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ロボットは歌う/『PLUTO』

 『PLUTO』全8話を見た。

 1964年の原作(『鉄腕アトム』)を2003年にリメイクしたもののアニメ版だ。今となっては見慣れたプロットが散見される。人間とロボットは見分けが付かなくなり、記憶は他者によって操作され、中東の怪しげな国が黒幕で、憎悪からは何も生まれず、悪者は最後に改心して自ら犠牲となって世界を救う。

 ゲジヒトを主役にした前半はミステリー仕立て。「完全なA.I.は(人間と同じように)ミスを犯すようになる」という発想が面白い。人間に完全に近づいたロボットは、人間のように弱くなる。『2001年宇宙の旅』の人工知能HALも、高度ゆえ精神を病んでしまった。
 ゲジヒトが死ぬとアトムが主役になり、一気に『鉄腕アトム』のトーンになる。陰のゲジヒトと陽のアトム。前者が好きな私はちょっと残念だった。

 残念といえば、中東のアラブ人が一方的な悪者として描かれる点、世界有数の科学者がみんな男性である点、7人の世界水準のロボットもみんな男性型である点、などもそうだった。女性型ロボットのウランとヘレナも優れた能力を持っているけれど、他者への共感や思いやりという、ケア役割を担わされている。戦いに出る男たちの身を案じつつ見送る女たち、という昔ながらのステレオタイプが再生産されている。

 せっかくのリメイクだからそのあたりを大胆に改変しても良かったのでは……と思うけれど、リメイク自体が2003年なので難しかったのかもしれない。ちなみに2003年は『世界の中心で、愛を叫ぶ』で病気で動けない彼女と、彼女のために奔走する彼氏に日本中が泣いた年だ(「全米が泣いた」的な)。

 本作で私が好きなのはノース2号とダンカンの交流だ。二度と戦いたくない戦闘用ロボットと、二度と作曲できない有名音楽家の衝突と和解、喪失と再生(そして再生と喪失)をコンパクトに描いている。彼らは全く異なる存在に見えるけれど、実はよく似ている。どちらも過酷な現実から逃避して、音楽に救いを求めるからだ。ノース2号は死ぬ瞬間まで音楽を手放さなかった。

 この小さなエピソードは本筋から隔離されているだけでなく、スコットランドの古城が舞台で世界からも隔離されている。まさに「二人だけの世界」で、二人にとって「世界の中心」だ。美しい夕日の下で奏でられる彼らの音楽の美しさよ。その切ないメロディは漫画では聞けない。アニメならではの良さだろう。この二人の、少しクィアにも見えるドラマだけでも『PLUTO』は見る価値があると思う。

余談

 ゲジヒトのメモリーに時折ノイズのように現れる「一体500ゼウスでいいよ……」と囁きかける老人、いかにも悪どい商売に手を染めてそうだったけど、蓋を開ければただの廃品回収業者だった。勝手に「こいつ相当クソな悪人だろ!」と決めつけてしまって、本当に申し訳ない。

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