木下智夫

おもにFacebook上で、音楽と精神医療のことを書いています。本名アカウント、フルオ…

木下智夫

おもにFacebook上で、音楽と精神医療のことを書いています。本名アカウント、フルオープンですのでご自由にご覧下さい。

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精神病院で隔離されるということ

精神病理と向精神薬についてやみくもに勉強した時期がある。これはある一定程度の知性があり、そうして精神病と呼ばれたことがある者はみなそうだろう。自分の主治医よりも自分に詳しくなければ一応の高等教育を受けたものとしてはやりきれない。自分という精神の主体が病んでいると言われるのだから。 朝の7時近くなっても駒ケ岳から太陽は顔を出さない。冬らしく冷めた空気に広いマレットゴルフ場が沈んでいる。そうしてやがてラヴェルのダフニスとクロエをを思わせる夜明けに駒ケ岳が鮮やかに白銀に輝く。

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    • 木下 精神医療について語り始める

      ぼくがいわゆるところの「精神医療サービス」(それがサービスの名に値したのか疑問だが)の本格的消費者となったのは、二十歳の時のことである。 思えば発病の要因はごく幼少のころから考えられる。でも、はっきりといえるのは、上京して大学に入ってからのことだ。病歴をたどればきりがないけれども、分不相応な大学で、生まれて初めて落ちこぼれの実感を味わったぼくは、明らかな自閉と抑鬱の状態にあった。何度か精神科の門をたたいたりしたけれども釈然とせず、ぼくは酒におぼれていた。大学をやめ、音楽大学行

      • 森田修史Quatet Jazz Live Over The Rainbow IIDA森田修史(ts) 魚返明未(p) 安東昇(b) 小松伸之(ds)

        家に戻った私は、迫りくる睡眠の発作と戦った。いつもの表現衝動、内面との対話が形を成してこない。けっきょくその夜はやむをえず眠りをとったのだが、いま一夜以上を経て、かすかな睡眠欲求は消えない。実際、このメンバーの名前たちと、素晴らしいライブだったという一行があれば、私のモノ書きとしての仕事は終わったようなものなのだが、それは私の矜持が許さない。この「現実」から逃れようとするものに違いない睡眠への強力な誘いは何だったのだろうか。 いつものように、リハーサルなどはじまるはずのない

        • 愛の挨拶 - 篠崎史紀の美学

          偶然にFb 上でマロこと篠崎史紀氏の知遇を得て、しばらくジャズを離れて思考を巡らすことになった。音楽とは一瞬に宇宙を、そうして真理を見る行為である。マロの、真実に生きる姿を見てそう思った。 YouTube で確認できる演奏では、マロの演奏は有名な小品の動画が多い。そのことがかえってぼくを音楽の本質に近づけた。 それは何という音楽的な空間だったことだろう。テンポはルバートしているようでいて、実は一拍の幅が広いだけで、基本的にシビアと言っていいほどのきっちりしたインテンポだ。

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        精神病院で隔離されるということ

          精神病院で隔離されるということ

          精神病理と向精神薬についてやみくもに勉強した時期がある。これはある一定程度の知性があり、そうして精神病と呼ばれたことがある者はみなそうだろう。自分の主治医よりも自分に詳しくなければ一応の高等教育を受けたものとしてはやりきれない。自分という精神の主体が病んでいると言われるのだから。 朝の7時近くなっても駒ケ岳から太陽は顔を出さない。冬らしく冷めた空気に広いマレットゴルフ場が沈んでいる。そうしてやがてラヴェルのダフニスとクロエをを思わせる夜明けに駒ケ岳が鮮やかに白銀に輝く。

          精神病院で隔離されるということ

          私の躁鬱日記 2023.4.26.8

          私は年に何回か天才になる(実は日常的にそうではないか、という疑いを抱いているのであるが(笑)。テキメンなのは、ひとまえでピアノを弾くために一切の向精神薬を断つ時だ。感性さえわたり、天啓閃き、手指等の運動も鮮やかで、まさしく天の才能ここに開花せり、という感じなのだが、いかんせんまったく眠れなくなる。やがて眼も泳ぎがちになり、演奏行為だけはできるのだけれど、自分の天才を信じるあまり、現実認識が怪しくなっていく。そうして、本番のあとは、天才を信じてムダな抵抗をするがゆえに、保護室隔

          私の躁鬱日記 2023.4.26.8

          Eiji Nakayama presentsENATONE —エナトーネ—  濤(とう)CD発売記念LIVE中山英二(bass)北沢直子(flute)武田明美(筝)  ‘24.Apr.21.      at Over The Rainbow IIDA

          打ち上げに至って、私は一種安寧な違和感の中にいた。アンコールのあと、皆の前で中山がステージから私を名指して礼を述べてくれたあと、オフステージでおよそ公にしたことのないフォームのピアニストとしての私を高く評価してくださったのだった。私のフリーフォームは「逃げ」だと言って。ただ、私にアーティストとしての凄みがあるとすれば、それはピアニストとしてであるよりも、ライターとして、であると願う。 その時間はライブの演奏にも劣らぬ充実したコミュニケーションの一瞬だった、というと演奏と演奏

          Eiji Nakayama presentsENATONE —エナトーネ—  濤(とう)CD発売記念LIVE中山英二(bass)北沢直子(flute)武田明美(筝)  ‘24.Apr.21.      at Over The Rainbow IIDA

          三人十色(さんにんといろ) LIVE内藤哲郎(和太鼓) 小野越郎(津軽三味線) 木村俊介(篠笛)     特別ゲスト 加藤木朗(舞踏・太鼓)               at飯田CANVAS ’24. Apr.17

          私には木遣りと聞こえる「合唱」を降らせながら、演者4人がすうと舞台に登場してきたとき、私はその圧倒的迫力に、ジャズやクラシックでやるようには書きとめる力を失っていた。複合リズムとどこまでも日本のこころを現す旋律!加藤木の深いヒューモアを含んだ口上!客層も思いのほか若く、加藤木に促されて舞台に参加した観客も若かった。幸せも危険も皆で分かち合うというくすぐりに私も思わず微笑む。そうして朗声・朗音のシャワー、信頼するプロデューサーK氏の神が宿るという言葉通りの加藤木の舞!終止がパチ

          三人十色(さんにんといろ) LIVE内藤哲郎(和太鼓) 小野越郎(津軽三味線) 木村俊介(篠笛)     特別ゲスト 加藤木朗(舞踏・太鼓)               at飯田CANVAS ’24. Apr.17

          A NIGHT IN SHICHIRIYA KANO YASUKAZU'S LIVE SHOW m.29.'24.

          Yasukazu Kano    and Kazumi Aren performed absolutely stunning Chord     music on the Shinobue at Shichiriya Sabo in Iida, Nagano, Japan During the performance, I even experimented with a glass of water to produce an even deeper and richer

          A NIGHT IN SHICHIRIYA KANO YASUKAZU'S LIVE SHOW m.29.'24.

          美しい和音の調べ          狩野泰一 篠笛LIVE (共演 愛蓮和美)    in 長野県飯田市七里屋茶房 2024.3.29.

          その、篠笛とイメージするときに思う音よりもはるかに深く太い音をサブスクで確認しながら、私は水割りのグラスを弄っていた。ジャズでもクラシックでもないレビューを書くときにありがちな戸惑いなのだが、今日はそういった違和ではない、自分のなかの血の問題に沁みこんだ感動を、言葉に異化して定着する行為に苦慮していた。休憩時に狩野が横山門下の尺八の手練れでもあることを確認している。エルヴィンに深い影響を受けたプロのジャズドラマーであったことも。だが、そういった過去の学習・経験は、必ずしもいま

          美しい和音の調べ          狩野泰一 篠笛LIVE (共演 愛蓮和美)    in 長野県飯田市七里屋茶房 2024.3.29.

          Princess Clarinet of Iceland

          Arunnungur Arnadottir (I was struck at first hearing; some Internet friends told me that this is a very convenient thing these days: my Japanese sensibilities would not allow me to call this charming lady Arunnungur, etc., I'm sorry, Icelan

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          Princess Clarinet of Iceland

          ぼくの指揮した演奏

          ぼくの指揮した演奏、序曲パンチネルロ… ロマンティックコメディのためのオーヴァーチュアを、YouTubeとYouTube musicにもあげてしまった!

          ぼくの指揮した演奏

          ノマドを目指して

                       1991年 病院・地域学会での口演原稿 これ、能天気に無批判な部分、狭いパースペクティブ、用語・思索の不徹底など気になるところ多々あって、何十年ぶりかに手元についてから公表を躊躇っていた原稿なのですが、私の思考の軌跡、30歳のころには自信を持っていたマニフェストです。ちょっと思い切ります。 一度は実在したユートピアとしての治療共同体へのオマージュとしても...      

          ノマドを目指して

          サイバーパパと森田の夜

          森田の言葉を借りれば、森田の「連れて」来る日本のジャズシーンでもとびきり「ヤバイ」やつら、中でも最上級の三人は、森田の仲間たちと同様に極めてスクエアにハコ入りしてきた。トミタのプラネットを是非といってハコのオーナーから借りていったのが誰かは聞きそびれた。 すぐにエレクトリックピアノをさらいはじめた橋本の深く的確な、巨匠のようなタッチに私は驚いた。時間詰まってのリハ入り、音出しの安東のベースが重く深い。 バンドのサウンド、とくに森田のテナーがたまらなく懐かしい。暖かさだけじ

          サイバーパパと森田の夜

          奏の森のひとたち

          奏の森のひとたち、カナデル幸響楽団の演奏を初めて聴いたのは、長野県飯田市、風越の森こどもの森公園でのことだった。私は胸にこみあげてくるものをこらえきれず、ひとすじの涙をぬぐった。その涙をいぶかる心はなかったが、何がこみあげてきているのか、それまでの私の文脈、語彙では言葉で量ることはできなかった。 いま、レビューを書くべく、「奏の森」と題されたCDを朝から晩まで何度となく聴きながら一週間近くたった。深い、重大な、しかし軽やかな感動が繰り返し私をおそう。文章を主とするものでありな

          奏の森のひとたち

          Normalization and Mounting

          The reason why I try to extend the idea of normalization, which is an important perspective for people with disabilities, to "able-bodied people" is that it is no longer a classical statement that "a society that is kind to people with disa

          Normalization and Mounting