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191 中世は織物が貨幣

大河ドラマに物々交換のシーン

 大河ドラマ「光る君へ」の13話では、高畑充希の登場に驚いたが、もうひとつ、主人公まひるが市のような場所で、物々交換をしようとするシーンがあった。恐らく自宅で栽培した野菜と交換したいと差し出したのだが露骨に嫌な顔をされたところでドラマが動いてしまい、この交易が成就したのかは不明だ。だいたい、この頃の経済って、どうなってたのだろう。また、朝廷内で租税についての議論があり、「民のため」といった意見は少数派であったことをドラマは描いている。搾取することが律令制では当然だったのだ。
 日本で「最古の銅貨は7世紀末の富本銭、最古の金貨は760年(天平宝字4年)の開基勝宝」とWikiにある。また「皇朝十二銭(こうちょうじゅうにせん)は、708年(和銅元年)から963年(応和3年)にかけて律令制下の日本で鋳造された12種類の銅銭」とされている。
 ドラマ「光る君へ」は、貞元二年(977年)から始まる。紫式部は天禄元年(970年)~天元元年(978年)のどこかで生まれ、長和3年(1014年)
~長元4年(1031年)のどこかで亡くなっているとされている。
 この時代は、ちょうど貨幣経済が停滞していた時期で、上記の皇朝十二銭は無価値になってしまい、人々は主に「織物」をメインとした物々交換を主としていたようだ。「源氏物語」では、光源氏は心配していることを表すためや、相手を尊重していることを表すために、さまざまな「物」を贈り届ける。おカネではないのである。

お金持ち=衣装持ち

 結果的に、お金持ちはたくさんの贅沢な着物、織物を持っていることになる。だから貴族の女性たちは、きらびやかな服装をし続けることで「私はリッチです」と示していたわけだ。これは、まあ、ロレックスやルイ・ビトンといったブランド品を身につけて、自分の財力を見せつけるのと同じようなものだろう(たぶん)。
 そういえば、ドラマの序盤に出ていた盗賊たちも、金銭を盗んでいたのではなく、物品を運び出していた。
 物品による経済は、非常に難しいことが知られている。たとえば美しい着物の価値は、それを認める人の数に比例する。貴族とその周辺の女性たちの人数が増えていく時代には、インフレ気味で、貴重な品はなかなか手に入らないだろう。しかし、しだいにそうした人たちが減って行くと、希少性は薄れて価値はみるみる低下する。そもそも物品にはある程度の寿命があるので、古くなってしまうと価値を落としてしまうものがあるだろうし、一方で、古いからこそとんでもない価値を持つ物も出てくることになり、まったく予想がつかない。
 交換性を考えたとき、貴族間においては、上記の価値が移転することは普通に認められるのだが、もし身分の違う者と交換しようとしたら、まったく話が合わなくなる可能性もある。「十二単なんて貰ってもしょうがねえよ、酒を寄こせ、酒を!」みたいな話になっていくことだろう。
 貨幣経済が停滞していた時期は、ある意味、平穏であったのかもしれないし、同時に不幸な時代でもあった可能性が高い。なにしろ経済がまるで回らないから、生産性を語るどころではない。地方の豪族たちは、恐らく朝廷を適当にあしらって生きていただろう。
 中央集権化を図るにあたっては、どうしたって経済をしっかりデザインしないわけにはいかない。律令制の時代は、荘園制だったから、一応、しっかりとした基盤はあった。それが大規模に集約されていくのは紫式部の時代よりもさらにあとのことなのだ。
 結果的に、地方豪族の経済力の流れは、いずれ鎌倉時代に武士の台頭へとつながっていくわけだから、律令制は経済的なデザインとしては、あまりうまく行かなかったのではないかと思ってしまう。
 『源氏物語 A・ウェイリー版』(紫式部著、アーサー・ウェイリー訳、毬矢まりえ訳、森山恵訳)の2巻を読んでいるが、「澪標(みおつくし)」の章に、「皇太后格の待遇で皇室授与金を受け」という言葉の注釈に「二千世帯分の税金」とあった。税金を払える人が2000人はいなければ、この待遇は維持できない。
 それにしても日本は歴史的に長い期間、名もなき人々の労働を搾取して国を運営してきたわけで、現代の視点から見てしまうと紫式部の時代は、「いい気なもんだ」と思ってしまう。美しさとか清らかさとかが、上辺だけでよかった時代だった、と言ってしまうのは酷だけど。

描きかけ


 
 

 


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