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普遍性について

徒然と書いていたら長文になってしまいました。

論旨
もし仮に日本における西洋文化史・思想史研究を維持したいなら、なぜそれらの知や芸術が現代日本にも有効であり有意義であるかを、誰もが納得できる論理で宣伝しなければならない。
しかし多様性の尊重や植民地主義批判などの新たな学説によって西洋由来の「普遍性」という強固な支えは自分たちで解体してしまって使えない、となると一体どうすればいいのか、八方塞がりである。

まえおき

「世界で」とはお世辞にも言えないが、少なくとも先進国と自認する地域では多様性が叫ばれて久しい。SNSを見る限り、それらがもたらす軋轢はエリートが見たがらない領域では大いに問題になっており、その多様性というのも、これまで通り欧米のかつ白人男性が結局は主導しているよね、という批判はもっともである。

多様性という言葉が指すものや意味合いについての議論は、今後の識者の課題であるとして、問題はあっさりと切り捨てられて過去のものになってしまった「普遍性」についてだ。ミネルヴァの梟が黄昏に飛ぶなら、今こそ普遍性について考えるタイミングなのかもしれない。

人類の普遍性や普遍的と呼ばれていたものは、あくまで西洋が開発して押しつけてきたものである、という思索は植民地主義や今の文化論を読めばそのニュアンスはほぼ必ずどこかに込められている。

私は哲学者ではないので、あくまで美術の話にとどまるが、その西洋由来の普遍性というものを最も信じ受容しただけでなく普及させたのは、おそらくかつての日本人美術史家たちの仕事だと思う。

ヘルメス像 
アテネ国立考古学博物館

美術史家と普遍

岡倉天心や和辻哲郎が奈良を古典古代として盛んに称揚したのは、仏像であり宗教美術だったからだが、その背景には、仏像は西洋の普遍性の象徴であるギリシャ・ローマ彫刻と紐づけて語れるという特権があった。

アレクサンドロス大王→ガンダーラ仏→中国朝鮮→日本という一本のラインを引くと分かりやすいが、ギリシャ・ローマと奈良の仏像は繋がっていると見なすことができる。建築家の伊東忠太が法隆寺の柱を、古代ギリシャの柱のふくらみと共通すると述べて、今でも俗説以上に紹介されるがそのノリと同じだ。

日本も西洋も根源では繋がっているのです、ということを彼らは言いたかった。西洋に追いつくことが金科玉条の近代知識人の宿命として同情はするが、今日ではもちろん批判されている。ギリシャ彫刻からガンダーラ仏へという系図は今でも語られるが、その事実をもって日本と西洋は根源は同じという結論へ誘導されることはない。

そしてそれは日本美術史関係者というより西洋美術史系の人の方が、西洋美術=普遍的という立場になりやすいのは自明である。

戦後に活躍した西洋美術史家の著作を読むと、「日本人の心にも訴えるものがある」「普遍的なものへ向かっている(レオナルド・ダ・ヴィンチ系でよく見る)」といったように、これでもかと普遍性を強調してくるのだ。日本の文化的事情と半ば強引に接続させたり、似たようなことがありましたと示したい匂いが漂う記述によく出会う。

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