「夢」もいろいろあるが「寝ている間に見る夢」の話。 95歳の母は「眠れない!」と訴えるが、夢を見た話をする。 ということは、全く眠れないわけでもなさそう。 それにしても夢っておもしろい! 意味深で奥深いのだ。 父が迎えに来た 父は10年前に旅立って行った。 最期はお互いに感謝の言葉。 そのあと、聴覚は残っているというからお願い事を耳打ちした。 「私がそっちに行くときは迎えに来てね」。 おそろしいほどの方向音痴だから迎えに来て欲しい。1人で行きつく自信がない。 迷ってウロ
母との生活も4か月目。まだまだたったの4か月。 一応「要介護2」。 しかし「介護」というにはゆるい生活。 たいして世話も焼いていないけど、最近きつい。 おもに心がね。 日常の動作がリハビリ 95歳にしては、母はしっかりしていると思っていた。 緩和ケアを在宅で受けている割には元気。 見かけだけは。 酸素を吸いながらの日常にも慣れた。 私が手を貸すことはあまり、無い。 危ないときに備えて、いつでも手が出せる距離にいる。 訪問看護の看護師さんの言葉。 「トイレに行く、お風
95歳の母が私の家で暮らすようになって4か月目。 救急車で病院に向かったときは、 お別れを覚悟した。 肺ガンの末期と言われ、胸水が溜まっているのに 「抜いてもすぐ溜まるから」と言われて 失望したことも。 あの日のことが嘘のように今は元気。 酸素を吸いながらドライブにも出かけるし、 買い物も楽しむ。 外食だってできるようになった。 母の家にも泊りがけで帰ることができた。 母は今、奇跡を生きている。 医療の力を借りて 緩和ケアの訪問診療、訪問看護、配薬にも お世話になって
緩和ケアの訪問診療の先生が聞いた。 「何かしたいことはありますか?」 95歳の母は目をキラッとさせて 「家に帰って玉ねぎを見たいです」と言う。 自分が植えた玉ねぎの成長を見たいのだ。 だから、ドライブの練習をした。 短距離、短時間から少しずつ距離と時間を延ばして。 私の車で、または妹の車で。 人生の最後に「したかったけどできなかった」ことがないように。 酸素ボンベの扱いにも慣れてきた。 調子も良いし、チャンスかな? でもやっぱり不安 家に行ってみようか、1泊で。 母
食欲のない母を心配して、いろんな人が美味しいものを持ってくる。 なんとか食べて欲しくて、毎日何をどのくらい食べたか記録した。 食べたら喜び、食べないと心配する。 そんな毎日の記録を改めて眺めたら気づいた。 「これって、けっこうごちそうだね!」。 朝食 朝食は基本的にごはんとみそ汁。 出汁もみそも2種類を混ぜる。 それにお漬物。 家で育てた大根を漬けたもの。 農家さんから頂いた赤大根の酢漬け。 妹が作ってきた高菜の油いため。 夫が作る目玉焼きとウィンナー炒め。 母は漬物が
95歳の母が私の家で暮らすようになって3か月目。 緩和ケアの訪問診療と訪問看護を受けている。 危ない時期もあり、皆に集まってもらったこともある。 しかし、最近は調子が上向きになってきた。 病気が良くなることはないのだけれど。 肺ガンの末期。 だけど先生も驚く生命力を発揮している。 調子が良いからドライブに連れ出す。 夕食後、夕陽を見に。 「キレーい!!」と母は叫ぶ。 あと何回こうやって夕陽を見れるだろうか? 晴れの日の確率 知らなかった! 考えたこともなかった!
95歳の母が私の家で療養する直前のこと。 銀行に行きたい、というので連れて行った。 よろめくのが心配で母の横に立っていたけど、 手元は見ていない。 いくら親でもジロジロ見るのは失礼と思うから。 ところが!! えらく時間がかかるので 「どうかした?」と声をかけてみた。 母は困った顔で「お金を下ろせない」という。 手元が狂って違う番号を押したんじゃないの? 母に番号を聞いて私が操作してみた。 機械は反応しない。 母と私で何度か操作したので、もう無理だ。 とうとう…?
季節の変わり目はキツイ。 気温の上下が激しくて…。 こんなにキツイものだったかな? 冬から春へ 苦手な冬から暖かい春に季節が変わった。 ワクワクするはずなのに、今年はキツイ。 まず、今年も2月から花粉症が始まった。 60歳を過ぎたら花粉症は軽くなる、 なんて誰が言ったんだっけ? 加えて気温の上下が激しすぎる。 エアコンで部屋を暖めるだけでは足りなくて この冬は寝る時に電気毛布も使った。 隣で寝ている母は、電気毛布と ペットボトルあんか。 足が冷たい、というから お湯
母と暮らすようになってから、今までより 「時間」を意識するようになった。 つまり、人生の残り時間。 95歳の母は今までも残り時間を気にしていた、 私とは全く違う意味で。 「ねぇ、お母さんはあとどのくらい生きれば 良いんだろうね」 寿命の目安 そこで勝手に目安を作った。 「お母さんの方のじいちゃんは102歳、ばあちゃんは96歳まで元気に生きたんだから、お母さんは 平均して99歳…100歳かな?」 ところが、目安がくずれそうだ。 肺ガンが思ったより進み、それが原因で 胸
95歳は珍寿というらしい。 99歳は白寿ということは知っていたけど。 もう、何寿だろうと毎年お祝いしよう。 誕生会計画 誕生会の計画を早くから立てた。 母の好きな料理屋に行くつもりだったけど、 遠い所は無理みたい。 毎年、料理と眺めの良い店でお祝いしてたけど、 今回はあきらめよう。 では、お弁当にしてもらうのはどうだろう? 電話でお店に相談したけど、無理だった。 では、もう一つのお気に入りの店はどうだろう? 母お気に入りのメニューもたくさんある。 場所も近いし。
最近、母の調子が良い。 緩和ケアを私の家で受けている95歳の母。 末期の肺ガンと言われ、何度かお別れの予感も したけど。 今日もチョッとドライブ。 山桜がキレイだった。 苦しむことが最近は無い。 ごはんも食べている。 なのに、私の心配は止まらない。 私は最後まで本当に優しくできるのか? 母の心配ではなく、自分の心配だ。 母が危ない、という時は緊張感がある。 使命感もある。 精一杯世話をするし、慰め、励ます。 乗り切って安心したとき、緊張がゆるむ。 期間が長くなって「
医療費の限度額設定 95歳の母は私の家で療養している。 お世話になっている病院で「医療費の限度額設定」をするように言われた。 なんでも「限度額」を超えないようにして頂ける、ありがたい制度らしい。 役場に行けば申請用紙もあるだろうし、わからないことは教えてもらおう。 善は急げだ。さっそく役場に向かう。 母の家は私の家と「市」が違うので、母の家がある「市」で申請するように教えてもらった。 母から離れるのは不安なので妹に頼む。 この前もちょっと買い物に出かけた時に、母は苦しん
母が私の家で療養しているから、いろんな人が訪ねてくる。 母の妹とその家族、孫たちとその家族。 お医者さんと看護師さん。 訪問看護の看護師さん。 最も頻繁に来るのは私の妹たち、つまり母の娘たち。 遠くに居て来れない叔母たちは電話。 なかなか忙しいのだ。 でも、もちろん嬉しい。 母との生活は意外なおまけがついてきた。 訪問者のおみやげ 訪問者は何かを持ってくる。 美味しいもの、きれいな花。 楽しい話。笑顔。 どれもどれもありがたく嬉しい。 母は元気そうに見えるけど、そ
私の家で95歳の母は療養している。 辛い病気の症状に苦しんだり、不安で押しつぶされそうになりながら。 家で看護している、といえば聞こえは良いかもしれない。 親孝行な娘、と言う人もいるかもしれない。 しかし、たくさん心配をかけてきた私。 決して、親孝行な娘ではなかった。 恩返し、ではなく罪ほろぼしだ。 元気いっぱい 父が元気だったときは、仕事の忙しさにかまけてロクに電話もしなかった。 父と母の誕生日に招待して、食事をするくらいなものだ。 その後、父を家族みんなで看取
母は一生懸命生きてきた。 戦火をくぐりぬけ、働きながら家庭をはぐくみ、病気がちの父を支え、私たち子どもを育てた。それ以外もたくさん苦労した。 なのに、人生の最後に病気が重いことで気を落としている。 病気の症状でおこる苦しみを軽くしたい。 母らしく少しでも明るく過ごしてほしい。 私の家で療養しているので、たくさん話せる。 母も、思ったことを正直に言ってくれる。 母との問答は、私が試されているのだ。 ごめんね 母は私に「ごめんね」と言う。 ーーーごめんねって、言わなくて良
母の病状 95歳の母は末期の肺ガン。 私の家で療養している。 入院したら会えなくなるから。 孫たちをはじめ、いろんな人が会いに来てくれる。 病院ではできないこと。 みんな、マスクと消毒をして。 母は、食事がなかなか進まない。 でも、いろんな種類のおかずを並べたら、どれかを食べる。 これも家ならでは。 しかし、ひとつ心配があって。 具合が悪くなった時、どうするのか? これも最近クリア。 お導きがあったのか、緩和ケアを在宅で受けることに。 医師との相談で、今は酸素を