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小説「灰色ポイズン」その5ー限界⁉︎

頭の中で「ぷつん」と音がした。まるで漫画のようにそんな音がするとは思っていなかった。
母さんを「殺そう!」一瞬そう頭をよぎった。
母さんを殺して自分も死んでしまおう。あの20年前のあの日に母さんが私を道連れに逝こうとしたようにー

ことが起きたのはほんの些細なことからだった。
治療の合間にご飯を煮て作ったお粥を母さんが食べて言った、ちょっとした感想だった。

風邪を引いて寝込んでいる母さんにお粥と梅干しと卵焼きの昼食を作った。精一杯だった。
ゆうべも軌道に乗ってきた治療院の仕事で手が離せなくて、ようやく母さんのところに行けたのは閉院後だった。
母さんは
「私は捨てられたも同然、お前は薄情な娘だ」
と文句を言い放っていた。

お粥を軽く一杯食べて母さんが言った。
「これはご飯で作ったんでしょう?なんだね、お粥さんはやっぱりお米からゆっくりと炊いて作る方がふっくらと柔らかくおいしいよね」
私はそれを聞いてカーっとした。
もう無理!もう我慢できない!
私が何をやってもこの人は満足することはない。
そう思うと悲しさと怒りがないまぜになって、言葉にならない感情を味わった。

「じゃあ食べなきゃいいでしょう!おいしくもないお粥を出してすいませんでした。私はもう母さんの面倒は一切見れない!」
そう言い終わったと同時に、額に何か固い物が当たった。ちゃぶ台に湯呑みが音を立てて転げ落ちた。
母さんが私に向かって湯呑みを投げたのだった。私は一瞬何が起こったのかわからなかった。
母さんはすごい形相で私を睨んで叫んだ
「カナタ!あなたはなんでそんなこと言うの!一体私が何をしたっていうのよ!」

私は額に痛みを感じてハッとした。辺りを見渡して思わず手に取った台拭きを母さんに向かって投げた。柔らかな布の台拭きを選んだのとは裏腹に、考えていることは恐ろしいことだった。キッチンのシンクの下を開ければ包丁がある。それを取って母さんの首に振りかざせばいい。それで終わりだ。その後は自分の首にも勢いよく斜めに突き立てればそれで済む。
ジ・エンド!

私は自分の中に湧いた思いに震えていた。身体が小刻みに震えて足はガクガクした。おぼつかない足を引きずってドアの方に向かった。もうすぐ午後の予約時間だ。患者さんが来る。えっと、カルテを見直してそれからオートクレーブから滅菌済みの治療道具を出して...それから、それから...。

治療室に戻って水を飲んだ。良いのか悪いのか次の患者さんは15分ほど遅れると電話がきた。

私は待合室の椅子に腰掛けて深呼吸をした。大丈夫!私は大丈夫!ひと息ごとに自分に言い聞かせた。母さんを殺して自分も死ぬくらいなら、他に道はないのか?自分が一人で逝けばいいのか?殺人者になるために私は今まで生きてきたのか?結婚をして子どもができたばかりの兄さんと義姉さんはどうなる?殺人者の家族になったら...。

色んな問いが頭の中に浮かんでは消えていった。
体中に緊張が走り、思考がものすごい勢いで進んでいく。とにかく今日の治療を全て終えたら、ここから一旦離れよう。そう、安全を確保してから、落ち着いて今後のことを考えよう。

怒りと憎悪が胸の奥から湧き上がり、理性をかき乱す。湯呑み茶碗を額に投げつけられた瞬間、
「いっそ、母さんをこの手で...」そんな考えが頭をよぎったのだ。
全身が冷たく凍りついた。自分がそんな恐ろしい思考を抱いていることに驚き、同時に恐怖を感じた。
しかし、こうしてもう一度母親の顔を思い浮かべると、再び怒りが込み上げてくる。
「このままでは、いつか本当に手を出してしまうかもしれない...」そんな恐怖と共に、心の中で囁く自分がいる。
冷静さを取り戻すためにも、私には母さんと物理的な距離が必要なのだ。

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