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哲学(主にフッサール)、倫理学、言語、歴史、映画、音楽等に関心があります。

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最近の記事

空き地と(無)意味:Lichtungをめぐって

 ハイデガー哲学の概念にLichtung(リヒトゥング)というのがある。「空け開け」とか「空開処」などと訳されている。そのハイデガー哲学における意味を語りだすとなかなか厄介なので、物が現れる場所であり、存在の真理と関連がある...というあやふやな(専門家からは間違いだと言われるかもしれない)解説に留めておく。  このLichtungという言葉は元来、ハイデガー自身語っているように、森のなかの空き地、そこだけ木がきれいに伐採されてぽっかりと開けている場所を指す。Licht(光)

    • 漢字/ひらがなの表記法について (1)

       本の執筆や翻訳をやっていて、いつも悩まされるのは漢字/ひらがなの表記分けである。網羅的で整合的な基準が存在しないため、個人間でも個人内でも揺れが不可避的に生じる。せめて自分にとって揺るぎない(震度6くらいまでは耐えられる)基準を立てるため、考えてみる。  最初に私の関心を明らかにしておくと、以下に例を挙げるような表記揺れをなんとかしたい。 ・「例えば」か「たとえば」か ・「単なる」か「たんなる」か ・「…に関する」か「…にかんする」か ・「…に基づいて」か「…にもとづいて

      • 【翻訳】 エディット・シュタインとフッサールの瞬間

        (友人から教えてもらったエディット・シュタインの自伝(Edith Stein Gesamtausgabe, Bd. 1: Aus dem Leben einer jüdischen Familie und weitere autobiographische Beiträge)の一節が色々な意味で味わい深かったので、訳出します。権利侵害にはならないと理解していますが、もし法的に問題があればお知らせください。) 次の日の午後6時、私たちがフッサール夫人と一緒に大学の門のところ

        • 統計と人間とアダム・スミスについての雑感

          Twitterなどで他人や自分の振る舞いを見ていると、気分が乗っているときに発言が多くなる私のようなタイプと、気分が沈んでいたり精神的につらいときに発言が多くなるもう一つのタイプの人たちがいると思う。どちらでもない類型もきっとあるだろう。そうすると、メンタルヘルスや主観的幸福度とSNSでのアクティビティの量の間に相関を見出すことは難しいような気がする(たぶんそういう量的研究はたくさんあるのだろうが、調べずに書いている)。あるいは何らかの相関を見出せたとしても、それを解釈すると

        空き地と(無)意味:Lichtungをめぐって

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        • 統計と人間とアダム・スミスについての雑感

          偏見と向き合う笑い:空気階段とザ・マミィ、そして伊集院光

          キングオブコント2021決勝の空気階段とザ・マミィのネタ(どちらも1本目)は、そしてそれらが優勝と2位という評価を得たことは、日本のお笑いが、偏見を利用するのではなく、偏見を可視化し偏見と向き合う方向にシフトしつつある(あるいはすでにシフトした)ことをはっきりと示した*。 * ザ・マミィのネタについてはこちらも参照されたい。すぱんくtheはにーさんのnote「偏見と悪意(あるいはキングオブコント2021/ザ・マミィのネタ1本目に)ついて。」 「偏見との向き合い方」に、より

          偏見と向き合う笑い:空気階段とザ・マミィ、そして伊集院光