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長谷部浩のノート お芝居と劇評とその周辺

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松岡和子の人生に迫る『逃げても、逃げてもシェイクスピア』

二○二一年五月、松岡和子は、『終わりよければすべてよし』を筑摩書房から刊行し、シェイクスピア戯曲三十七作品の個人訳をなしとげた。松岡は単に書斎の人ではない。稽古場に連日のように通い詰め、演出家や俳優とディスカッションしながら訳業を仕上げていく。まさしく演劇現場の人であった。  草生亜紀子による『逃げても、逃げてもシェイクスピア 翻訳家・松岡和子の仕事』(新潮社)は、この困難な訳業とともにある彼女の人生を詳しく取材している。  今回、明らかになったのは、幼い頃過ごした満州国

『ライカムで待っとく』。沖縄の現在と過去が交錯する秀作。

人間は、同情によって、優越感を得る。  KAATで再演された『ライカムで待っとく』(兼島拓也作 田中麻衣子演出)は、だれの心にも眠っている差別意識をあぶりだしている。  この物語は、一九六四年の八月、普天間の飲食街で米兵ふたりと沖縄の青年四人が乱闘した事件を起点としている。米兵ひとりが死亡、ひとりが重傷を負った。青年たちは、傷害致死罪で米国民政府裁判所で裁かれた。  裁判の審理も劇中に織り込まれるが、この舞台はドキュメントに終わらない。神奈川から引っ越してきた雑誌記者浅

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【劇評338】『Medicine メディスン』は、耳も目もふさぎたくなるような現代を映し出しす。

 世界はノイズに満ちている。  しかも、ノイズは、牢獄のなかにこそ、充満しているのだ。  エンダ・ウォルッシュの新作『Medicine メディスン』(小宮山智津子訳 白井晃演出)は、世間とは隔離された施設で展開する。  コングラチュレーションの横断幕、パーティの名残で散らかっている一室に、ジョン(田中圭)が、パジャマ姿で入ってくる。姿の見えないだれかから質問され、ぎこちなく答えるところから劇は出発する。  やがて、老人のリナルなお面をつけたメアリー(奈緒)、ロブスターの着

【劇評337】ハムレットは、颯爽たる吉田羊によって21世紀に転生した。

 陰鬱な青年の悩みから、解放された。  吉田羊主演の『ハムレットQ1』(松岡和子訳 森新太郎演出)は、ハムレット像を大きく塗り替える快作となった。  まず、吉田羊のハンサムなたたずまいが観客を引きつける。単に女優が、男優ならばだれもが憧れる役を演じたのではない。吉田羊は、颯爽たる空気をまとっている。それは、宝塚の男役が持つどこか人工的な男性像とも異なっている。  もし、デンマーク王子ハムレットが、21世紀に転生したとしたら、セクシュアリティを飛び越えた人物像になるのではな

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【劇評336】悪所の蠱惑を逆手にとった「歌舞伎町大歌舞伎」。

 歌舞伎役者がホストに扮したアドトラックが街を走った。  勘九郎、七之助、虎之介、鶴松の四人が、いかにもホストらしい衣装とメイクと背景の写真を撮り、大型トラックの横腹に並んだ。シアター・ミラノ座で行われる「歌舞伎町大歌舞伎」の宣伝のためである。念の入ったことに、それぞれの写真には、代表、専務取締役、主任、幹部候補の肩書きまで入っている。(撮影は細野晋司)  歌舞伎の宣伝としては、極めて異例だろう。けれども、江戸歌舞伎以来の悪所としての歌舞伎や劇場と連なっているように思った

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THEATER MIRANO-ZAにストレスなくたどりつくための方法を考えませんか。

 なんと絶望的なアクセスなんだろう。  THEATER MIRANO-ZAの評判は、つとに知れているので、なんとか快適な行き方、帰り方を考えました。

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【追悼】巨星、唐十郎さんのとろけるような笑顔。

 演劇界の巨星が墜ちた。  私の演劇観は、唐十郎によって作られた。私は状況劇場の遅れてきた観客だけれども、七一年の『吸血姫』をかわきりに、『あれからのジョン・シルバー』『夜叉奇想』『二都物語』『唐版・滝の白糸』『腰巻おぼろ』『糸姫』と進んで見ていった。 水上音楽堂の思い出。  上野の不忍池畔には、旧・水上音楽堂が建っていた。  テントは、池に接した場所に建てられた。私が観たのは極寒の夜で、劇団員がいきなりざぶりざぶりと池に飛び込んでいった場面に圧倒された。当時は、歌舞伎の大

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ベランダで、ばらを育てています。季節ですので、何枚かお目にかけます。

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ロンドン演劇雑感、その7。ホーヴェ演出の『オープニングナイト』が、予定より二ヶ月早く打ち切りに追い込まれた。

書くべきかどうか、ためらっているうちに、十日余りが過ぎてしまった。  四月十四日付のBBCニュースは、イヴォ・ヴァン・ホーヴェ演出の『オープニングナイト』が、予定より二ヶ月早く打ち切りになると伝えている。七月二十七日に終了する予定だったが、最終公演は五月十八日となった。

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【劇評335】ミージカルの最前線。三浦透子の深く、悲しい演技と歌唱。人間の心の闇を描いて、見逃せない『VIOLET』。

 傷痕は、誰のこころにも刻まれている。  藤田俊太郎演出の『VIOLET』(ジニーン。テソーリ音楽 ブライアン・クロウリー脚本・歌詞 ドリス・ベイツ原作 芝田未希翻訳・訳詞)は、二○一九年、ロンドンのオフ・ウェストエンドで初演された。二二年二は日本でも初演されたけれど、コロナ禍のために、ごく短期間の公演にとどまった。  今回、満を持して再演されるにあたって、主役のヴァイオレットは、三浦透子と屋比久知奈のふたりで、ダブルキャストを組んだ。  この作品は、一九六十年代、人種差

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【劇評334】東のボルゾイの『ガタピシ』は、きしむ音をたてている私たちの心をえぐり出す。

 アルベール・カミュは、こんなことを書き残している。 「私にとって演劇はまさに文学的ジャンルの最高峰であり、いかなる場合も最も普遍的なものだからです。私は作者や役者に「客席にいるただ一人の馬鹿者のために書いてくれ、演じてくれ」といつも言っている演出家と知り合いになり彼を好きになりました」 (カミュ、東浦広樹訳『私はなぜ芝居をするのか』)  日本独自の価値観に基づいたミュージカルを創り出す。この積年の夢に劇団『東のボルゾイ』は、果敢にも取り組んできた。  これまで観てきた作

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【劇評333】普遍的な物語に、歪みを与える。『母 La Mère』の魔術的な時空。

 人類には、時代を超えて繰り返される物語がある。  母親の息子に対する恋着、子供の成長によって孤独な老いを迎える恐怖、冷え切った夫婦関係につきまとう疑惑などが、この『母 La Mère』(フロリアン・ゼレール作、齋藤敦子訳 ラディスラス・ショラー演出)には、詰め込まれている。いずれも、時代や国境を越えた普遍的な物語である。  ただ、普遍的だということは、画一的な舞台に回収される怖れがある。この物語の中で、母アンヌ(若村麻由美)、息子ニコラ(岡本圭人)、息子の恋人エロディ(

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ロンドン演劇雑感、その6。ホーヴェ演出の『オープニングナイト』。リアルタイムのカメラ映像は、俳優の演技を破壊する。

 ロンドンに行ったもっとも大きな理由は、イヴォ・ヴァン・ホーヴェ演出の『オープニングナイト』を観るためだった。もっとも、見終えた感想は、首をかしげたくなるものだった。  理由はいくつかある。  第一に、二題のハンディカメラが撮影するリアルタイムの映像が、ほぼ休むことなく舞台全体を覆うスクリーンに投影されている。現在のビディオカメラとプロジェクターの性能は圧倒的で、舞台上にいる生身の映像よりも、大きくしかも鮮明に見える。  演劇は、観客が今、何を観るかを選択できるメディアで

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【劇評332】仁左衛門、玉三郎が、いぶし銀の藝を見せる『於染久松色読販』。

 コロナ期の歌舞伎座を支えたのは、仁左衛門、玉三郎、猿之助だったと私は考えている。猿之助がしばらくの間、歌舞伎を留守にして、いまなお仁左衛門、玉三郎が懸命に舞台を勤めている。その事実に胸を打たれる。  四月歌舞伎座夜の部は、四世南北の『於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)』で幕を開ける。土手のお六、鬼門の喜兵衛と、ふたりの役名が本名題を飾る。  今回は序幕の柳島妙見の場が出た。この場は発端であるが、単なる筋売りではない。千次郎の番頭の善六と橘太郎の久作京妙の茶

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