ほんまシュンジ

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  • 微睡みの中で恋をして

    日記のような創作のような。創作のような日記。

  • 小説「ライフタイム」

    マガジン「微睡みの中で恋をして」に連載している小説「ライフタイム」のみを抜き出しています。

最近の記事

229 中年危機一髪 ミッドライフ・クライシス

誰にでも訪れる危機 朝のワイドショー、テレビ朝日系「羽鳥慎一モーニングショー」で、「ミッドライフ・クライシス」を取り上げていたという。いわゆる「中年の危機」である。40代から50代といえば、女性には更年期障害が起こりやすいが、男性はミッドライフ・クライシスだという。しかし、この時間帯(朝8時から10時)にテレビを見ている対象年齢の人は少ないだろうに。あ、いまはこうやってネットにまとめ記事が出るから話題になれば届くのだろう。  確かに、自分も40代、50代はいろいろあったことを

    • 228 一貫性はあった方がいいのか?

      人は「変われ」と言い、「変わるな」と言う 私はある人からは「頑固」と言われてしまう。どうも、いつも同じ反応をしてしまうらしい。それは一貫性がある、とも言える。ところが、「変わらなきゃだめ」と言う人もいる。頑固じゃなくなれば、「変わった」と言えるだろうか。するとたぶん「一貫性がない」と言われないだろうか。  20代で出版関係に飛び込んで(最初は業界紙だったが)、40年ぐらいやってきたことは、編集とライターだった。ほかのことも少しやったが、あくまで数パーセントの世界だ。その意味で

      • 227 ドラマはいま視聴者側で起きている

        過去を描くしかないのか? 見なくなった、あるいは最初から見なかったドラマについては省略。  見終えたドラマ、いまもまだ見ているドラマは次のとおり。  『95』、『天使の耳〜交通警察の夜』、『RoOT/ルート』、『滅相も無い』、『イップス』、『君が獣になる前に』、『季節のない街』、『光る君へ』、『アンチヒーロー』、『藤子・F・不二雄SF短編ドラマ 2』、『虎に翼』。『白暮のクロニクル』。  正直、それほどモチベーションの高まらないドラマもあるのだが、見ていてまだ飽きていないもの

        • 226 なにもしたくないとき、なにをするか?

          コスパもタイパも虚しい理由 前回こういうことを書いた。  ところで白状するのだが、私自身はコスパとかタイパをあまり重視していない。コスパのよさもタイパのよさも、その瞬間だけのことで、少し俯瞰で眺めると、おかしなところにコストをかけていたり、どうでもいいところに時間をかけていたりする自分がいるからだ。  その瞬間だけコスパがよかったとしても、その瞬間だけタイパがよかったとしても、結果、私の財布や時間にとっては、大した影響を及ぼしていないことが多い。あくまで私の経験値だけど。

        229 中年危機一髪 ミッドライフ・クライシス

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        • 微睡みの中で恋をして
          229本
        • 小説「ライフタイム」
          12本

        記事

          225 インフレとコスパ、タイパ

          インフレ時代が来るとして 日本はかつて「狂乱物価」と呼ばれた時代があった。1970年代のことだ。ちなみに1970年には大阪万博があった。そしてまた2025年にも大阪万博が開かれる予定だ。歴史は繰り返すのか。  それは冗談として(冗談でもないけれど)、70年代の物価高騰は、たとえば、朝50円だったものが夕方には100円になっているというような(あくまでイメージとして、だが)激しい物価高があった。年に1度、ベースアップで給与水準を改定したところで追いつくはずもなく、年に2度のボー

          225 インフレとコスパ、タイパ

          224 悩みは解決するのか?

          なるようにしかならない 先日(5月1日)、MLBの試合で蜂騒動があった。球場の内野のネットに蜂が大量に固まっている。駆除するまで試合は行えない。そんな話。そのとき、球場でビートルズ「レット・イット・ビー」(Let it be)が流れたとニュースで盛んにやっていた。蜂(Bee)とbeのシャレはもちろんそうだが、そもそも意味として「あるがままに、なるようになる」を連想したのではないか。自然界の出来事の多くは、実際、Let it beだ。  悪く取れば無気力な意見だけど、自分の経験

          224 悩みは解決するのか?

          223 なぜ同じものを撮るのか?

          映えスポットに行きたい? 朝のニュースで、天井の高い中華料理屋が金網を吊ってそこに蛍光灯を配置し、金網はそのまま客の荷物置き場にしたところ、そこにスマホを置いて真上からテーブルを撮影する人たちが続出し、店内はそれを撮りたい女性でいっぱいになっているなんて話をしていた。  そもそも街中華は、この数年、じわじわと浸透しているジャンルだとは思うが、多くの街中華の店は、あくまで私のイメージだが油ですべりやすい床、赤いテーブル、ちゃちなスチールのイス、ビール会社のマークの入ったコップで

          223 なぜ同じものを撮るのか?

          222 ポール・オースターの逝去

          多くの本の著者はすでに亡くなっている 身も蓋もない話だが、私の部屋に、そしてスマホの中に所蔵されている本の大半は、すでに亡くなった著者によるものだ。だから、同時代的に自分の人生と少しでも重なっている作家は貴重とも言える。もちろん、存命の作家はたくさんいるけれど、自分が気に入った作品の著者となると、そう多くはない。  そのひとり、ポール・オースターが亡くなった。別の記事で、これまで読んだオースターの作品については触れている。  この記事は、ブログを転々としたこともあって、いま

          222 ポール・オースターの逝去

          221 とにかく明るいけど重たい話

          救急車は呼ばないでね 父(95歳、6月生まれ)、母(90歳、5月生まれ)。二人の誕生日が近づいている。我が家は、私が子どもの頃には誕生日を祝ったものの、中学生からは特別なことはしなくなった。中学の頃、私としてはもっとも多くの友人がいた時代なので、たぶん、家でなにかするなんて「カッコ悪い」と言い放ち、友人たちと適当に過ごしたに違いない。といったって、この友情は高校受験によって消えてしまうのだが。  そのせいか、私も父母の誕生日になにかをした記憶はない。酷い息子だ。  その母は、

          221 とにかく明るいけど重たい話

          220 絵の効用

          絵をさらりと描く人たち 台東区の中央図書館には池波正太郎の書斎が再現されている。なによりも驚くのは絵と絵の道具だ。作家であることはよく知っている。時代劇の定番を数々世に送り出した作家だ。だから原稿用紙や台本、そして出版物が並ぶことは想像できる。それより目を引くのは絵なのである。さらりとスケッチしたかのような水彩画、渋さの中にユーモアの漂う表現。どうしたって、そちらに心は奪われてしまう。絵の力は強い。  最近は見なくなったが、「じゅん散歩」が好きで録画して夜に見ていた時期があっ

          220 絵の効用

          219 毎日、絵に取り組んでいる

          絵の下手さ加減への逆襲 絵が下手である。自慢ではない。だから絵には触らないように生きてきた。かつてプロのイラストレーター、絵本作家とも編集関係の仕事で打ち合わせをさせて貰ったし、その作品を預かって印刷にかけて、色校でともに苦労した。紙の問題もあって、なかなか思うような色が出ないのだ。私は、印刷所と作家の間に立って、最終的な仕上がりを決定しなければならなかった。ずっと「絵は自分のエリアではない」と決めていたので、こうした仕事も苦ではなかった。  それがある時(2年ほど前)、例の

          219 毎日、絵に取り組んでいる

          218 ゴールデンウィークの思い出

          正直、悪いことしか浮かばない「5月はなんかねえ」と妻が言う。  妻の周囲では、5月に亡くなった人が突出して多い。また、私たちが最初に引き受けた保護犬の急逝もGWのことだった。主治医は休んでいたので、救急対応の動物病院へタクシーで運んで深夜まで対応してもらったものの、残念な結果となってしまった。なにがいけなかったのか。もっと、なにかできたのではないか。そんな思いは、その後ずっとつきまとっている。  ゴールデンウィークならではの、いい思い出はないのだろうか。  思い出してみようと

          218 ゴールデンウィークの思い出

          217 思い込んだら命がけ

          人間関係の苦手な部分 思い込みの激しい人は、人間関係を苦手に感じることが多いかもしれない。自分の思い込みに気付けないので、相手の言動の意外性についていけなくなる。どうしてそうなるのか、と考えてみてもさっぱりわからない。だから「人間関係は難しいよね」と言ってしまえば、まあ、それで終わりかな。  自分も思い込みで生きている方だけど、幸いにも本を多数読んだり、ドラマや映画を多数見たり、人の言葉を聞いたりもするので、結果的になんとか生きている。  しかし、思い込みを野放しにして、人間

          217 思い込んだら命がけ

          216 好きと嫌いの間

          恋愛話とは限らない ドラマでは、タテ軸、ヨコ軸、斜めといった人間関係でストーリーを動かすことになる。中でも「好きか嫌いか」は、恋愛話に限らず、人間関係の基本的な構図となるから、どの軸にもそれとなく、散りばめられている。  ドラマが動くとき、好きだった人が嫌いになり、嫌いだった人が好きになる。そこまで極端ではないとしても、好きと嫌いの間を揺れ動くことになる。その曖昧な状況をわかりやすくするために、この「好き嫌い」の圏外にいる人物を配置することも多い。その人たちの誤解や邪推は、当

          216 好きと嫌いの間

          215 嫌悪せよ、とは教育できない

          昨日の話の続き 昨日の続きのようなことになりそうだ。昨日はこういう話だった。  すると、このようなコメントをいただいた。ありがたい。  確かに、私たちは、いまこの時点で、教育で「嫌悪せよ」と学ぶことはまずない。少なくとも基礎的な教育で、「これとこれを嫌悪しなさい」と教わることは想像しにくい。  もっとも、「自己嫌悪」といった言葉があるように、「こういうことをした自分を嫌悪しなさい」といった道徳的な話としてはあるかもしれない。嫌悪はあまりにも強い感情となるので、「そういうこと

          215 嫌悪せよ、とは教育できない

          214 AIで創られた思い出

          あらゆる思い出が加工される 美しい思い出が残っている人は幸せな人生と言えるだろう。  その美しさは、人によってずいぶん違う。「あの頃、輝いていた」と思えるような過去。あるいは「一世一代の大舞台」とか。それとも大切な人たちに囲まれている瞬間。  しかし、いまの時代以後の私たちの思い出は、すべてAIによって補正されていることになる可能性が大きい。 「こいつ、嫌なヤツだから消そう」「表情がちょっと変だから直そう」ぐらいからはじまって、「もっと可愛く」とか「もっと素敵に」といった要求

          214 AIで創られた思い出