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雨の日が以前よりも苦手になった。
それは更年期という節目からくるのか、気圧の変化が
体調の変化にリンクし始めているからだ。
そして、洗濯がわりと好きなので
お外に干せないなぁ。というのも苦手の一つかもしれない。

ただ、優しく降る雨音は好きだったりもする。

いずれにせよ、雨の日がないと
生きてはいけない。

一件、不幸な出来事も
本当に不幸なのかどうなのかは、
正直自分次第ということが
たくさんある。
人からみたら、あまりにも悲しく悲劇的な出来事でも
そのつらい出来事を逆境のように乗り越えて
大きな冒険のあとのような爽快な顔をして、
前を向いて生きてる人がたくさんいる。
もちろん、悲劇の日々の人もいる。

どちらも事実は
同じだけど、思考と行動が
きっとこの二者をわかつものなのかもしれない。
そこの「知恵」や「人に話す」「アウトプットする」が
きっとあったら違ったかもしれない。
ずっと握りしめていると
そのままだけど、手を開いて
その事実をじっと見てみると
見えないものが見えてくるというか、
言い換えや、角度を変えてみることができる。
事実をいつでも私たちの脳はみたいように見て
記憶すらすり替えてしまう。
だからこそ、記録をとることが重要なんだと思う。
自分の無意識が記憶をあいまいにしていくから。

見え方で180度できごとは変わる。
そういう経験を何度も、何度も、何度もしているのに、
何度も、見間違い、間違えた言葉を使うことがある。
それがまた人間なのかもしれない。
そういう曖昧性が、AIにはないかもしれない。が…。

雨の音を聞きながら、
思う気持ちや感じる感覚も違う。
2月に耳が聞こえずらい時は
沢山の感覚が鈍り、ふしぎだった。
その感覚を思うと今はなんてはっきりと聞こえるかと
心から感謝ばかりだ。

真逆に、よく聞こえても
聞きたくないことを人間は選択して聞かないような
仕組みもある気がして仕方がない。

不思議な人間の仕組みを
上手に使って、
今ここにある感覚、感性を大切にしていきたい。


今日もお読みいただきありがとうございます。

やまがたてるえ



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