堀 裕嗣

「研究集団ことのは」代表。公立中学校教員。 新著『道徳授業で「深い学び」を創る』(明治…

堀 裕嗣

「研究集団ことのは」代表。公立中学校教員。 新著『道徳授業で「深い学び」を創る』(明治図書)/『アクティブ・ラーニングの条件』(小学館)

最近の記事

多忙なら必ず多忙感をもつ?

僕は「忙しい」と呟いたことがない。もっと言えば、自分が忙しいと感じたことがない。 「忙しそうですね」と言われたことはある。僕は自分の予定をブログにアップしているから、毎週末に全国を飛び回っているのを見てみんなそう言う。「これで平日は勤務があるんですよね」とも驚かれる。でも、それは当たり前のことだ。それを承知で週末に予定を入れているのだから、文句は言えない。だいたいそういう予定に文句を言いたくなったら、僕は週末に予定を入れなくなるだろう。週末の研究会は必ずしも「やらなければな

    • 褒めるべきときにだけ褒める

      1.褒めるの自己目的化 ある若手教師の授業を参加していたときのことです。その教師は子どもたちにペアで音読練習をさせたあと、5、6人の子どもたちを指名して段落毎に読ませました。そして教室全体を眺め渡してこう言いました。 「みんな素晴らしいかったね。さっきの音読練習の成果がよく出ていたよ。」 なんということのない褒め言葉です。読者のみなさんは特に気にならないかもしれまかん。しかし、この褒め言葉は問題だと僕は思います。 この言葉が、いま音読をした5、6人に視線を投げ掛けなが

      • シコウ

        若い頃には、だれもがなんとなく世の中には〈真理〉というものがあるような気がして、それを追い求めます。それが思考を複雑にしてすべてをすくい取ろうという発想になったり、ちょっとした心地よいフレーズを「ああ、これは世の中の普遍原理だ」とよく理解しないままに収集したりしがちです。しかし、どちらもよくありません。どちらもよくないというよりも、どちらも一長一短なのです。 何事も〈提案〉というものは、すべてをすくい取りたいという〈志向〉のもとに複雑な〈思考〉をくぐり抜け、それらに優先順位

        • シンプル・イズ・ベスト?

          先達の言葉はいたってシンプルだ。 公開研究会の飛び込み授業なんかを参観すると、授業が始まるまではまるで年老いた鳩のように枯れて見える先達が、子どもたちの前に立った途端にえさをもらう飼い犬のように生き生きとした表情を見せる。その躍動感は自らのシンプルな到達点への確信が支えているように見える。 若いときには、その姿が「ああ、この人はほんとうに子どもが好きなのだなあ」というふうに見えてしまう。しかし、年齢を重ねてくると、決してそれが間違いではないけれど、それだけではないなという

        多忙なら必ず多忙感をもつ?

          教師は「教え方」以上に「在り方」を問われる?

          我々の欲望と我々の能力の不均衡にこそ、我々の不幸は存する。 こう言ったのはルソーである(「エミール」)。至極名言だなと思う。僕らは子どもたちにとって価値ある教師でありたいと欲望する。でもその能力に限界を感じる。ときにそれをとことん自覚せねばならないこともある。そんなとき、僕らは不幸せを感じ、自分自身に絶望的にならざるを得ない。そんなことを繰り返しながら、教師もまた、少しずつ強くなっていく。 多くの教師は子どもたちにとって価値ある教師になるために、「ワザ」を身につけようとす

          教師は「教え方」以上に「在り方」を問われる?

          ポジティヴな感情は「過剰」を生み出す?

          この世にあるポジティヴな感情は須く「過剰」を生み出す。情熱や熱中が「過剰」を生み出す。過ぎたるは及ばざるがごとし。ときにやり過ぎが最初からやらかったときよりもマイナスを生じさせることがある。情熱や熱中を価値として生きる教師はこれを意識した方がいい。 僕は新卒の年、自分の学級を愛し過ぎてその後にもった学級を愛せなかったという苦い想い出をもっている。このことは拙著『エピソードで語る教師力の極意』に書いたから繰り返さないけれど、この経験は僕のその後十年間くらいの教員人生を狂わせた

          ポジティヴな感情は「過剰」を生み出す?

          大切なもの

          大切なものがずいぶん前に失われていたことに気づくことがあります。大切なものがずっと前にどこか別の場所に去ってしまったことに気づくこともあります。そんな失われてしまったり去ってしまったりしていることが既に自分の一部になってしまっていることに気づき、茫然と立ちすくむことがあります。 そんなとき、自分の胸に手をあててよく考えてみると、そのきっかけが自分のエゴであることに気づきます。これでいいや、これ以上は面倒だ、これだけやっておけばいいだろう……そう考えてしまった瞬間に、「これ」

          大切なもの

          〈今後の予定〉

          御依頼は下記日程以外でお願いします。 【定員30/残席7】 EDGE at 稚内/大野さんが立ち上げた新しい研究会です/2024年5月25日(土)/稚内ポートサービスセンター/参加費3,000円/大野睦仁・宇野弘恵・太田充紀・堀裕嗣 https://www.kokuchpro.com/event/ae9f6ded150988bd91e0b95882ed3533/ 【定員16/残席5】 THE 教材研究・イロハのイ~国語科授業改革セミナー2024水無月in札幌/「教材研究」

          〈今後の予定〉

          人は他人の誠実さに惹かれる?

          誠実な人と淫らな人。あなたはどちらが好きだろうか。 一緒に仕事をするならとか一緒にいて安心するとか、よけいなことを考えてはいけない。単純にどちらが好きかという問題だ。どちらに惹かれるかと言い換えてもよい。多くの人が淫らな人であるはずだ。無能な淫らさはみんな嫌いだが、有能な淫らさはだれもが好む。 人は有能な人間の「淫らさ」に惹かれる。 誠実な人、一緒にいて安心する人、確かに大切かもしれない。しかし、誠実も安心もただそれだけである。それ以上にはならない。誠実と安心を掛け合わ

          人は他人の誠実さに惹かれる?

          負のスパイラル

          若い頃は、何か教職にマニュアルがあって、そのマニュアルに沿って動いていればなんとか生徒たちを動かせる、そんな気になるものです。授業でも学級経営でも確かにマニュアルに沿っていれば、大失敗をすることは避けられますし、責任をとらなければならないような大きなクレームに晒されることもないような気もします。若い教師の学年主任や管理職への相談は、そのマニュアル主義がもたらすものです。こんなときどうすればいいのか、その判断を仰いでいるわけですから。 しかし、こうしたマニュアル主義は具体的な

          負のスパイラル

          マイナスをなくせばプラスが生まれる?

          いじめのない学校、不登校のいない学校、非行のない学校……。「○○のない学校」「○○のない学級」が目指される。いじめも不登校も非行もあるよりない方がいい。それは確かだ。でも、「○○がない」ことはマイナスをゼロにすることであって、決して子どもたちの精神状態がそれによってプラスに転化するわけではない。満足度が上がるわけではない。 マイナスがなくなれることとプラスになることとの間には大きな距離がある。教師が忘れてはならないテーゼの一つだと感じている。 例えば、新しくもった学級にい

          マイナスをなくせばプラスが生まれる?

          教師にふさわしいリーダーシップがある?

          テレビ・新聞の報道もインターネット上の報道も複雑な事象や複合的な要因を一つの単純な物語に落とし込む。メディアとはそういうものだ。人々はシンプルでわかりやすい情報を求める。消費とはそういうものだ。だからメディァは顧客満足を優先して、わかりにくく複合的な情報の複雑さを切り落とし、できるだけシンプルなパッケージにして商品化する。そして、そういう商品化された情報だけを日常的に浴びている子どもたちや保護者は、無意識に学校教育にもそれを求める。説明責任とか結果責任とかいう言葉はそうして生

          教師にふさわしいリーダーシップがある?

          若者は指導の対象?

          僕はかなりの大規模校に勤めているので、三月になると毎年のように定年退職者をみんなで送り出している。いわゆる「団塊の世代」のほぼ全員が職員室から姿を消し、これからかつて「新人類」と呼ばれた世代を見送ろうとしている。さまざまな軋轢もあったけれど、いざ彼らを見送るとなるとあまりに寂しい。いまから十年ほど経つと、次は僕らの世代になる。そんなに遠い話ではない。 ある世代が社会から退場していく。それをすぐ下の世代、もう一つ下の世代くらいまでがしみじみとした思いで見送る。ある一定の年齢に

          若者は指導の対象?

          打たれないほどの出過ぎた杭になる力

          この力はすべての教師に必要とされるものではありません。人の上に立とうなどとは思わず、誠実に、小さくまとまりながら生きていく道というものも断固としてあります。そういう生き方が向いている人たちが一定数いるものです。私もそのことを否定しません。しかし、あなたはまだ若いはずです。「健全な野心」をもつことは正しいことです。 野心には「健全な野心」と「不健全な野心」とがあります。後者が〈位置エネルギー〉を志向するのに対し、前者は〈運動エネルギー〉を志向します。つまり「不健全な野心」とは

          打たれないほどの出過ぎた杭になる力

          さぼる人ほど優しい?

          人に優しく──だれもがそう思う。 他人を肯定的に見たい──だれもがそう思う。 しかし、なかなかできることではない。ついつい他人を批判してしまう。ダメだなあと思いながら反省する。ときには軋轢に落ち込む。僕らはいつもそんなことを繰り返している。 他人を批判する悪癖はどこから生まれるか。それはおそらく、自分のやっていることは正しい、自分たちのやっていることは確かに正しい、間違っているはずがない、そういう揺るぎない自己肯定から生まれる。自分を正しいと肯定しているから、他人の小さ

          さぼる人ほど優しい?

          子どもや保護者を批判する資格がある?

          人は自分に都合の悪いことは見ようとしない。意図的・意識的に見ようとしないのではなく、無意識のうちに視界から排除する。その方が人間が生存するためには都合が良いのだから仕方ない。これは人間の本質とかいうよりも、むしろ生物学的な問題ではないかとさえ思う。例えば、教師は自分がそれほどの教師でないことを絶対に見ようとしない。それどころかたいして自慢できることもない、ありふれた人間であることさえ認めようとしない。それを認めてしまったら、子どもたちに人間いかに生きるべきかを語る資格がなくな

          子どもや保護者を批判する資格がある?