあ……」

 帰ってネットで検索してみる。キーワードは「お焼香 偶像崇拝」。
 「焼香は偶像崇拝なので避けるべきです」
 「死者崇拝です」
 「クリスチャンならしてはいけません」
 先輩の言葉を証拠づけるようなページがいくつか見つかった。やはりそうなのだろうか。でもミサキのことを崇拝しようなんて思わないんだけど。もし拝んだら「嘘でしょ、何やってんの?」とかミサキに笑われそうなんだけど。ちなみに「嘘でしょ」はミサキの口癖だった。

 それにミサキが地獄に堕ちたなら、崇拝して何の意味があるのか。そもそも「崇拝」とは何なのか。それ以前に「偶像」とは何なのか。あまりに曖昧だ。そんなあれこれを「偶像崇拝だからダメです」の一言で、片付けてしまっていいのだろうか。

 葬儀に参列する友人に電話した。
 「ねえ、葬式でお焼香しないのってどう思う?」
 「なんでしないの?」と友人。
 「えっと、宗教上の理由で」
 「ふうん。宗教のことは知らないけど、」警戒するような声。「焼香しないなら参列しない方がいいと思う」
 「そうかな?」
 「そうだよ」当たり前でしょ、と言わんばかり。「そんなことしたら式がぶち壊しだから」
 「でもお焼香の代わりに祈るんならいいんじゃない?」私は食い下がる。
 「祈るってなに?」
 「その……、キリスト教式に祈るってこと」
 「なんで仏葬にキリスト教を持ち込むのよ?」
 何も返せなかった。

 土曜の夜、引っ張り出してきたスーツを見ながら、私はまだ迷っている。
 牧師の言葉に背いて葬儀に行くか、あるいは礼拝に行くか。
 葬儀に行ったとして、お焼香をするか、しないで祈るか。
 答えが出ないまま、時間だけが過ぎて行く。
 「なに、結婚式?」
 帰ってきた妹に聞かれる。
 「違うよ、葬式だよ」
 「誰の?」
 「……友だちの」
 「そうなんだ」
 「あのさ、」行きかける妹を呼び止める。「しちゃいけないって言われてるけど、それをする以外に方法がない、としたらどうする?」
 「なにそれ」妹は笑う。
 「いや真面目にさ」
 「変なの」妹は1+1の答えが分からない子どもを見るような目で見ている。「やるしかないならやるだけじゃん」
 当たり前じゃん、と言わんばかり。そりゃそうだよね、と私も思う。ただ問題は、私がそこまでシンプルに考えられない人間だということだ。

 夜、夢にミサキが出てきた。
 「嘘でしょ、そんなことで悩んでんの?」
 ミサキは窓際でタバコの煙を吐いている。私を馬鹿にするような、見透かすような目だ。
 「だってしょうがないじゃん」と私。
 「ま、好きなだけ悩みなよ」ミサキは深々とタバコを吸う。そしてゆっくり吐き出す。「この世界線では駄目だったけど、他の世界線でならあんたと上手くやれるかもね。あるいは来世でか」
 「なにそれ」
 私は異議を唱える。あんたとはずっと上手くやってきたでしょ? と言いかけた。でももうミサキはいなかった。

 棺の中で目を閉じるミサキは、どこかミサキでなかった。もぬけの殻だ。魂が抜けたからだろうか。その魂は今頃、地獄に向かってまっしぐらなのだろうか。
 「地獄でもどこでも行っちゃいなよ」
 私は囁く。そして香を焚く。こうしなければ別れられない。
 立ちのぼる煙に、ミサキのタバコの香りが混じっている気がした。
 「大丈夫、私も付き合うから」

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